ノムさん3

ノムさんが生前語っていた妻への想い。「沙知代は世界にただ一人しかおりません」

野村克也氏が2月11日、虚血性心不全により84歳で亡くなった。野村氏は1935年京都府生まれ。54年に南海ホークスに入団、65年には戦後初の三冠王を獲得した。70年には選手兼監督に就任、その後ロッテオリオンズ、西武ライオンズでのプレーを経て現役引退。引退後はヤクルトスワローズ、阪神タイガース、東北楽天ゴールデンイーグルスの監督を歴任した。

“サッチー”の愛称で親しまれた妻・沙知代さんは、2017年12月8日に野村氏と同じ病で死去。何の前触れもなく倒れ、そのまま逝ってしまった突然の別れについて、野村氏が語った当時の記事を追悼ともに再掲載する。なお、記事中の年齢、日付、肩書などは掲載時のまま。

闘病と、突然死と、どっちがいいかな

 ずっと闘病していて亡くなるのと、突然死と、どっちがいいだろうと思うんだ。心の準備って、全くできてなかったから。こんなあっけない、簡単な最期ってあるのかな。闘病生活に付き合うのも辛いだろうけど、どうなんだろうね、ああいう死なれ方……。

 隣の部屋でテレビを見ていたら、お手伝いさんが急いで来て「旦那さん、奥さんの様子がおかしい」って言うんですよ。すぐ行ってみたら、ダイニングの椅子に座ったまま頭をテーブルにつけた状態だった。肩を叩いて「大丈夫か?」って依いたら、サッチーさんらしく最後まで強気な姿勢を崩さなかったね。「大丈夫よ!」と言った。だけど様子がおかしいから病院へ運ぼうと救急車を呼んだんだよ。

 本当に突然です。病気も一切したことなかったし、前の日まで元気だったから。あんなにあっけなく、人生の終わりを迎えるとは思わなかったな。まぁ、人間って誰でも最後は死ぬんだけど、その死に方だよね。どんな死に方がいいかなって、最近はそればっかり考えてる。

「俺より先に逝くなよ。ちゃんと見送ってからにせえよ」ってよく言ってたんだけど、守ってくれなかった。ちょうど去年ぐらいから、僕がそんな話をするようになって、嫌がられてたんです。奥さんは、いつも前向きな性格ですからね。

「何とかなるわよ」と「大丈夫よ」という言葉に、いつも助けられました。普段は軽く言うんだけど、あの日は強い語尾の「大丈夫よ!」だった。これはちょっと違うなって、もう察してたんじゃないかね。大丈夫じゃなかった……。

ノムさん1

出会いは中華料理屋

 知り合ったのは昭和45(1970)年8月。後楽園の東映フライヤーズ戦の前で、南海ホークスの定宿から近い中華料理屋です。そこはふかひれラーメンが美味しくて、マネージャーと二人で食べてるところへ「ママー、お腹空いた」って言いながら入ってきたのが彼女。そのママから、「監督、いい人紹介してあげる」と引き合わされたのが最初でした。

 そのころ僕は、前の嫁さんの浮気を知って「出て行け」と言っても出て行かないもんで、自分が家を出て知り合いの世話になってました。南海の選手から兼任監督になって1年目で、チームも弱い。そんな最悪の精神状態のときに出会ったから、相性というより、タイミングとしてよかったんでしょう。

 女性から名刺を渡されるだけで珍しかった時代だけど、見たら「代表取締役・伊東沙知代」と書いてあるからもっと驚いた。ちょうどボウリングブームで、アメリカからボウリングのボールを輸入して卸す会社をやってたんです。だから英語をペラペラにしゃべるし、すごいなと思ってね。気さくだし、そんなところに惹かれたんでしょう。

 彼女のほうは、母親として、自分より子どもの幸せを中心に考えたんだと思います。野球のことはまったく知らなかったけど、息子二人は野球少年でした。上のダンが中学校1年生、下のケニーが小学校6年生。店からダンに電話して「プロ野球の野村さんって知ってる?」と喋ってるのが丸聞こえでした。席に戻って来て「なんて言ってました?」と訊いたら、「すごい人だと言ってた」って。そのダンのひと言で、僕を見る目が変わった。自分の連れ子が尊敬してる相手なら、うまくいくだろうと考えたのでしょう。

ノムさん2

「世界にただ一人しかおりません」

 その晩、後楽園に母子3人で試合を見に来て、交際が始まった。サッチーさんが現れたから前の嫁さんを捨てたように言われるけど、全く関係ないんですよ。ところが「野村に愛人」と関西のスポーツ紙に書かれて、球団内で問題になりました。確かに、前の嫁さんとまだ離婚が成立してなかったから、愛人と言われてもしょうがない。

 後援会長から呼び出されて、「お前、野球できんようになるぞ。女を取るか野球を取るか、はっきり決めろ」と迫られました。僕は、

「仕事は世の中にたくさんあるけど、伊東沙知代は世界にただ一人しかおりません」

 と答えちゃった。考えていたセリフじゃなくて、本当に正直な気持ちがポッと口から出た。野球を捨てることに、何の迷いもありませんでした。それで昭和52(1977)年に、南海をクビになった。

 息子の克則(44・ヤクルト二軍バッテリーコーチ)が生まれていて、3人で大阪に住んでたんですけど、奥さんの「関西なんて大嫌い。東京に行こう、東京」というひと声で、上京することになりました。

