【神戸連続児童殺傷】「少年A」の犯行を確信したとき——遺体発見当日から捜査線上に浮上していた
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【神戸連続児童殺傷】「少年A」の犯行を確信したとき——遺体発見当日から捜査線上に浮上していた

1997年6月28日、逮捕直後の記者会見。兵庫県警捜査一課長、山下征士氏(82)が明かした被疑者の“素性”に日本中が戦慄した。

「被疑者は、神戸市須磨区居住の中学3年生『A少年』、男性14歳です」

「酒鬼薔薇聖斗」と自ら名乗っていた被疑者は、この時から「少年A」と呼ばれることとなる。

捜査一課長として捜査を指揮した山下氏が、「少年A」逮捕に至るまでの過程を振り返った。/文・山下征士(元兵庫県警捜査一課長)

「少年A」逮捕の過程

当時、私が住んでいた兵庫県警の公舎にある電話が鳴ったのは、5月27日、早朝6時半過ぎのことでした。受話器をとると、県警本部の刑事部に詰めていた捜査員からの報告でした。神戸市須磨区の友が丘中学校の正門前に男の子の頭部が置かれている、と。学校の管理人が出勤したところ、切断された頭部を見つけて110番をしたということでした。

「間違いやないか?」

思わずこう言っていました。捜査員の話が現実離れしていて、マネキンや人形の類を人間と見間違えたのではないかと思ったんです。しかし、何度確認しても、「間違いない」というのです。

3日前の、5月24日の午後。須磨区在住の小学生・土師(はせ)淳くんが、祖父の家に行くといって一人で自宅を出たあと行方不明となっていました。その直前、相生市で中学生による殺人死体遺棄事件が発生しており、当時、私は相生市に張りついていた。もちろん淳くんの失踪事件についても耳に入っていたので、相生から須磨署に「どうなってる?」と状況を確認する電話を入れたりしていました。

相生の事件が解決した後は、すぐに須磨の捜査本部に飛んでいきました。署も編成を組んで捜査しているものの、特に進展はなかった。26日には公開捜査に踏み切ることになるのです。

「明日は朝一で捜査本部に顔を出そうかな」

遺体発見の前日もそんなことを考えていました。そこに、男の子の首が見つかったという情報が入ってきた。行方不明だった淳くんの存在は、嫌でも頭によぎりました。これはひょっとしたら大変なことになるな——そう覚悟する一方で、何かの間違いであってほしいと祈る気持ちでした。さまざまな感情が入り混じった状態で、現場に向かいました。

中学校の正門前に到着した時には、須磨署の署員が何人かいて、すでに現場はテントで覆われていた。何よりもまず、犯人検挙のために最も重要となる現場保存、刑事部長や県警本部長への報告、広域での緊急配備を優先しました。

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友が丘中学校の正門

急ごしらえの安置所

今でこそ警察署には霊安室が設置されるようになりましたが、当時はそんなものなくてね。須磨署の駐車場の一角に囲いだけで急ごしらえの安置所をつくって、そこに淳くんの遺体を置かせてもらいました。正午前には淳くんのご両親が到着され、お父さんに淳くん本人かどうかを確認していただくことになった。私も確認に同行しました。その時、発見されていたのはまだ頭部だけです。須磨署の方が気を遣って、顎から下にブルーシートをかけ、下の部分を隠してくれていた。そうして、体があるかのように見てもらってね……。身元確認を終え、お父さんから調書にサインをいただき、遺体はすぐに司法解剖へと回されました。

同日午前8時には、兵庫県警捜査一課が須磨署に捜査本部を設置している。

捜査本部が設置された須磨署の5階には朝礼をおこなうための大きな会議室があって、3月に同区竜が台で通り魔に殺害された山下彩花ちゃん事件の捜査本部が先に設置されていた。その会議室に、淳くんの事件の捜査本部も新たに入ることになりました。彩花ちゃんの事件もAによる犯行でしたが、この段階では2つの事件に関連があるとは考えられていなかった。それぞれの本部が個別で、捜査を進めている状況でした。

