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大豆を育てる子ども達に|辰巳芳子

文・辰巳芳子(料理研究家)

夏が盛りの枝豆。塩茹での、ほんのり温かい莢から、次々と豆を口に運ぶ楽しさは、格別のもの。しかし今や、この青々とした枝豆が、大豆と同じものとは知らない子どもが多いとか。

このたび私が監修した絵本『まほうのおまめ だいずのたび』(文・絵 松本春野/文藝春秋刊)は、まず、大豆というこの偉大な豆に、幼いころから親しんでほしいという思いから始まった。

日本人は、大豆と米さえ手放さなければ何とかなる――私のこの信念に、同意してくださる方は多いと思う。枝豆や煮豆としてはむろんのこと、豆腐、納豆、油揚げ、きなこといった加工品。そして味噌、醤油、食用油など、日本の食を、底の底から支えているのが大豆なのであるから。

と同時に、いつか、魚介や肉類からたんぱく質を取りにくい時代が来るのではないかという、そくそくたる予感が、だいぶ以前より私にはあった。人類は、豆に頼らなくてはならない時が来るのではないか。そんな思いから『ことことふっくら豆料理』(農文協)として、世界中の豆料理について一冊にまとめたのはもう30年前のことになる。

大豆はちょっとした、箸の先で突いたほどの穴があれば播けるし、とても育てやすい。こやしも不要。虫もつきにくい。しかも良質なたんぱく質。

ならば、子どもの両掌いっぱい、約100粒の豆を育ててもらおう。その思いで「大豆100粒運動」を創設し、小学校で豆を播き、苗を世話し、収穫するという一連の畑仕事をしてもらうことから始めた。今では全国4万人の小学生が参加し、収穫した大豆は調理したり、豆腐や味噌に加工したりして、みんな揃って食べる。大豆の生育を観察して描く、子どもの絵の生命力にはいつも驚かされる。

この運動を支えるのがNPO法人「大豆100粒運動を支える会」である。志ある農家の協力を得て、各風土の特質ある「地大豆」を継承し、本物の豆腐や味噌をつくる方々とも力を合わせている。農業高校の生徒たちも参加しており、この運動が野火のように広がっていけば、いつか日本は大豆立国するだろう。

「大豆100粒運動」は、「大豆の育て方」を教えるためではない。ひとたび事があれば、自分の才覚で食べるものを用意できる人間を増やしておきたい、との思いゆえ。人間は食べるものを握られてしまったら、いかなる要求も呑まねばならなくなるのだから、食料自給率の低い日本にあって、事は重大だ。しかし、現実に目をやると、大豆増産の促進は単純ではない。日本に大豆を大量に輸出する国々が、容易に許さないであろう。だから、食糧政策ではなく、教育の一環として、大豆を植えてもらおう――。

こう考えついたのは、戦争経験ゆえかと思う。戦時中、垣根の横に、豆を播いた。大豆、いんげん……私のような、何も知らない子どもにも、豆播きができた。そして実った豆を日々の栄養としたのである。

母・辰巳浜子が毎日のように石臼の前に座りこみ、豆や麦を粉に挽き、栄養をあまさず食べさせてくれたことも忘れられない。母はまた、玄米食をバランスよく食するために、味噌に粉鰹や胡麻、こまごまの野菜をひたすら炒りつけた「根性鉄火味噌」を考案した。防空壕に入る不安のなか、この根性鉄火味噌の玄米お結びを持っていることが、どれほど心強かったか。

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