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「フジテレビ経営陣にはこうあってほしい」元“めちゃイケ”P明松功氏が同期の“なぜ君”大島新監督に告白した「本当の退社理由」

業界を騒然とさせたフジテレビ社員大量退職のニュース。約100人が早期退職制度に手を挙げたことが報じられた。中にはフジテレビの黄金期を築いた有名社員や人気アナウンサーも含まれていた。

そのひとりが、明松功氏(51)だ。2018年に終了した土曜日の名物バラエティ「めちゃ×2イケてるッ!」のプロデューサーだった。恰幅のよさと独得のキャラクターで、自ら出演する“ガリタ食堂”などの人気コーナーも手掛けた、名物テレビマンだ。

フジの王道を歩んできた明松氏の退社は、テレビ業界の現状を象徴する“事件”と言える。明松氏はなぜ退社という決断をしたのか。映画「なぜ君は総理大臣になれないのか」などで名高いドキュメンタリー監督の大島新氏が、明松氏に2時間のロングインタビューを敢行した。

大島氏もフジテレビOBで、明松氏と同期の95年入社。友人だからこそ聞ける、明松氏の本音に大島監督が迫った——。(前後編の後編。前編から読む

片岡飛鳥に相談すると「わかる。俺もそうだったから」

大島 営業に異動って、すごく大きな転機っていうか。それまでは制作畑に20年いたわけじゃない。明松はどう受け止めたの?(※2016年7月に明松氏は人事異動で営業へ)

明松 最初は受け止めきれなかった。これは人生で初めてなんだけど、目的もなく酒場に出てひたすら飲むぞ! っていうことで3日ぐらい飲んでたな。「こういうのって、サラリーマンっぽいな」と思いながら。気持ちに整理がつかなくて、飛鳥さんに相談して「会社を辞めようかと思ってるんですけど」と言ったら、「気持ちは分かる」と。飛鳥さんも一度バラエティを離れてコンテンツ開発の部署にいたことがあって、自分にその経験があるから「わかる。俺もそうだったから」って。だけど「辞めようと思ったらいつでも辞められるけど、コンテンツに行ったらそれはそれで勉強になった。これまで見られてない景色が見られたんだ」と。

「ガリタ」こと明松功さん」

「ガリタさん」こと明松功氏 ©KAZA 2 NA

「営業に行きたくないという気持ちは分かるし、切られたみたいな気持ちがあるのかもしれないけども、自分の幅を拡げるために、営業の現場を見るのは俺は良いと思う。あとは自分で決めな」みたいなことを言われて「じゃあ1回、違う景色を見ますね」ということで、そのタイミングで辞めることなく踏み止まった。

大島 2016年っていったら45歳か。いろいろ考えるよな。

明松 「なんで」っていう説明が、バラエティからはなかったから。「俺ってそんなに使えない?」って思っちゃうみたいな。で、営業に行ったら行ったで「なぜお前を欲しいと言ったのか」っていう理由を言ってもらえたわけ。プロパーの営業マンっていうのは番組の話ができないから、テレビの作り方っていうのを局内外に伝えてほしいっていうことで。で、それによってスポンサー筋にフジテレビのファンを増やしたいんだと。それで、ぶっちゃけ言うと「お前の知名度がほしい」と。

「テレビ局の経済」がようやくわかった

大島 わかるわかる。俺がテレビ局の営業の上層部だったら「明松いいな」って思うよ。キャラがインパクトあるし(笑)。

明松 俺はなんやったら他の人よりも、楽勝で番組に貢献しているという自負があったので「なんで俺を切るんだろう?」っていう、懐疑というか不満があった。けど営業の人はちゃんとそこについて言ってくれて。だから「客寄せパンダだわ。最後は」っていうところも言ってくれたのが好きになって。

大島 正直な発言だな、「客寄せパンダ」っていうのは。

明松 そうそう。言ってくれたほうが楽だし。

大島 実際にもう、その時点でテレビの出演者として、ある種の著名人というか、そういう感じだったもんね。

明松 そう。だからちょうど、スポンサー企業の広報部長とかマーケティング部長みたいな人たちが、同世代とか少し下の年代で、「めちゃイケ見てました!」みたいな感じで。それはデカかったね。スッと入っていけた感じ。

