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ぜいたくの対義語|中野信子「脳と美意識」

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※本連載は第33回です。最初から読む方はこちら。

 社会が危機的な状況になると、不思議なことに、ぜいたく品(必需品でないもの)を消費する人に対しての視線に、より多く冷たいものが混じるようになっていくようだ。贅沢は敵だ、とでもいったところか。高い服を買ったり、宝飾品を買ったり。

 宝飾品もハイブランドの服も売り場が閉まってしばらく経つ。映画も美術展もダメ。三密を避けて注意深く営業しますと劇場だけは開けるけれど、ちぐはぐな方策に右往左往させられてしまったり、違和感を感じたりした人も多いのではないだろうか。対照的にドイツでは感染拡大時早々に政府が「アーティストは必要不可欠であるばかりでなく、生命維持に必要だ」として、政府が多額の支援を文化セクタに投入することを発表して、世界的に注目を集めた。

 ところで、ブランドを身に着けている相手に対しては、被験者が無意識に、身に着けていない相手に対してよりも協力的に振る舞った、という研究結果がある。具体的にはより多くの金銭を与え、より好意的に振る舞ったのである。

 この研究を紹介したところ、「人は見かけじゃない!」「あなたは心が汚い!」といった感情的なコメントが複数、寄せられた。冷静に読もうとする読者ばかりでないのにはいささか辟易した。私が人をそう判断している、とは一言も書いていないし、むしろこのような実験結果があると知っていることで、より自分が偏見を持って人を見ているかもしれないということを常に注意して振る舞おうと気を付けている、と思ってはもらえないようで、これは実に残念に感じられた。

 おそらく、コメントを寄せた方々も「見かけじゃない!」とわざわざ感情的にならざるを得ないくらいには、それまでの人生において見かけで判断されてきてしまい、そして悔しい思いをし、その経験をいまだに忘れられず、解消もできていない、ということなのだろうと想像はできる。黒い感情を長年、自分で処理することができずに抱え込んでおくのは、つらいことだろう。

 とはいえ、脊髄反射的な暴走を許す、やや貧困な自制心、いささか乏しい理解力、見ず知らずの相手に対する不躾な物言いをしてしまう、そう上品とは言えない振る舞いについては、酌量の余地があるとは思えない。

 ハイブランドに対しては、これらにあまり触れてきていない人のうち、一定の割合の人が、妬み交じりの批判をしたり、嫌悪感を感じたりするようだ。「贅沢」を体現するブランドに対して、ネガティブな感情を惹起される人がそれなりにいるというのは興味深い。

 こういった事象は、どれほど定量的に計測されているのだろう。

 ハイブランドのものを積極的に身に着けることを好むタイプがいる一方で、理由のない反感を持つタイプもいる。

 反感を持つ人の言い分は、だいたいこんな調子だ。贅沢をするのは成金くさくてカッコ悪い、目立とうとしているのがダサい、見せびらかすのは下品だ、ブランドを身に着けるほど本人の自信のなさが目立ってイタい……等々。

 こうした声はずっとあったのだろうか。ココ・シャネルの声は実に鮮やかに胸に突き刺さる。

Le luxe, ce n’est pas le contraire de la pauvreté mais celui de la vulgarité.

 贅沢(リュクス)は、貧しさの反対語ではなく、卑しさの反対語なのよ。

 ともすれば我々は贅を尽くすだとか、贅沢をすることを、無意識に品のないことだとカテゴライズしてしまうようにできている。人間は、どうもそうした認知構造を持っているらしい。とはいえ、自動的に品のないことだと処理しようとしてしまうのは、本当の贅沢をそれまでの人生において知らなかったからということでもあるだろう。

 ただ全身ハイブランドでゴテゴテと飾るようなことがリュクスかというと、そういうことでもない。むしろそれは大方の批難の通り、成金趣味のようにも見え、時には恐ろしくダサくなってしまう。資金だけがあっても、洗練された趣味や知的な戦略が感じられなければ、ただ自身の経済力に負けている姿をさらしているだけになってしまう。その無教養さに卑しさが感じられるとき、人はそれを軽蔑するのだろう。

 我々は、知性を感じないものに対してそれを見下すという性質を持っているようでもある。ハイブランドへの支持も反感も、同じ反応の表と裏なのかもしれない。とするならば巡り巡って、高い技術だけを持つ、戦略のない作り手については敬意を持って扱わないというグローバルな傾向も、ごく自然な流れのように思われる。ただ世界的にそういった前提があるほどには、日本ではその傾向は薄いか、または反転しているのは奇妙で、実に興味深い。

(連載第33回)
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■中野信子(なかの・のぶこ)
脳科学者。東日本国際大学特任教授。京都芸術大学客員教授。1975年生まれ。東京大学工学部応用化学科卒業、同大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。医学博士。2008年から10年まで、フランス国立研究所ニューロスピン(高磁場MRI研究センター)に勤務。脳科学、認知科学の最先端の研究業績を一般向けにわかりやすく紹介することで定評がある。17年、著書『サイコパス』(文春新書)がベストセラーに。他の著書に『ヒトは「いじめ」をやめられない』(小学館新書)、『シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感』(幻冬舎新書)など。※この連載は隔週土曜日に配信します。


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