本部には200人近くの捜査員が集められ、聞き込み班、捜査班、声明文等分析班に分けられました。その他にも、県警本部長が特に力を入れて作ったのが「警戒班」だった。犯人が捕まっていないなかで、これ以上犠牲者を出さないようにと、現場周辺の警戒にあたる班です。大阪府警と京都府警から応援を呼び、合計600人ほど投入されていた。その頃は現場周辺の地区を少し歩けば、すぐ警察官に出くわすような状況でしたね。被害者が少年だったため、少年係との連携も密にとりました。

捜査員は総勢800人を超える大所帯でしたが、上司に頼んで、私直属の「特命班」をつくることにしました。死体を専門に見る刑事調査官を一人、科捜研で医学博士の学位を持っている先生を1人、2人の人材を借りてきて、プロファイリングの作業を進めることにしたのです。

酷似する2つのケース

「特命班」による分析では、いくつか注目すべきポイントが上がってきていました。

まず、現場周辺の環境についてです。1970年代に神戸市営地下鉄の西神線が開通したことで、須磨区は神戸市中心部にアクセスがよくなり、友が丘周辺に6つほどの団地が立ち並ぶなど、ベッドタウンとして発達していきました。

さらに阪神淡路大震災の後、他の地域から多くの住民が流入。震災後のストレスも重なり、当時は非行に走る子供が多くなっているとのことでした。シンナーを吸うなど、非行を繰り返す不良グループがいくつかある、と。

このような須磨区の地域性、通り魔的犯罪、子供が被害者であるという点。3つの要素を踏まえ、警察庁から100件くらいの資料を取り寄せました。資料を検証していくと、淳くんの事件と酷似するケースが2つあった。一つは、昭和56年に札幌市内の団地で4歳児が刺されて重傷を負った事件で、犯人は13歳の少年。もう一つは、同じ昭和56年に、東京足立区であわせて4人の少女が団地内で相次いで切りつけられた事件で、犯行は小学6年の男子生徒によるものでした。

さらに、情報収集を続けていた科捜研の先生のもとに、アメリカの科学者から有力な見解が寄せられていました。その科学者はドイツの科学誌の内容を示しつつ、「被害者が精神的な遅滞児童である場合、犯人は被害者の信頼を得るために長い期間を必要としたはずで、したがって犯行時には犯人と被害者にはなんらかの友好関係ができていたはずだ」と説明したといいます。淳くんは知的発達の面で遅れがあり、一緒に遊ぶ年齢といえば同世代が基本です。

これらの情報から、少年捜査を意識せざるを得ませんでした。

〈汚い野菜共〉

プロファイリングにおいて特に注目したのは犯行声明文の内容でした。淳くんの口に咥えさせられていたものです。

犯行声明文には赤いインクが使用され、直線的な文字で書かれていた。

〈さあ ゲームの始まりです
愚鈍な警察諸君
ボクを止めてみたまえ
ボクは殺しが愉快でたまらない
人の死が見たくて見たくてしょうがない
汚い野菜共には死の制裁を
積年の大怨に流血の裁きを

SHOOLL KILLER
学校殺死の酒鬼薔薇〉(原文ママ)

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これはちょっと特徴がありすぎるな——文章を読んで、そのような感想を持ちましたね。

「これと似たような文章、言葉の引用があるはずや。探してみてくれ」

刑事調査官にはそのように指示した上で、科捜研の先生には文章をもとにした犯人の性格分析をお願いしました。

特に声明文では、「野菜」という言葉が気になった。これは犯人の属性を示す重要なキーワードになると。特命班からも、野菜は「植物人間」や「障がい者」の比喩であると考えられ、犯人の関心もそこにあるはずだという指摘があがってきました。

ただ、先入観をもちすぎると、大事なことを見落としてしまう。プロファイリングに偏りすぎるのではなく、捜査の“鉄則”である現場周辺の洗い(聞き込み)は、人員の8割以上を投入しておこないました。

被害者の属性、当日の足取りについては徹底的に洗っていく。特に、学校関係者への聞き込みには力を入れました。学校の校歌やその由来まで、とにかくいろんな資料も貰いましたね。他にも過去に職務質問をした人間や前歴者。怪しいと感じたものは全て洗ってもらいました。

捜査本部には大量の電話がおかれ、地域住民から不審者情報を集めていました。それに加え他府県の県警からもよく情報が入りましてね。なぜか島根県からが一番多かったと記憶しています。こうした不審者情報は、捜査三課の警部を専属にし、分析させていました。