大島 最初は嫌だったけど、すぐになじんだわけだ。

1984年には年間売上高でキー局トップに。視聴率でもゴールデン・プライム・全日・ノンプライムでトップの「4冠王」を獲得した

1984年には年間売上高でキー局トップに。視聴率でもゴールデン・プライム・全日・ノンプライムでトップの「4冠王」を獲得した

明松 営業の上の人も「バラエティの一線級の人間が営業に来るっていうことは今までになかったことだから、そういう人間が来たら営業にどういうことが起きるか? っていうことにチャレンジしてほしいんだ」と。で、「それが成功したらどんどんそういう交流が活性化されていくから、その成功例をお前に作ってほしい」みたいなことを言われて。

大島 いいこと言うねえ。

明松 それで俺はスッゴイやりやすくなって、見たことがなかった景色も見えて。「ああ、テレビ局ってこうやってお金をもらっていて、経済が回ってるんだ」って。スポンサーとテレビ局の関係性すら、バラエティ時代はあまり解ってなかったからね(笑)。

大島 ははは。バラエティの番組屋っていうのは、本当に職人集団だよね。世の中の仕組みとか、あまり見てないっていうか(笑)。それだけピュアにモノ作りをしてたっていうことだよな。

“視聴率三冠王”という言葉がある。そのチャンネルの人気を測る大きな指標であり、民放にとってはCMの売り上げに直結する極めて重要な数字である。それだけに、各局はトップを目指して鎬を削る。フジテレビは80年代から90年代前半まで民放局の中で12年連続三冠王を記録。その後10年間日本テレビにその座を譲ったものの、2位をキープした。2004年に三冠王を奪還し、7年連続で王座に。しかし、2011年に日本テレビにその座を明け渡してからは、一度も三冠王を達成していない。それどころか、近年は3位や4位という、かつては考えられなかった順位が続いている。

私がフジテレビが「なんだかおかしいぞ」と感じ始めたのはいつ頃だっただろうか。2005年の、ライブドアによるニッポン放送買収騒動は、一つの転機だったような気がしている。ことの是非はさておき、攻めるホリエモンと守るフジテレビという構図の中、常に新しいことにチャレンジする若々しさが売りだったフジテレビが、「守旧派」のように見えてしまった。その頃から、古巣の仲間たちから「会社の雰囲気が良くない」といった話が聞かれるようになった。

もう一つの大きな転機は、2011年の東日本大震災だったと思う。震災以前と以後で、社会の空気は大きく変わった。フジテレビを象徴する名コピー「楽しくなければテレビじゃない」が、明らかに時代と合わなくなっていた。さらに、映像コンテンツの多様化が、じりじりとテレビ局の優位性を減じさせていく。

 テレビの地位がやっぱり落ちてきているんだな

大島 明松が営業に行った2016年、その辺りからフジテレビに限らず、地上波テレビっていうシステムがだんだん下がってきて。それは今も続いているわけだけども、そういうことを営業の現場でも目の当たりにすることはあったの? 単純に言えば広告費が下がったとか、スポンサーがなかなかつかない、とか。

明松 あるね。例えば「めちゃイケ」が絶好調だったときは、CMの全枠が売れて「待ち」が出るみたいな状況があったと。そういう過去の話を先輩から聞いて驚いた。

大島 「待ち」というのは、スポンサーがCM枠の「空き」を待ってるわけだね。

明松 それだけ人気があると、どこか別の枠を買ってくれたら、空いた時にすぐに入れるよとか、そういう取引もできるわけ。「“まずは”で、どこかを買っておいたら整理券をもらえるよ」みたいな、そういう攻めの商いをするわけ。強くて絶好調のときには。視聴率も20%超が普通だったし。そうしたら皆が「めちゃイケほしいのに」とか言いながら、違う枠を買ったりして順番を待っている。

大島 すごい話だな……同じテレビマンでも、俺はぜんぜんそういう経験をしてないから。ドキュメンタリーって、視聴率はせいぜい6~7%で、それでも「よくがんばった!」みたいな世界なんで。

ガリタ食堂の栄養士・ガリタガリ子としてプロ野球ヤクルト対阪神の始球式を務めたことも

ガリタ食堂の栄養士・ガリタガリ子としてプロ野球ヤクルト対阪神戦の始球式を務めたことも

明松 そういう売り手市場というか、フジテレビの営業が強い時代にはそうだったんだけども、「今はそうじゃないから、どうしていこうか」ってなってた。SNSやネットメディアが強くなってきたので、セット売りというか、地上波の広告だけじゃなくて、「これもついてきます。SNSでこういう発信をします」とかっていう、地上波以外の力を借りたセールスをちょうどやり始めたタイミングだった。で、そういうことに触れると地上波テレビの地位がやっぱり落ちてきているんだなって思い知らされて。

