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紀子さまと小室佳代さん 1966年、丙午生まれの私たち|酒井順子

眞子さまの母と小室圭さんの母、そして私は同じ年に生まれた。/文・酒井順子(エッセイスト)

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働くことの充実感を知っているプリンセスと、社会に出ずに婚家へ入ったプリンセスという意味において、雅子さまと紀子さまのカラーははっきりと分かれた
▶60年に1度巡ってくる丙午に生まれた女の子は男を食い殺す、といった迷信のせいで、我々が生まれた年は前後の年と比べて、出生率がガクッと下がっている
▶紀子さまと佳代さんという丙午の2人は、タイプは異なるものの、それぞれ並外れた強靱さを備えているように見える

酒井順子

酒井氏

「クリスマスケーキ理論」

川嶋紀子さんと礼宮さまとの婚約が内定したとのニュースが飛び込んできたのは、私が大学を卒業して会社員となった、1989年の夏のことでした。

1989年は、昭和が終わり、平成になった年です。1月早々に昭和天皇が崩御されてから半年余り後、喪中の皇室から突如発表されたのが、お2人の婚約内定という明るいニュースでした。

報道によれば、川嶋紀子さんは1966(昭和41)年生まれで、私と同い年。会社員生活に慣れずあっぷあっぷする毎日で、結婚など思いも寄らなかった私は、同い年の女性がもう結婚するという事実に驚きつつ、テレビで紀子さんを見ていたことを覚えています。

お二人はその翌年に結婚し、「紀子さん」は「紀子さま」となりました。結婚の翌年には第1子の眞子さまが、その3年後は、第2子の佳子さまが誕生することになります。

当時、女性が23歳で結婚することは早婚の部類に入りました。紀子さまの結婚当時、女性の平均初婚年齢は、25.9歳。「女性が25歳をすぎると、売れ残り」というクリスマスケーキ理論は、女性の平均初婚年齢が24歳代だった70年代の話です。

特に東京の、それも4年制大学を卒業した女性に限って見れば、平均初婚年齢はさらに上だったはず。極めて私的な印象ではありますが、自分の周囲にいた東京の大卒女性達は誰も結婚しておらず、だからこそ紀子さまの結婚には「早い!」という印象を覚えたのです。

もう一つ特殊な印象を覚えたのは、紀子さまが就職せずに結婚したという点でした。学習院大学を卒業後、紀子さまは同大学院に進学し、在学中に結婚したのです。

我々が就職活動をしたのは、バブル景気の只中。空前の売り手市場であり、大学生は皆、さほど苦労せずに内定を得ることができました。

さらには我々は、男女雇用機会均等法の施行から4年目に就職した、「均等法第1世代」になります。やる気がある女子学生は総合職として就職し、男子と同じ仕事をすることが可能だったのです。

だからこそ私には、大学院に進学したとはいえ、就職せずに結婚した紀子さまが特異に見えました。語学も堪能な帰国子女だというのに皇室に入るとはもったいない、とも。

クリスマスケーキ理論が生きていた時代の女性は、4年制大学を出ても就職が難しく、特に学習院のような大学においては、卒業後ほどなくして結婚する女性が多かったようです。すぐ結婚しなかった女性達は、結婚するまでの期間を「花嫁修業中」「家事手伝い」といった肩書きで過ごしていました。

紀子さまの結婚は、その時代の女性の結婚のように見えました。

「上つ方は、世間の風に当たった女性とは結婚しないものなのか」

と、私は世間の風を全身に受けつつ思ったもの。

その後、浩宮さまが小和田雅子さんという、世間の風を知る女性と結婚したことにより、「上つ方の好みも色々である」と、私は知りました。働くことの充実感を知っているプリンセスと、社会に出ずに婚家へ入ったプリンセスという意味において、雅子さまと紀子さまのカラーははっきりと分かれたのです。

紀子

秋篠宮妃紀子さま

「嫁業」に徹する

紀子さまは40歳になる直前、悠仁さまを出産します。その時私は、「この方は単なる古風な女性ではなく、実は底知れぬ強さを持っている」と思ったものでした。

雅子さまは、「ハーバード」「東大」「外務省」といった眩しい経歴を背負って浩宮さまと結婚し、皇室に新しい風をもたらしたけれど、婚家に適応することには苦労された。対して紀子さまは、社会を見ずに結婚したけれど、だからこそ迷いなく婚家の色に染まり、「嫁」としての役割に徹したのではないか、と。

下々の世界においても、「個人としての私って?」といった懊悩とは無縁に、婚家の奥底まで躊躇なくダイブする「嫁」がいるものです。女形が本物の女よりも女らしく見えるように、そういった「嫁」は、次第にその家に生まれた人よりもその家の人らしくなり、最後には大きな権力さえ握ることになる。

聖心女子大学を卒業した美智子さまもまた、就職せずに皇室に入った方でした。美智子さまの時代、4年制大学への女性の進学率は、2パーセント台。大学進学は、特別なエリートや上層階級の女性のみがすることでした。大卒女子が就職することはさらにレアケースであり、正田美智子さんもまた、実家から皇室へと嫁いだのです。

結婚生活の中では様々な苦難があったものの、結果的には、婚家において最も「らしい」空気をまとうことになった、美智子さま。しかし美智子さまの時代は、女性は嫁業に徹するのが当然だったのに対して、紀子さまは女性が自己実現を求める時代に育ちながら、古風な方向で自分を生かす選択をしています。悠仁さまを出産した紀子さまに私が改めて感じたのは、時代に流されない強さというものだったのでしょう。

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美智子さま
(宮内庁提供)

強い「ひのえウーマン」

しかしやがて勃発したのが、小室家騒動。眞子さまと小室圭さんの婚約内定報道の頃までは、「やはり紀子さまの娘、自分の道は自分で見つけたのね」と感心していたら、圭さんの母・佳代さんの金銭トラブルが明るみに出て、事態は風雲急を告げることに。

その時に私が衝撃を受けたのは、小室佳代さんが紀子さまと同い年、つまりは自分とも同い年だということでした。映像で見る限りにおいては、失礼ながらかなり年上の人だと思っていた佳代さんもまた、1966年生まれだったのです。

1966年は、丙午の年でもあります。60年に1度巡ってくる丙午に生まれた女の子は男を食い殺す、といった迷信のせいで、我々が生まれた年は前後の年と比べて、出生率がガクッと下がっている。

産まれた人数が少ないので、その後の人生における競争も少なく、バブルもあって、就職活動も楽々。……ということで、我々はバブル崩壊後、「いつまでもバブル気分のまま」「使えない」と言われた世代です。

しかし紀子さまと佳代さんという丙午の2人は、タイプは異なるものの、それぞれ並外れた強靱さを備えているように見えます。この強さは丙午のせいなのか?……ということで、「ひのえウーマン」との特集を組む女性週刊誌もありました。

過去、不倫騒動で話題になったことのある斉藤由貴も小泉今日子も、「ひのえウーマン」。丙午の女はやはり強烈だということで、

「仕事も恋も強気に自分らしく! それが“ひのえウーマン”の生きざまなのだろう」

と、その女性週刊誌には書かれていましたっけ。

小室佳代さんは1966年に生まれ、神奈川県で育ちました。ちなみに8月27日に佳代さんが生まれた15日後の9月11日に、紀子さまは静岡県で誕生しています。

佳代さんは神奈川県内の短大を卒業し、横浜市役所に勤務する夫と結婚します。第1子である圭さんを出産したのは、紀子さまの第1子出産と同じ1991年の10月ということで、2人の人生は奇妙なほどに重なっているのでした。

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眞子さまと小室圭さん

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