見出し画像

図書館の利用制限が社会の健全性を蝕んでいる|辻田真佐憲

★前回の記事はこちら。
※本連載は第22回です。最初から読む方はこちら。

 コロナ禍における図書館の利用制限が、じわじわとジャーナリズムの機動力を損ねている。

 日本最大の規模を誇る国立国会図書館の東京本館は、6月より抽選予約制となっており、「この資料をいますぐ確認したい」という使い方ができない。コピーを取り寄せられる遠隔複写サービスも、注文が集中しているようで、かなりの時間を要する状態だ。

 大規模なところでは、都立図書館もほぼ同様。各大学の付属図書館も、多くの場合、キャンパスへの入構制限などで利用がむずかしい。

 その結果、さまざまな記事の出稿に影響が出はじめている。たとえば、最近話題となった「1945ひろしまタイムライン」。NHKの運営するツイッターのアカウントで、朝鮮半島出身者への差別的な表現があったのではないかと問題になった件だが、図書館が開いていれば、さまざまな資料を踏まえながら、「当時の資料ではこうだった」「当時の報道ではこうだった」などといった記事が出たであろう。だが、実際はそれがほとんど見られず、ほとんどオピニオン的な記事に終始した(筆者もそのような記事を書いたひとりだった)。

 もちろん、開いている公立・私立の図書館、古書店などを渡り歩けば、必要な資料を集められるにちがいない。教育機関にしか開放されていないデータベースも、どこかの大学に籍をおけば、遠隔アクセスの権利も得られよう。だが、それではあまりにコストがかかりすぎる。

 複数の締め切りやネタを抱えるなかで、そのような記事は、どうしてもあとまわしにされてしまう。1箇所で、無料で、各種のデータベースが縦横無尽に利用できて、新旧の図書・雑誌・新聞が閲覧し放題で、しかも安価で印刷して持ち帰れる施設があったからこそ成り立った記事がいかに多かったか、あらためて痛感させられる。

 また、仮に時間をかけて出稿したとしても、読まれない蓋然性が高い。ジャーナリスティックな記事(ここではマスコミに限らず、大小のオンラインメディアのそれも含む)は鮮度が命。ウェブで記事を書いたことがある者ならわかると思うが、その賞味期限はせいぜい1週間だ。今回のように首相辞任のようなビッグニュースが飛び込めば、それすらおぼつかない。それなのに、コストをかけて時宜を逸すれば、たんに読まれず、結果的に、検証記事としての役割を大きく損なってしまう。

 この意味はけっして小さくない。フェイクニュースや政治家などのデタラメな発言が広がっても、現在では、数日以内に検証記事が出されて拡散し、その影響が最小限に抑えられている。ところが、図書館の利用制限により、ジャーナリズムの機動力が損なわれ、記事の生産量やクオリティーが低下すれば、そのような反証の力も弱くなり、社会の健全性が徐々に蝕まれることになるのである。

 社会の健全性などというと抽象的だろうか。ならば、こういってもよい。図書館は、たとえ自分が使わなくても、普段スマホなどで暇つぶし的に閲覧しているメディアの質量に著しく貢献しているのだと。コロナ禍で自粛警察が横行し、「コロナよりも人間が怖い」といわれたが、そのような人間の暴走を抑えるのも、このようなメディアの効用にほかならない。図書館の利用制限においても、防疫だけではなく、広い問題意識が求められるゆえんだ。

 政府は、来年の通常国会で著作権法を改正し、自宅で文献のコピーを見られるようにする方針だという。詳細は不明だが、ぜひとも、実際に利用している者の意見も参照して、狭義の研究目的に限らず、広く使い勝手のいいものにしてもらいたいと思う。「真理がわれらを自由にする」。国会図書館に掲げられている言葉が、いまでは真に迫ってくる。

(連載第22回)
★第23回を読む。

■辻田真佐憲(つじた・まさのり/Masanori TSUJITA)
1984年、大阪府生まれ。作家・近現代史研究者。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院文学研究科中退。政治と文化芸術の関係を主なテーマに、著述、調査、評論、レビュー、インタビューなどを幅広く手がけている。著書に『天皇のお言葉』『大本営発表』『ふしぎな君が代』『日本の軍歌』(以上、幻冬舎新書)、『空気の検閲』(光文社新書)、『文部省の研究』(文春新書)、『たのしいプロパガンダ』(イースト新書Q)、『愛国とレコード』(えにし書房)などがある。監修に『満洲帝国ビジュアル大全』(洋泉社)など多数。軍事史学会正会員、日本文藝家協会会員。

みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!

「文藝春秋digital」は2023年5月末に終了しました。今後は「文藝春秋 電子版」https://bunshun.jp/bungeishunju をご利用ください