それは世の中の流れだからしょうがないし、受け止めるしかないんだけども。そんな背景もあって、各テレビ局の営業による大喜利合戦が始まるわけ。「スポンサーが喜ぶオマケって、どんなの?」って。「ウチは、他局が思いつかない素敵なセット販売をご用意しています」っていうアイディアを、各局の営業マンは代理店と一緒に考えるのよ。

大島 明松がそんなことをやってる姿は、ちょっと想像がつかないな。

営業マンとしての明松は、制作者だった経験を生かして番組と広告を連動させた仕掛けを考案した。「突然コマーシャルドラマ」と銘打った、物語の中に広告が練り込まれた番組で、役者のセリフが突然ある瞬間から一定時間、広告的内容に変化するのだ。いわゆる「ステマ」とは異なり、番組冒頭から「どこで何のCMが入るのかもお楽しみください」と逆に言い切った。普段はスキップされがちなCMを見たいと思わせるギミックが話題となり、2018年のACC賞メディアクリエイティブ部門ブロンズ賞を受賞する。まる5年間「違う景色」を見ながら奮闘した明松は、2021年7月に古巣のバラエティに復帰した。ところが直後に、新型コロナウイルスに感染し、一時は重篤な状況に陥ったという。そしてその数カ月後に、早期退職者の募集が行われた。

大島 早期退職者募集の話は、人事から発表された?

明松 メールが……違うな、なんか早期退職者募集って、ネットニュースになっていた。

大島 先に?

明松 でも、パッとメール見たら直前に送られてきてた(笑)。

大島 じゃあ、もうすぐにネットニュースに。

明松 なっていた。俺が知ったのはネットニュース。

大島 それは社員への一斉メールということ?

明松 対象者だね。

大島 勤続10年以上で、50歳以上だっけ。明松はそのとき……。

明松 ちょうど50。

大島 それを見たときに「あ」と思ったんだ。

明松 うん、コロナが大きかったんだけどな。去年の夏にコロナにかかって入院して、一瞬だけど、生死をさまよう経験をしたことで、死生観が変わったというか。だから、いつ死ぬかわかんねえなみたいな、そういう思いがあって。もともといつかは独立したいという気持ちもあったので、渡りに船だなと思った。その前の7月に、5年ぶりにバラエティに戻っていて、マネタイズを考えてくれって言われたのね。営業の知見を活かしてお金を産む番組を企画開発してくださいという、そういう役割を去年の7月に言われて。

「楽しくなければテレビじゃない」というキャッチフレーズで1980年代に一世を風靡。「軽チャー路線」とも言われた

「楽しくなければテレビじゃない」というキャッチフレーズで1980年代に一世を風靡。「軽チャー路線」とも言われた

「俺がまた社内を這いずり回らないとダメなの?」

大島 バラエティで、もうひと花咲かせようとは思わなかった?

明松 思ったけどね……マネタイズできそうな番組の企画書を持って編成に放送枠をもらいに行った時に「予算はどれだけ付くの?」ってなって、結局俺が、代理店に「この番組に興味あるお得意(スポンサー)います?」って相談するみたいな。結果、営業でやってたことと一緒じゃねえかっていう(笑)。

大島 なんのためにバラエティに戻ったのか。

明松 そうそう(笑)。「マネタイズするぞ」って、会社の方針をガチャッとギアチェンジしたはずなのに、社内各所を調整するインフラ部隊が存在してなくて、「あ、結局俺個人がまた社内を這いずり回らないとダメなの?」みたいなことに気付いて。新しいことをしないといけないと頭で解っていても、次に進む一歩を全員がお見合いをして踏み出せないっていう、いかにも今のフジテレビっぽい空気にやられた感じがあったな。

フジテレビのことが好きだから、新しいマネタイズの成功例を量産したかったんだけど、なかなかうまくいかなかった。あとは、コンプラかな。叩かれるのが怖くて思い切った企画が通らない。

