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旬選ジャーナル<目利きが選ぶ一押しニュース>――河合香織

【一押しNEWS】「死ぬ権利」はあるか 自己決定と患者の利益の狭間で/2019年12月24日、シノドス(筆者=有馬斉)

使用_河合香織さん写真_トリミング済み

河合氏

 命を選ぶ社会になったのは、医療や科学技術が発達したからだと考えていた。だが「死ぬ権利」についての議論を考えると、必ずしもそれだけとは言えない。背景には自己決定への思いがある。

 スイスでは無期刑受刑者の「耐えがたい苦痛」に対する安楽死の是非が議論されている。日本においては昨年10月、公立福生病院で人工透析の中止を決めた44歳の女性が、透析再開を希望したが亡くなったとして、遺族は病院側に対して損害賠償を求めて提訴した。命を選ぶことに対する社会としての態度が変容してきているように感じる。

 この問題を考える上で非常に有用であると感じたのは、横浜市立大学准教授の有馬斉による記事である。有馬が2019年に出版した580頁に及ぶ大部の著『死ぬ権利はあるか―安楽死、尊厳死、自殺幇助の是非と命の価値』の論考を、わかりやすく提示したものだ。生命倫理の議論はとかく厄介で細かいと思う人にとっても読みやすく、思索の扉を開いてくれるような記事である。

 患者の死期を早めたり、生命を維持しなかったりすることについて、容認したり反対するのにはどのような考え方が根拠にあるのか。これまで蓄積されてきた議論を網羅的に整理し、それぞれに詳細に検討を加え、筆者自身の結論もはっきり述べるアーギュメンタティヴ(論証的)なスタイルを採っているところに魅力を感じた。これまで命の選択に関しては感情論で語られることも少なからずあり、相互に自らの信じる考えを主張して議論にならないこともあったこの分野に、一石を投じるものであった。

 死ぬ権利を容認する場合にもっともよく持ち出されるのは、死にたいという患者の自己決定を尊重すべきだという考えである。また、病気に伴う苦痛から解放されることは患者の利益になること、さらには高額な延命治療を控えることによる経済的な利益に価値を置く意見もある。

 一方、反対する人々は、低所得者や障害者など社会的弱者に延命を諦めて早く死なせるような圧力がかかるのではないかと懸念してきた。さらに、命自体に価値があり、たとえ本人が生きる価値を見いだせないとしてもなお、それを破壊することは命が持つ価値への冒涜だという主張もあると整理される。

 有馬はそれらに対する論証を行っているが、たとえば自己決定を根拠にして、死ぬ権利が容認されることには限界があると結論づけている。個人の自己決定には価値があるが、ときとしてそれよりも優先しなくてはならない重要な価値があり、そのひとつが患者の利益であるという。患者自身の利益を守るために個人の自己決定を否定することは医師のパターナリズムと呼ばれてきたが、現実の臨床ではそれは広く日常的に行われており、非難されるべきではないというのだ。

 たとえば、先の公立福生病院を例にとると、もしも透析を続ければこの女性は数年間生きた可能性があり、終末期とは言えなかった。そのような人に対して、患者の利益を鑑みて、医師が透析中止の選択肢を提案しなかったとしても批判されるものではないように感じる。

 これまで否定的に捉えられがちだったパターナリズムに対し、新たな意味を加えたことが意義深い。もちろん反論もあろうし、それこそが建設的な議論の出発点であろう。感情だけで語ることは危険を伴う。ひとつひとつの論点について丁寧に検討をし、さらなる知の蓄積を行い、社会として議論を重ねていくことこそが、我々が命の選択の是非について考えていく上で必要とされる姿勢だと自戒を込めて感じた。



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