 だけど、何の当てもありません。野球が原因じゃなくて女の問題でクビですから、もう野球界には復帰できないなと思いました。東京に向かって運転しながら「仕事あるかな」ってつぶやいたら、後部座席から奥さんが「何とかなるわよ」。この言葉には救われましたね。

 その通り、本当に何とかなった。ロッテが声をかけてくれて、翌年の昭和53(1978)年も現役を続けることができたんです。捨てる神がありゃ、拾う神もいる。正式に結婚したのは、その年でした。

奥さんはプラス思考、僕はマイナス思考

 奥さんは典型的なプラス思考で、弱みは絶対に見せない強気強気の性格。すべて自己中心で、自分の思うようにならないと気がすまないピッチャータイプです。僕は反対に、典型的なマイナス思考。これはキャッチャー病なんですよ。「真っ直ぐの外角低め」というサインを出したって、ピッチャーが投げてみなきゃわからないから、不安ばかりでね。

 だから僕はグラウンドでもキャッチャー、家へ帰ってもキャッチャー。違うのは外では監督だけど、家では支配下選手だってところ(笑)。

 衆議院選挙にしても芸能活動にしても、僕は好きなようにやればいいという立場でした。歯に衣着せないからマスコミに取り上げられて、誤解されることも多かった。

 世間のイメージとちょっと違うのは、美味しい料理を作ることかな。ローストビーフは得意中の得意だった。ただし奥さんらしいことをやってくれたのは、最初の1年だけですよ。基本的にめんどくさがりだから、晩年は一切しなかった。何か頼んでも「めんどくさい」って。

 家のことやお金の管理は、全部奥さん任せでした。僕が「ちょっと現金くれ」って言うと、「カード持ってるくせに、何に使うのよ。女でしょ」って。正解だよね(笑)。

 だから、平成14(2002)年に奥さんが有罪判決を受けた脱税も、まるっきりノータッチだった。奥さんは刑務所に入らずにすみましたけど、僕は阪神の監督を辞めるしかなかった。女が原因で球団を2回もクビになったのは、僕だけだな。

 サッチーさんには、完全に騙された。テレビが経歴を調べたら、全部嘘だったでしょう。英語の読み書きはできないけどしゃべることはできるから、「どこで覚えたの?」って依いたら、「コロンビア大学に行った」と僕にも言った。全部信用してました。実際は、前に結婚していたアメリカ人の旦那から教わってたわけだ。

ノムさん3

幸せな人生だった

 内助の功なんか一切なくて、足を引っ張られてばっかり。だけど、別れようと思ったことはなかった。世間広しと言えども、サッチーさんの夫としてうまくやっていけるのは、俺だけでしょう。男だったら、みんな嫌になりますよ。それは自慢できます。克則のために、我慢するところは我慢。子どもに罪はないし、僕はモテないし、女運は悪いしね。

 人間って厄介なのは、いるときは何も感じないんだよね。便利に使って、何の不自由もなくやってくれるから。いなくなって初めて、存在感やありがたみがひしひしと伝わってくるんだ。

 以前は、講演やテレビの仕事のスケジュール、ギャラの交渉まで全部奥さんだった。「こんな番組は出ないほうがいい」とか、判断は全部任せてました。典型的な指示待ち族だ。しかも野村マイナス野球イコールゼロで、世の中のことを知らない。だからいま困ってるんだよ。指示してくれる人がいないから。男ってのは、本当に弱いな。

 奥さんの棺には、「幸せだったって言えるか」と問いかけました。答えてくれないのはわかってても、人間の一生ですから、やっぱり幸せな人生を送れるのが一番いいわけで。子どもに恵まれたことは、幸せだったと思いますけどね。

 そう考えると、僕は幸せな人生を送らせてもらいました。夫婦というのは不思議な縁で結ばれし関係で、本当のことは当人同士にしかわからない。「沙知代は世界にただ一人しかおりません」と言った気持ちは、少しも変わってませんよ。


【編集部よりお知らせ】
文藝春秋は、皆さんの投稿を募集しています。「#みんなの文藝春秋」で、文藝春秋に掲載された記事への感想・疑問・要望、または記事(に取り上げられたテーマ)を題材としたエッセイ、コラム、小説……などをぜひお書きください。投稿形式は「文章」であれば何でもOKです。編集部が「これは面白い!」と思った記事は、無料マガジン「#みんなの文藝春秋」に掲載させていただきます。皆さんの投稿、お待ちしています!

▼月額900円で『文藝春秋』最新号のコンテンツや過去記事アーカイブ、オリジナル記事が読み放題!『文藝春秋digital』の購読はこちらから!

ここから先は

0字
noteで展開する「文藝春秋digital」は2023年5月末に終了します。同じ記事は、新サービス「文藝春秋 電子版」でお読みいただけます。新規登録なら「月あたり450円」から。詳しくはこちら→ https://bunshun.jp/bungeishunju

文藝春秋digital

¥900 / 月

月刊誌『文藝春秋』の特集記事を中心に配信。月額900円。(「文藝春秋digital」は2023年5月末に終了します。今後は、新規登録なら「…

「文藝春秋digital」は2023年5月末に終了しました。今後は「文藝春秋 電子版」https://bunshun.jp/bungeishunju をご利用ください