大島 これはフジテレビに限らずなんだけども、過度に先回りしたコンプラ重視っていうのがあるよね。

明松 勘違いして欲しくないんだけど、コンプラを否定する気はなくて。ただ、コンプラを気にしすぎる上が嫌だ、って正直思った。

大島 いやあ、そこの問題はあるよなあ。世の中全体に。

明松 俺がズッと思っていたことがあって、報道や情報はそりゃ守るよ、コンプラ。でもバラエティも一緒のルールなの? って。だって、報道や情報が向き合うのは「真実」、バラエティが向き合うのは「楽しさ」でしょ。なのに、両者が同じルールって、さすがに無理があるんじゃないのって俺はズッと思っているから。それがスゴい足かせになっているというか。

 「あの番組を見て、私、自殺するのをやめた」

大島 コンプラも一言では言えないからな……報道や情報にしたって、例えば放送された後の取材対象者の人生をどう気遣うか? みたいな、ある意味正しいコンプラと、政権に対して忖度するような間違ったコンプラみたいな、そういうことも一緒くたになったりするからさ。そこはケースバイケースで、作り手がどこまで想像力を持って表現できるかっていうことだと思うんだよね。それについて、番組を作っていない人から「これはコンプラ的に大丈夫か?」みたいなことを言われると、お前が自分の頭で考えろ! って言いたくなる。

明松 2011年の震災の年に、27時間テレビをめちゃイケ班がやったんだけども、被災3県中継っていうことで、俺は宮城県の担当だったの。で、震災2カ月後ぐらいからロケハンをやり始めるんだけども、俺は宮城の沿岸を南から北に何週間もかけて歩いたわけ。被災した人たちを苛立たせないようにそーっと避難所に入って行って、喫煙所で「ライター貸してください」って、ちょっとずつ話を聞きながらロケハンをしてたんだけど、南三陸の避難所で初めて向こうから「あ! ガリタさんだ」って声をかけてもらえて。

で、その人たちから「4月のめちゃイケスペシャルを見て、震災後に初めて笑った」とか言われて幸せな気分に浸っていると、あるオバさんに「あの番組を見て、私、自殺するのをやめた」ってサラッと言われて。それでウワーッとなっちゃった。まさかの言葉に絶句して……それまでは視聴率を稼いでできるだけ多くの人に楽しんでもらうっていうのがバラエティの正義だと思っていたけども、その経験をしてからは、数字なんか取れなくてもあるカテゴリーの人たちに刺さる番組だったら放送した方が良い場合もあるんだって勉強になった。

大島 それはテレビマンとして得難い体験だな……。

台場にフジテレビの本社が移転したのは1997年のこと。同年に東証一部上場を果たす

台場にフジテレビの本社が移転したのは1997年のこと。同年に東証一部上場を果たす

コンプラ重視の空気への違和感

明松 もちろん社会的に「今、バラエティなんか撮ってる場合か」みたいな空気のなかで収録をしたんだよ。だから、コンプライアンスを守るっていうことは大事なんだけども、コンプラを過度に気にし過ぎて腕が縮こまって勝負できないっていう姿勢にもし制作チームがなっていたら、それはそれでスゴいマイナス。後々に暗い影を落とす。「その人、死んじゃうかもしれないんだよ」という思いがある。「だって聞いちゃったもん、俺」っていうのがある。

その過剰なコンプライアンスを気にすることと、そのオバさんが笑ってくれるテレビっていうのは比べものにならないぐらいこっちが大事なんだぞって。だから「お前ら聞いてないかもしれないけども、俺聞いちゃったから、笑わせないとダメなんだからね。お前はテレビの使命をどこまで理解してんのか知らないけども、俺は理解しているから俺の範疇でやらせてくれ」っていう。

大島 そういう思いもあったから、近年のコンプラ重視の空気への違和感があったんだ。

明松 だってねえ……番組を称える声なき声っていうのは、誰も評価しないから。で、ディスりは散々取り上げられて、表に出てくるけれども。番組を作っている当事者としては、声なき声っていうのを本当は聞いてほしいなあと思うね。

決断するまでにかかった「1カ月」

大島 しかし、明松には強い「フジテレビ愛」があると思うんだけど、残って自分なりに会社を変えたいとか、あるいは変えられるんじゃないかとか、そういうことは思わなかったの?

明松 うん……自分の欲を優先したかな。そこに関しては。そりゃあ残って微力ながら貢献したいとも思ったけど、自分が外に出て何ができるかチャレンジしたいっていう欲が勝っちゃったんで。

大島 ちなみに決断するまでにはどれぐらいの時間がかかった?

