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東京五輪は「簡素化」で開催を実現し、歴史の1ページに記される

2021年夏の開催まで1年を切った延期五輪。コロナの終息の見通しは立っていない。コロナ対策、追加負担、会場……はたしてどうするつもりなのか。オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の武藤敏郎事務総長にすべての疑問を聞いた。/取材&構成・塩田潮(ノンフィクション作家)

五輪史上の汚点になりうる

――7月15日、国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長は、来年7月に開催が延期となった夏季五輪東京大会について、オンライン記者会見で、「安全に開催するための複数のシナリオを検討中」「無観客の開催は望まず」と表明しました。続いて17日、大会組織委員会は来夏の大会の競技日程を発表しましたが、今も世界中で新型コロナウイルスが猛威を振るっていて、開催不能論や中止論、再延期論が飛び交っています。

武藤 来年7月の状況は、正直なところ、誰も正確には見通せません。われわれとしては不透明な状況で仮定に基づく推測や憶測での発言は控えるべきだと思っています。

来年の大会にとって、最大の課題はコロナ対策です。徹底したコロナ対策を講じて、世界中の人々が「そこまで日本が対応しているのであれば東京へ行っても大丈夫」と思えるような安心、安全な状況を作り出したい。

万が一、中止になれば、日本経済に、さらに世界経済に対してもネガティブな影響を及ぼすおそれがあると思います。

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武藤氏

――最終的な決断はいつごろがリミットと思いますか。

武藤 今年10月とか来年3月とかいわれていますが、IOCとの意見交換で、期限を設けるのは適切でないということで一致しています。最終的に必要な重大な決意をするときには、IOC、東京都、国、われわれがよく相談して決断することになると思います。今は、安倍晋三総理とバッハ会長が来年「やる」と決めたわけですから、万全の準備をしていくのがわれわれの使命です。

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IOCのバッハ会長

――中止や再延期を決める最終的な権限は誰が持っていますか。

武藤 最終的な権限はIOCにありますが、実際には、IOC、開催都市の東京、延期を決めたときの事情がありますので安倍首相、組織委員会。みんなで相談することになるのではないか。ただし、今まで中止を前提にそういう議論をしたことはありません。

日本は過去に一度、開催が決まっていた1940年東京大会を返上したことがあります。あのときは第2次世界大戦の直前で、事情が全然違う。今、日本側に返上という議論は全くないといっていい。IOCにとっても、開催できなかったら、五輪史上の汚点になります。人生を懸けてやっているアスリートの人たちに応える必要もあります。

「簡素化」でも充実した大会に

――約1年の延期は今年3月24日に決まりました。IOCと合意した安倍首相はその直後の記者会見で「完全な形で開催するため」と強調しましたが、6月以降、「シンプルな大会に」と簡素化の声が高まっています。

武藤 安倍総理は3月のG7でその発言をしたのですが、当初の計画どおりの大会を、という意味ではなく、コロナ危機を乗り越えて開催する大会、というところに重点があると思います。菅義偉官房長官も橋本聖子五輪担当相も、簡素化と矛盾することではないと発言しています。私もそう理解しています。

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――簡素化論は中止論の高まりを阻止する対抗策だったのでは。

武藤 それは違うと思います。延期で費用がかさむのは間違いない。もともと「五輪に巨費を投ずるべきでない」という主張がありました。延期で費用がかさむなら、当然、簡素化に努める必要があるという思想から出てきたものです。

簡素化は実は組織委員会が提案したのです。6月10日のIOC理事会で延期後の大会をどういう形にするか、東京サイドとしてプレゼンテーションした。組織委員会で議論し、コスト縮減だけでは思想がない、どうあるべきかという哲学が必要ということで打ち出しました。

来年の五輪を「華美なお祭り騒ぎの大会」という旧来と同じ思想でやったら、コロナ問題を経験した世界の人々の理解を得られない。簡素でも、人々の感動が得られるような充実した大会に、という考え方です。

IOC理事会で、安全・安心な環境の提供、費用の最小化と併せて、大会をシンプルなものにと提案し、初めて「シンプリフィケーション」という言葉が登場したわけです。IOCも即座に「いい案」と賛成し、来年の大会の指針に採用されました。
「復興五輪」はコロナで影が薄れていますが、もちろん今までの「東日本大震災からの復興」という目標も全部生きています。そこに加えて、この際、オリンピックの原点に立ち返り、コロナ禍を乗り越えた人々の団結と共生の象徴としての大会に、というのが簡素化の思想です。

