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自民党「派閥政治」が果たした役割とは?|三浦瑠麗

★前回の記事はこちら。
※本連載は第21回です。最初から読む方はこちら。

 政治はそれほど理想が異ならない二人を分断する営みであるということを前回は書きました。本日は、人びとの分断は完全に不毛なものなのか、そうでないのかを考えたいと思います。

 人間をまず分断するものは、政治ではなくて属性と立場です。人間にはそもそも想像力というものが限られていて、ほとんどの人は自分の立場しか理解できない。そうした他者が互いに社会的な接触を通じて衝突を繰り返すのが人間社会です。人びとは、収入の多寡、人種、才能の差、美醜、習慣、職業分野などで簡単に分断されます。世代間対立も、自分の立場によって考え方が変化することから生じがちです。人間の衝突をうまくなだめながら集団生活を維持し、将来世代に受け渡していくことが本来の統治のあり方でした。

 これとは異なるメカニズムで起きるのが、イデオロギーや価値観を用いた政治による分断です。これまで述べてきた通り、政党などの政治的立場によって価値観の定食メニューが形成された結果として、一定の価値観の組み合わせが支持されるからです。労働組合で活動してきた米国民主党の支持者が、政治化して銃規制も支持するようになることは頻繁にあります。政治化の過程で「こう思うべきだ」という教育が行われ、教化された人はいままで関心の低かった問題についても積極的に発言するようになる。

 そう考えれば、政党が作り出す人びとの価値観による分断は、人間同士のあくなき争いと足の引っ張り合いを薄め、政策や価値観をめぐる対立に置き直す有用な活動であると言えるのではないでしょうか。現状では、政治による分断や、与野党による価値観の二極化ばかりが批判されていますが、政治による分断というゲームは、それがゲームにとどまる限りにおいて、存在意義を見直されるべきなのではないかと思います。

 しかし、政党によるイデオロギーや価値観を用いた分断には副作用があります。それは、抽象度の高い言葉をめぐる対立を創り出すことで、人間の想像力を掻き立ててしまうことによって引き起こされます。想像力は暴走し、ときに多くの犠牲を生みます。象徴的な例が、共産主義独裁による事実を軽視した経済運営の結果、多くの人を死に至らしめたことでしょう。あるいはナチスドイツのイデオロギーがユダヤ人を大量虐殺したように、イデオロギーに、古い対立としての所得格差をめぐる、あるいは人種をめぐる分断が潜み込み、もともとあった憎悪をさらに増幅することさえあるのです。

 古い分断を人間が克服できていないからこそ、本来こうあるべきだと考えられてきた政党間競争と人間の実像がずれてしまう。お題目ばかり綺麗なことを言っても、所詮人間同士のどろどろとした争いになってしまうのはよくあることです。

 まさに、自民党の派閥対立こそが、こうした村社会における人間関係をめぐるごたごたを象徴するものでしょう。自民党の派閥はそもそも利害に基づいた集団です。枝野幸男氏が古き良き宏池会の思想を持ち出して自らをハト派の保守と位置づけたように、宏池会にはハトのイメージが存在しますが、そもそもなぜ宏池会がハト派を代表するようになったのかは、必然とは言えません。明らかに人間関係の対立に後付けで付加された「わが派閥はこうである」という意思表明としての思想であり、当時は派閥間の対立が本物で、派閥内の教育制度がうまくいっていたからこそ、いわば普通の国の政党のような役割を果たしていたのだということができるでしょう。

 しかし、現在の日本政治では、与野党間の対立も派閥政治も批判を呼びがちです。小選挙区制度を導入し、自民党がいったん下野した後に政権に返り咲いてからは、党内での異論が示される度合いも低下しました。あまりに党内の競争も政党間競争もふるわないので、メディアでも政界でも、古株の中にはあれだけ悪く言われた派閥政治を古き良き時代として懐かしむ意見さえ出てきています。競争もなく切磋琢磨もない政党よりは、利権をめぐる争いであってもいいからせめて競争があってほしい、ということでしょうか。

 現状の自民党を見るに、私は能力をめぐる競争はあると思います。安倍一強であっても能吏は必要なのですから。しかし野党が弱いがために、理念をめぐる競争がどうも少ない。そして、本物の権力闘争が理念を巻き込んで展開するダイナミズムは見られません。ある意味で、例外的に安倍氏と石破氏との対立関係に見ごたえがあるのは、単に政策の路線をめぐる対立にとどまらず真っ当な権力闘争だからでしょう。

 政党間競争は人びとを分断し、偏見を振りまく副作用があります。それでも競争は必要なのです。なぜならば、万人を平等に位置づけた民主主義を機能させるためには、立憲主義や法の支配、権力分立などの統治原理だけでなく、政党というプレーヤーの「言葉」による競争がどうしても必要だからです。

 次回は、その分断を引き起こす「言葉」が日本ではどうしても古い分断に引き戻されがちであるという点を取り上げたいと思います。

★次週に続く。

■三浦瑠麗(みうら・るり)
1980年神奈川県生まれ。国際政治学者。東京大学農学部卒業、東京大学大学院法学政治学研究科修了。東京大学政策ビジョン研究センター講師を経て、現在は山猫総合研究所代表。著書に『日本に絶望している人のための政治入門』『あなたに伝えたい政治の話』(文春新書)、『シビリアンの戦争』(岩波書店)、『21世紀の戦争と平和』(新潮社)などがある。
※本連載は、毎週月曜日に配信します。


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