明松 1カ月。

大島 自分のなかで葛藤もあっただろうし、あるいは家族や仲良かった人に相談したりという時間だった?

明松 だんだん「これ戻ろうとしてないな」って気付くんだよね。最初に、4:6。辞めるのが4、残るのが6。4:6からもう5:5になって、6:4から7:3ぐらいになったら、「あれ、フジに残ろうとしてねえな!」って気付く。その瞬間に「やーめた」っていうことで。

大島 じゃあ、4:6から7:3に行くまでに、辞める理由のほうを探して足していった?

明松 残るという要素を足せなかった。そこはちょっと自分のわがままを通した感じがあって。自分の人生を考えたときに、ここから10年が、勝負の10年って思ってるなかで、会社に残って勝負するのと、外に出て勝負するんだったら、後者のほうが興奮する10年だなと思っちゃった。

お台場への思いは「あるある、ぜんぜんある」

大島 ちなみに明松にとって大きな存在の片岡さんとはどういう話を?

明松 飛鳥さんには年明けに、直接会って伝えた。「エンタメ周りと広告、あとは柄にもなく社会貢献を思いっきりしたいと思っているので、フジを辞めます」って話した。そしたら「最高じゃん!」って第一声で。「社会貢献、最高じゃん!」って。その時は、飛鳥さんはまだ悩んでいたみたいだったけどね。

大島 片岡さんも明松もものすごい時間と労力、熱意を捧げてきたお台場を去るわけじゃないですか。そこは色々と思うところがあるよね。

明松 あるある、ぜんぜんある。こういう選択をしたけども、ここまでの自分のキャリアについて一片の曇りもないし。最高だったし。こういう最高な仕事をさせてもらったことには感謝しかない。お給料もちゃんと貰えて。だからこういう形で外に出たけれども、お声がかかればフジテレビとももちろん仕事をしたいし。外部なりに言えることと、中のときに言えることとはちょっとニュアンスが変わると思うから、それをなんか厚かましく言っていきたいなと思ってる。それによってちょっとでもフジテレビがいいほうに向いてくれれば。意外とそっちのほうが効くんじゃないのかなっていう思いがあるから。生意気だけども。

大島 片岡さんや明松だけじゃなく、他にも第一線で活躍した人が結構やめたよね。おれが衝撃だったのは、数年前の話だけど、さっき名前が出た小松純也さんがNHKやTBSでヒット番組を作ってる(「チコちゃんに叱られる!」「人生最高レストラン」)ことを知って「え? なんでこんなことになってるの?」って。もしかしたら、そういう才能を会社が使い切れなくなったのかもしれないけど、「お台場は大丈夫かな?」って。

 「経営陣」に対する率直な思い

明松 だから、願わくは、お台場についての思いは、社長とまでは言わないけども、いわゆる経営陣に現場の肌感を理解してくれる人がいてほしいということ。やりたいようにやっていいと。その代わり「やりたいようにやっていいと言う俺を裏切るなよ。ちゃんと面白くしてくれよ。責任は俺が全部取るから」って言ってくれる人がいたらね……そうあってほしい。

大島 やっぱり「貧すれば鈍する」なんだろうな。「めちゃイケ」って、お金もそうだし、マンパワーもめちゃくちゃかけてたよね。それこそ命を削るくらいに。ああいうテレビの本気の番組っていうのは、今後は出てくるのかね?

明松 なんで我々スタッフが本気でお金も時間もかけられたかっていうと、めちゃイケメンバーが本気でその人生をさらけ出してくれたからなんだよね。その「人生劇場」を視聴者が、長年応援してくれたわけで。ただ、今後は、まだ才能が開花しきっていない若い演者を視聴者が見守って見守って、成長するのを応援するような番組は、生まれにくいと思うなあ。そんなに付き合ってくれないっていうか、優しくないっていうか、視聴者が。テレビ以外にも楽しいコンテンツが溢れてるからね。

ライブドアによる敵対的買収事件が起きたのが2005年。一時は堀江氏とフジ側が和解したが、2006年に堀江氏は逮捕された

ライブドアによる敵対的買収が起きたのが2005年。一時は堀江氏とフジ側が和解したが、2006年に堀江氏は逮捕された

ニュース、スポーツ、M-1……生放送が増える時代へ

大島 子どもたちは地上波をまったく見ずに、YouTubeしか見ない時代だからね。ところで明松は地上波テレビの今後についてどう思ってるの? 決まった時間にしか見られないっていう放送という形態は……。