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1年延期か、2年延期か

――3月の延期の決定は、安倍首相の提案をIOCが受け入れる形で実現したという経緯ですか。

武藤 そうです。安倍総理がバッハ会長に電話会談を申し入れ、森喜朗組織委会長、橋本大臣、小池百合子東京都知事、それに私も、首相官邸で行われた電話会談に参加しました。総理はコロナの世界的な感染拡大状況を踏まえて、「遅くとも来年夏まで東京大会の延期を」と明言しました。われわれは事前にIOCと意見交換していますが、実はバッハ会長もすでに同じ懸念を持っていたと思うんです。その場で同意された。

あのとき、直前に森会長は総理から相談を受けているんです。森会長から「1年もあるけど、2年もあるよね、という話をした。それに対して、総理は、2年延期すると、もう東京2020大会でなくなってしまうと言って、延期は1年で、と決断した」と後で聞きました。

IOCの顔色を窺う森氏

森喜朗・大会組織委員会会長

――安倍首相の自民党総裁任期は来年9月まで、IOC会長の改選期も来年です。バッハ会長にとっても「渡りに船」だったのでは。

武藤 森会長は「1年延期だと総裁任期と結びつけていろいろと言われる。だから、2年延期も、という話をした」と漏らしていました。

私は延期決定の少し前、ギリシャでの聖火採火式に出席した。そこでバッハ会長から「予定どおり今年やりましょう」と言われた。

その後、急激に事態が悪化したんです。2月や3月の前半は、東京はまだ感染の危機感がそれほどではなかった。バッハ会長は「東京は大丈夫。東京の衛生状態を考えると、十分対応できる」と言っていた。だけど、1週間もたたないうちに、ヨーロッパで急に感染が広がりました。

そのような状況を踏まえて、3月22日の森・バッハ電話会談で、延期を含めて検討し、4週間以内に結論を出すことになった。一方、総理もいろいろと状況を判断し、自分から延期を提案しようと思われた。延期は、要するにやるということです。開催国の意思が大事と言われてそこで決定したのです。

私どもは直前まで、聖火リレーをどうやってやるか、夜を徹して検討していて、最終的に聖火リレーをやめて、車でランタンを運ぼうと決めた。ですが、総理の判断は、聖火リレーが始まる前に延期を決めようということだったと思います。

約1年の延期が決まって、選択肢を検討したとき、夏と春の2案があった。アスリートの準備と選手の選考は、冬はなかなかできない。春から始まります。それが第1点。第2点は輸送やボランティアの確保で、それには夏休みが有望です。第3点はほかのスポーツイベントとのスケジュールの調整です。春はたくさんあるけど、夏はそんなに多くない。コロナの状況も、常識的に考えて、夏になれば改善している可能性が高い。それで夏に、となりました。

来年秋という選択肢も、理屈としてはあったと思う。ただ、22年2月に冬季北京大会があり、21年から準備が始まる。21年夏がぎりぎりと思いました。最後はバッハ会長も「そうだな」ということで、IOCと激論もなく、一致しました。

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スケジュールと会場はそのまま

――五輪を中継するテレビ局からの放映権料はIOCの有力な財源といわれています。特にアメリカのNBCは大スポンサーで、秋の五輪開催だと、アメリカで開かれるほかのスポーツとぶつかるという問題があり、IOCはその点に配慮したのでは、という解説も目にします。

武藤 IOCの中には、あるいはそういう意見もあったかもしれませんが、われわれとの間ではその議論はなかったと思います。安倍総理はそんなことではなく、もっと大きな判断の中で決めました。

延期に伴う追加費用で、IOCも台所事情が厳しくなる。国際競技連盟(IF)や国内オリンピック委員会(NOC)などオリンピックファミリーの財政問題が潜んでいることは分かっていました。

延期は五輪史上初めてで、延期された東京大会はどうあるべきかが次の課題になった。延期決定後、われわれもIOCも同じ発想で同時にタスクフォースを作り、どういうコンセプトで延期後の大会をやるか、議論を始めました。4月16日にIOC、国と東京都の代表、われわれ組織委員会によるエグゼクティブレベルの会議を実施し、ジョイントステートメントを発表しました。

この会議で、競技スケジュールと競技会場は当初の2020年大会と同じ形にする。言いかえれば、変えないという方針を確認した。IOCと日本でサービス水準の見直し、合理化、効率化を共同でやる、延期の影響について議論を進める、来年に向けた大会計画の検討のロードマップを作る、と公表しました。

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――1年延期の決定でいろいろな問題が起こります。まず聖火リレーはどうなりますか。

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