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『ミステリと言う勿れ』と『自省録』 古典的哲学書をなぜ引用したのか 田村由美(マンガ家)
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『ミステリと言う勿れ』と『自省録』 古典的哲学書をなぜ引用したのか 田村由美(マンガ家)

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文・田村由美(マンガ家)

「我々の痛いところに直球で迫ってきます」

『ミステリと言う勿れ』(小学館)は、累計発行部数1600万部突破の人気マンガ。大学生の久能整くのうととのうが卓越した洞察力で事件を解決していくストーリーで、謎解きの面白さもさることながら、整が語るセリフの数々が読む人の胸を打つと好評だ。また古典の名言も登場し、ローマ皇帝、マルクス・アウレーリウス(121~180年)の『自省録』(岩波文庫)はマンガをきっかけに話題となり、10万部強も増刷している。著者の田村由美さんはなぜ、名著をマンガに取り入れたのか。

『自省録』とわたしの作品が書店に並んで置かれていることにびっくりしていますし、ちょっと冷や汗が背中に伝うというか、ドキドキしています。岩波文庫さんは惹句〈『自省録』が大きな鍵に!〉とともに、(ドラマ版に主演した)菅田将暉さん扮する主人公・整の写真が入ったコラボ帯まで作ってくださいました。そんなことってあります!?

エピソード6で描いた「ばちあたり夜話やわ」(4巻収録)。検査入院した整は、隣のベッドの老人・牛田悟郎が読んでいる『自省録』に目がとまり、ふたりの会話が弾む。

「僕は『あたかも1万年も生きるかのように行動するな。』というくだりがドキッとして肝に銘じようと思っています」

牛田
「人生は短いからな。この病院でも毎日誰かが死んでる」

アウレーリウスはローマ帝国五賢帝の一人。『自省録』は、彼が宮廷の自室や戦地で思索をめぐらし、自分への戒めや折々の思想を綴った手記である。

この本との出会いは10年ほど前、友人で、アニメ『幽☆遊☆白書』の主人公、浦飯幽助の声優などで知られる佐々木望さんから薦めていただいたんです。佐々木さんは「自分の血肉になった」とおっしゃり、読んでみたらわたしにも刺さる言葉がたくさんありました。以来、時々部分的に読み返しています。

牛田は、定年退職した元刑事。彼が最期に読む本は何がいいか、そして後々ライカ(病院の温室で出会う謎の美女)との暗号のやりとりに使えるもの……と考え、すぐさま思い浮かんだのが『自省録』でした。すみません、ただただちょうどいいと思ったんです。ここに必要なのは『自省録』だと。『自省録』には死に関する言及が多いです。心残りのある未解決事件を抱えたまま、死が迫っている彼の心情とシンクロしています。たとえば、

「昨日は少しばかりの粘液、明日はミイラか灰。だからこのほんのわずかの時間を自然に従って歩み、安らかに旅路を終えるがよい」

彼はその心境にはなかなか至れないんです。でも目を離せなくて読んでしまう。そして、この本は「今を生きろ」と、繰り返し言っていて、それらがまた牛田の、ライカの、我々の痛いところに直球で迫ってきます。

「明けがたに起きにくいときには、つぎの思いを念頭に用意しておくがよい。『人間のつとめを果すために私は起きるのだ。』」

「思い起せ、君はどれほど前からこれらのことを延期しているか、またいくたび神々から機会を与えて頂いておきながらこれを利用しなかったか。(中略)時は過ぎ去り、君も過ぎ去り、機会は2度と再び君のものとならないであろうことを」

わたしは哲学に明るくないので『自省録』について深く語れるわけではありません。失礼ながらおそらくエッセイのように読みました。「こんな使い方してほしくない」という声も聞きますし安易な気持ちで使って良かったのかどうか……。ただ、2000年ちかく前の人の考えが今の自分たちにストレートでダイレクトに入ってくることに心が震えます。自分に響く言葉がまだまだたくさんあるので今後も作中に引用するかもしれません。

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『自省録』とコラボ

探偵ものとは思ってない

この作品は、月刊『flowers』2017年1月号に初めて掲載されました。当時は前作『7SEEDS』を連載中だったのですが、担当編集者から「新作読み切りと2本立てをやりましょう」と、無茶ぶりされたのがきっかけです。

それまでの長期連載作品は、架空戦記(『BASARA』)だったり、滅んだ未来の日本でのサバイバルもの(『7SEEDS』)だったり。だいたい群像劇でアクションシーン満載のものが多く、感情の爆発を描くことがメインでした。

でも読み切りは普段とは違うものを描くことにしてます。静かなホラーやスリラーなんかも好きなんです。なので新作読み切りでは、動きの少ない、感情を表すモノローグも使わない、ワンシチュエーションの会話劇に挑戦してみようと思いました。どこか演劇的なものを目指した部分もあります。舞台に乗ったとしたらこんな感じ、とイメージしたりして。