明松 圧倒的に、利便性では劣るよね。「いつでも」「どこでも」見られるっていうNetflixとかに対して、テレビは、「決まった時間に」「家で」見てもらわないといけないから。TVerの同時配信が始まったことで「どこでも」のミゾが埋まった感じだけど、番組評価の第1プライオリティが、テレビのリアルタイム視聴率である限りは、「決まった時間に」「家で」の呪縛から解放されていない。

だから、テレビ画面から出てくる情報に対して普段では味わえない興奮を感じさせようとしたら、俺は生放送が増えていくのかなあって。ニュース、スポーツ……エンタメでいうとM-1グランプリみたいなこと。このテレビの前で2~3時間座っていたらスターが生まれるんだぞって言ったら、やっぱり座るじゃないですか。加えてスマホの画面よりもデカい画面という優位性もあるし。

大島 でもそれって、テレビの原点に戻るという感じもあるよね。そこに飛行機が映ってるだけなら誰も見ないけど、「この飛行機が今ハイジャックされています」ってテロップを入れた瞬間に皆が見るっていう、本当にそういうことだよね。あれ言ったの、横澤(彪)さん(「オレたちひょうきん族」などの名物プロデューサー)だっけ?

明松 横澤さん。座学で言われたな、新人研修の。よく覚えているね。でも、そのテロップって、演出論でもあるよね。ハイジャックじゃなくても、テロップ1枚が視聴者をクギづけにする、ということで言えば。やっぱり、演出力ってテレビを救う武器の1つだから、若いディレクターのみんなには満ブリして欲しいな。

「明松くんは何を表現したくて入ったの?」「は?」

大島 新人研修で習った「生放送」「演出力」が、27年経って、今後のテレビを救うかもしれないキーワードって、面白いな。

明松 そうそう、新人研修で思い出したんだけど、俺辞める時の最後の挨拶で大島の話をしたんだよ。「いち早く会社を辞めた同期の大島っていうやつの言葉がずっと残ってた」って。

大島 何か言ったっけ?

明松 研修の時に「あいうえお順」で席が近くてさ、休憩の時にお前に「ところで明松くんは何を表現したくて入ったの?」って言われて「は?」みたいな。「表現?」みたいな。

大島 理屈っぽい、ヤな奴だな。ぜんぜん覚えてないけど(笑)。

明松 「お笑いが好きで入ったけど、そんな崇高なポリシーで入ったわけじゃない」というようなことを言って。おれはもうそれで、「すげえ所に入ってきちゃったな」と思って。

大島 盛ってないか、それ?

明松 いやいや、インパクトが凄くあって。そういう発想をフジテレビに対して持っていなかったから、フジテレビの中にいれば表現していいんだっていう気づきがあった。「めちゃイケ」をやっているときも時々考えたよ。「何表現したいんだっけ? このオンエアは」「今週は何を表現したいんだっけ? めちゃイケは」って思うようにして。

大島 お恥ずかしいですね。

明松 俺の中では、相当大事にしています。

フジテレビ退社後の明松は、営業時代に一緒に仕事をした広告代理店のクリエーティブディレクターと2人で合同会社「KAZA2NA(カザアナ)」を立ち上げ、CEOに就任した。「エンタメや広告、地方創生で、世の中に風穴をあけていきたい」と語る明松の顔は、晴れ晴れとしていた。

私は50歳を過ぎて大きな決断をした同期の成功を願うのと同時に、彼のような人材を失ったフジテレビのことを思った。時代は変わるし、組織も変わる。激変する映像業界の中で「これが唯一の正解」という答えはないだろう。だが経験上、現場で働く人間が生き生きと仕事ができる環境でしか、良いものは生まれないということだけは変わらないと感じている。フジテレビ復活のカギは、そうした場を働くスタッフに提供できるかどうか、ではないだろうか……と、ここまで書いてきたら「フジテレビの新社長に港浩一氏が内定」という一報が飛び込んできた。

「現場の肌感を理解してくれる経営者であってほしい」という明松の願いが通じたわけではないだろうが、港氏と言えば、バラエティの腕利きの演出家だった人物だ。私が知る限り、フジテレビではそうした経歴の社長は初めてであるし、スタッフからの人望も厚いと聞く。港新社長のもとでフジテレビの復活はなるか、注視していきたい。 

大島新_写真

大島新監督 ©ネツゲン


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