プロファイリング、現場の洗い、情報収集。これらの基本的なことを疎かにせず、犯人像の“物差し”をつくっていったということです。

「黒いゴミ袋を持った中年男が、友が丘中学校の北通用口付近をうろついていた」

「黒いブルーバードが付近に停車しているのを見た」

淳君が消息を断ってから遺体が発見されるまでの間、現場付近ではこのような目撃情報が相次いでいた。そのため、テレビや全国紙などのマスコミは「中年男」の犯人像を盛んに報じていた。

実は、Aの名前はかなり早い段階から、捜査線上に浮上していました。

淳くんの頭部が発見されたのは5月27日の午前6時半頃でしたが、同日の午後3時には、殺害現場となった「タンク山」から淳くんの遺体が発見されました。その頃にはすでに、Aの名前が私まで上がってきていたと記憶しています。たとえば、住民から匿名で、「Aが犯人だ」と名指しでの情報提供がありましたね。証拠や根拠のない情報でしたが、そういうのが意外と重要なのです。

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「タンク山」の慰霊碑

情報共有は6名だけ

「Aがクロで間違いない」

プロファイリングの件もあり、捜査が始まった頃からそう考えていたのが、正直なところです。ただ、「中年男」や「ブルーバード」など、他の可能性を一つずつ潰していく必要がある。全ての人が納得できる捜査資料を作らなければ、裁判所の信用は得られず、逮捕や起訴もできません。Aの存在は頭の片隅に置きつつ、基本に沿って捜査を進めました。

捜査をするうえで、もっとも気を遣ったのが、保秘の徹底とマスコミ対策です。仮に犯人が少年だった場合、社会に与える影響は計り知れず、慎重に行動する必要があった。ちょうど同じ年の5月、奈良県の月ヶ瀬村で女子中学生が行方不明になる事件が発生しましたが、マスコミが被疑者を逮捕前に特定し、テレビ各局が被疑者の自宅周辺で張り込む騒ぎに発展していました。

「あんなふうになったら、この事件はアウトや。潰れてしまう」

そう考えて、警察内でも情報共有はごくわずかな人間に限定したのです。

通常の事件の捜査本部では、朝礼などで捜査員全員に情報の共有を図ります。この事件では犯人が少年である可能性を念頭におき、専従チームのメンバーのみで情報管理をおこなっていました。チームが出来たのは捜査本部を立ち上げてから1週間ほど経った頃です。メンバーは、刑事部長、捜査一課長、捜査一課調査官、友が丘・竜が台両事件の捜査主任官、須磨署刑事課長の6名だけでした。会議の場所は適宜変更しながら、短時間で済ませる。そこまで念を入れて行動していました。

県警本部長は毎日のように捜査本部を視察したがっていましたが、私が県警本部に出向いて定期的に捜査情報を報告することで、あまり動きを目立たせないようにした。そうすることで、捜査員やマスコミに異変を察知されないようにしました。

また、外部から情報を受け取るための電話機やファックス、複写機などは、私の目の届く範囲内に移動させました。捜査本部には、他の部署から応援にきている捜査員も多かった。誰がいつ、どこで、何の情報を持ち出すか全く予想できない。特に同僚同士のやり取りには、細心の注意をはらっていました。

前歯を折られた同級生

捜査本部には、Aについての情報が次々と寄せられました。

淳くんのご両親側からは「2人が一緒にタンク山に遊びにいっていた」という話が出てきていたし、Aに殴られて前歯を折られ、ナイフを突きつけられた同級生がいることも分かった。A自身の経歴についても調べていくと、幼い頃から病院の精神科に通っていたことも分かった。通っていた学校からは本人が書いた作文や絵も取り寄せましたが、なかでも彼が彩花ちゃんの事件後に書いた作文「懲役13年」という文章は、猟奇殺人に関係する本からの引用も見られ、大変参考になりました。

さらに、事件現場周辺には、知的障がい者のための施設が3カ所ほどあったのですが、そこに通っている人を「Aがなじっていた」という目撃証言もあった。

これらの情報から、Aの“特異性”がくっきりと浮き彫りになってきたのです。逮捕に向けた捜査がだんだんと煮詰まっていきました。

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