辻田真佐憲

神武天皇とうまく付き合う 辻田真佐憲「〈視聴覚〉のニッポン考」

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※本連載は第2回です。最初から読む方はこちら。

 今回からは、具体的な事象に言及しながら、「健全な中間」を模索していく。最初のテーマは、神武天皇である。そのため筆者は、岡山市の高島に足を運んだ。

 高島は、瀬戸内海に浮かぶ小さな無人島である。定期航路は存在しないため、新岡山港より約200メートル南の沖合にあるにもかかわらず、そこから13キロ近く離れた玉野市の宇野港まで赴き、水上タクシーに乗らなければならない。児島半島を迂回するので、所要時間は30分ほどかかる。

 船長によれば、5、60年ほど前、高島は桜の名所として知られ、地元の人々が大型船で乗り付けて、花見を楽しんでいたという。ただ、現在では工業廃棄物などにより水深が浅くなり、大型船はおろか、小型船でも近寄ることが難しくなっている。

 それゆえ、優れた操船技術の持ち主を雇わなければならず、安くない費用がかかってしまう。それでもあえて高島へ渡航しようと思ったのは、そこが神武天皇の「聖蹟」だからである。

 神話によれば、神武天皇は、日向(現・宮崎県)より瀬戸内海を東進し、大和(現・奈良県)で初代天皇に即位したが、その途上、吉備(現・岡山県および広島県東部)に立ち寄り、高嶋宮なる行宮を営み、数年間滞在したという。

 そして、この高嶋宮の場所こそ、岡山県児島郡甲浦村(当時)の高島にほかならない――。それが、皇紀2600(1940)年に際して行われた文部省調査の結論であった。

 筆者は、高校生のとき『古事記』や『日本書紀』を読み、神話関係の文献を漁るようになって以来、いつか高島に上陸したいと考えていた。そしてついに、そのときが目睫の間に迫ってきた。

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船上より高島を望む。後方は新岡山港周辺。

 そう思うと、戦時中に作られた「船舶隊の歌」の一節が口をついて出た。

暁はゆる瀬戸の海
昇る朝日の島影に
偲ぶ神武の御東征(みいくさ)や……

 当時の人々は、瀬戸内海の島々を眺めて、神武天皇の東征を思ったのだ。

 とはいえ、このような歴史はもはや忘れられている。船長に「高島には、神武天皇が上陸したそうですよ」と振ると、「スピリチュアルとかに興味あるの?」と言われてしまった。

 やがて深度の浅い児島湾に入った。遠くに、高島がぼんやり見える。船は速度を落とし、ゆっくりと、そこに近づいていく。

 船長は、モニターを睨む。酷いところだと、水深が1メートルしかない。まるでプールだ。これではスクリューが傷ついたり、最悪、船が座礁しかねない。船はなんども行ったり来たりして、安全な航路を探った。

 しかし、高島は海に突き出た波止の周辺まで水深が浅く、船を横付けできないほどだった。そのため、舳先から波止に飛び移る以外に上陸の方法がなかった。

 筆者は運動が苦手である。だが、ここまできて、おめおめと帰るわけにもいかない。やむなく、手すりをつたいながら、揺れる船上を歩いていく。舳先より見ると、古めかしい波止は、かなり低く、ところどころ波に洗われていた。

水際に上がる勝鬨や
上陸戦は我にあり
あゝ壮烈の船舶隊

 またもや「船舶隊の歌」の一節が頭に浮かんでくる。

 ままよ。海に落ちないように、エイと前に飛ぶ。案の定、バランスを崩す。つんのめりになる。膝を打ち、さらに両手をぶつける。鳥の糞まみれの、ゴツゴツした波止で手のひらを擦りむく。見ると、泥の間に血が滲んでいた。なんとも幸先が悪かった。

 だけれども、頭を上げると、「神武天皇聖蹟高嶋宮顕彰碑」と書かれた石碑がそびえたっていた。基壇には石柵がめぐらしてある。文部省によって認定された「聖蹟」に共通する様式だ。これを見て、ついに高島にやってきたとの感を強くした。

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 波止に上陸。正面に聖蹟碑。

 海に向かって鎮座する高嶋神社は、高嶋宮址とされている。『岡山県神社誌』によると、主祭神は神武天皇などで、創建は太古に遡るという。

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  高嶋神社。社号標は、1945年に建てられた。

 ただ、その由緒のわりに、管理は行き届いていなかった。波打ち際にはペットボトルなどのゴミが溜まり、手水鉢は壊れて草生し、汚れた手を洗うこともできなかった。

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上/壊れて草生した手水鉢。 下/波打ち際にはゴミが流れ着く。後方は児島湾大橋。

 仕方なく、そのまま拝殿の前に進むと、左手には、皇紀2600年を記念する明治天皇の御製碑が、右手には、昭和天皇の在位60年奉祝参拝記念の記念碑が、それぞれ立っていた。意外とあっさりしたものだった。なにせ約1.2平方キロメートルの島なので、あっという間に見尽くしてしまう。

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 明治天皇の御製碑。皇紀2600年記念。

 神武天皇は、『古事記』によれば8年、『日本書紀』によれば5年、この高島に滞在したという。縄文・弥生時代の遺跡が見られること、海上交通の拠点であったことなど、理由づけは色々あれ、現在では辺鄙な離島以外のなにものでもなかった。

 さて、高島からは撤収もたいへんである。もちろん、船は波止に横付けできない。したがって、こんどは舳先をよじ登らなければならない。

 舳先の手すりを掴み、船に足をかけて、一気にあがる。しかし、濡れた船体に、思わずすべりそうになる。このままでは海にドボンだ。血塗れの手に力をこめて、なんとか船に這い上がった。

 こういうわけだから、高島渡航はおすすめできない。よほどの神武天皇マニアでなければ、割に合わない。

 近年、神武天皇の実在論が一部で盛り上がっている。国会議員のなかにさえ、その信奉者がいるくらいである。

 これをまじめに批判するのもいいだろう。だが、それとは別に、神武天皇とうまく付き合う道があるのではないだろうか。

 すなわち、「神武天皇は実在した」と感涙するのではなく、また「まだ軍国主義を清算していない」と憤るのでもなく、「こんなところにまで謎の記念碑があるぞ」と面白がる立場がこれである。そしてこの第三の道こそ、今日蘇りつつある日本神話を相対化して、それと適切な距離を取るためのもっとも有効な道と思われる。

 このように考えると、日本列島は「オモシロ史跡」の宝庫だ。

 高島より瀬戸内海を西に望んでみよう。すると、この岡山市から広島県の尾道市にかけて、高嶋宮址を自称する場所が点在し、記念碑も立っている。そう、「聖蹟」はひとつだけではない。神武天皇で楽しく消費する旅は、まだはじまったばかりである。

(連載第2回)
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■辻田真佐憲(つじた・まさのり/Masanori TSUJITA)
1984年、大阪府生まれ。作家・近現代史研究者。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院文学研究科中退。政治と文化芸術の関係を主なテーマに、著述、調査、評論、レビュー、インタビューなどを幅広く手がけている。著書に『天皇のお言葉』『大本営発表』『ふしぎな君が代』『日本の軍歌』(以上、幻冬舎新書)、『空気の検閲』(光文社新書)、『文部省の研究』(文春新書)、『たのしいプロパガンダ』(イースト新書Q)、『愛国とレコード』(えにし書房)などがある。監修に『満洲帝国ビジュアル大全』(洋泉社)など多数。軍事史学会正会員、日本文藝家協会会員。


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