エピソード1では、整が殺人事件の犯人だと疑いをかけられ、警察の尋問を受ける。取調室で追及を受けながらも、ただ思いつくことを淡々と語る整を前に、刑事たちはそれぞれの悩みを打ち明けてしまう。娘の反抗期に悩む刑事、夫婦仲に悩む刑事、男社会の警察でもがき苦しむ女性刑事たちと整との会話が繰り広げられ――。

そして犯人が見つかったから帰っていいよと言われて帰る……、そんな話にするつもりで考えてたんですが、つい欲が出て会話のついでに殺人事件も解決できないかなって。そうなると犯人はあの人にするしかない……、結果的に事件解決もののようになりました。

でもこれは整がただただひたすらしゃべりまくる漫画で、台詞が異様に多い。読者の方に受け入れられるか不安でしたが、とても好評だったそうです。編集者さんたちの「なんですか!これ!?」という感想が嬉しかったですね。読み切りだからと気軽な気持ちで描いたものが、たくさんの応援をいただいてこうして連載になったのは不思議な気がします。

わたしは、元々プロット(物語全体の構成)を書かないスタイルで、最初は話のイントロだけしかなかったりします。

そうした状況で考え始め、会話を通して物語を作っていきます。たいていわたしは、登場人物たちのセリフを自分ひとりでぶつぶつ喋ってるんですが、そうやって自然に転がっていく会話から思わぬ言葉が出てきたり、意外な展開になったりします。それを頭の中で映像として組んでいく感じです。それからやっと紙に向かいます。毎回起こる事件を考えるのも大変ですが、そこに整の喋りをどう絡めるかが本当に難しくていつものたうち回っています。

“ミステリと言う勿れ”というタイトルは置いとくとしても、そういう経緯でできたお話なので、基本的に探偵ものとは思ってないんです。読者の方に随時証拠を提示して謎解きを楽しめるようにも描いてないです。整が何を感じてしゃべるか、そこにはこうあってほしいという自分の願いを詰め込んでいます。

菅田は整をどう演じたのか

ドラマでは、毎回、菅田さんと豪華なゲストとの丁々発止のやり取りがとても面白かったです。

クランクイン前、菅田さんが、整のことを理解するために作者であるわたしに会いたいとおっしゃられて、お目にかかりました。あの菅田将暉さんに会うわたしの人生ってなんだろう? って焦ったり緊張したりしつつも感激しました。まずわたしを理解しようとしてくださったんです。

菅田さんは整をどう演じるか、ずっと深く考えてくださってました。整もまだ未熟な学生ですし、教祖のように見えてしまうのはダメだと。さらに原作に忠実にただ台詞を言うだけでは内包する意味が視聴者に伝わらないかもしれない、それではダメだと。どうしたらこの話のテーマを伝えられるか苦心されたことを後で伺いました。時には感情を少し盛って話すなど、非常に繊細な演技を心がけられたそうです。ほんとうに才能と誠意の塊のような方です。整の台詞ひとつひとつを大切にしてくださいました。

菅田将暉さんは今年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で源義経を演じておられ、大絶賛されています。鮮やかで眩しく、惚れ惚れするような見事な義経でした。そこで生きていると思わせてくれるんです。そんな方に演じていただけたことは、うちの作品にとって、整にとって、心底幸運なことだったと、ただただ感謝しています。

「僕は常々思ってるんですが…どうして、いじめられてる方が逃げなきゃならないんでしょう」

2巻ではバスジャックに巻き込まれた整はそう切り出し、いじめについての疑問を投げかける。

「欧米の一部では、いじめてる方を病んでると判断するそうです。いじめなきゃいられないほど病んでる。だから隔離して、カウンセリングを受けさせて、癒すべきと考える。日本は逆です。いじめられてる子をなんとかケアしよう、カウンセリングを受けさせよう、逃げる場を与えよう。でも逃げるのってリスクが大きい。学校にも行けなくなって、損ばかりする。DVもそうだけど、どうしてなんだろう。どうして被害者側に逃げさせるんだろう。病んでたり、迷惑だったり、恥ずかしくて問題があるのは、いじめてる方なのに」

これは本当にそう思います。自分も若い頃は、いじめられたら逃げればいい、逃げていいんだよ、と考えてました。でもある時海外の事例を聞いて、あれ? そうだよな、なんでこうなってる? と疑問を持ったんです。いじめが起きる場合、外からどう見えたとしても、加害者側に理由があります。その心に何かがあります。被害者に理由があったと言う人もいますが、そう感じてしまうことにそもそも理由があるはずなんです。そこを紐解いて癒さないといけないんじゃないかと。DVに関してもそうですが、もっと精神の安定の方法、アンガーマネジメントに力を入れてもらうことはできないんだろうかと常々考えています。これは大人に対してもです。

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