西寺郷太 小説「'90s ナインティーズ」#26
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西寺郷太 小説「'90s ナインティーズ」#26

第四章
End Of A Century

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※本連載は第26回です。最初から読む方はこちら

 1997年春。突如として曲が作れなくなった。最初の CD を年末に発売し、周囲は今の勢いのまま即座にメジャー・デビューすべきと熱気に包まれていた。レーベルのディレクターやスタッフもライブに訪れ、2社が同時に手を挙げてくれている。一つのレコード会社からは英詞を日本語にすること、そしてレコーディングの経験豊富な優れたプロデューサーをつけることが契約条件として提示され僕やメンバーを困惑させた。ただ、後々振り返ってみると言葉の変更に関してはもちろん、我々がリリースした最初のインディー・アルバムはトイレにツバメの巣が出来るほど老朽化したビルのリハーサル・スタジオを使った簡易的な録音。褒められたものではなかったし改善すべきというアドバイスは至極当然だと思う。

「有能なプロデューサーをつける」というアイディアに関しては、「自分達のアイデンティティを守りたい」などと徹底的に拒否をしたのだが、こればかりは巡り合わせの運命のようなもの。実際凄い先輩達に会い、一緒に音楽を作って以降はコロッと考え方が変わるのだが、この時期は頑なに己のピュアネスを信じることしか出来ない。まるで親戚にお見合い結婚を強制されているようで、「いい人を紹介するから会わないか」と持ちかけられるたびに疑心暗鬼になり逃げた。これまで境遇的に熱く褒められたりプランを提示されたりすることに自分は慣れていなかった。2年前までは誰も自分に興味がないのが前提の音楽活動だったのだから。こういう気分のことをマリッジ・ブルーというのだろうか。自分の結婚式の会場や、新婚旅行の行き先が自分の意思以外の多数決で決められたり誰かの意見で捻じ曲げられたとしたら耐えられないはずだ。あんなにバンドを組みたいと毎晩祈っていたのに、あんなにデビューしたいと思っていたのに。これまで反骨心からかとめどなく心の奥底から生まれてきていた肝心の楽曲、メロディや言葉が思いつかなくなった。

 ワーナーミュージック・ジャパンのディレクターで、僕らをメジャー・レーベルにスカウトした渡辺忠孝さんは50代半ばの大ベテラン。海千山千の彼にとっては僕の若さゆえの葛藤もよくあることだと微笑ましかったようで、敢えて明るく接することでコミュニケーションをはかってくれた。呼び出され、渋谷桜ヶ丘の焼き鳥屋でご馳走になった時に彼はこう言った。

「今、アメリカのチャートで一位になってるハンソンの『キラメキ☆MMM BOP』って曲、好きなんだよねー。特に、あのドラムの子、ちっちゃくて元気で可愛くてさー!」

「僕もハンソン好きです。3人兄弟で、16歳、14歳、11歳ってこの前知ってショックでしたよ。若いなぁって……。ドラムの子、小学5年生ですもん、はは」

「あーいうジャクソン5みたいな曲、ノーナだったら出来るんじゃない? この前ライブで見た新曲の『モーターマン』めちゃくちゃ良かったよ。あーいう曲もっと作ってよ」

「あ、ありがとうございます。でも、今、地味な曲ばっかり作れちゃって。期待に応えられそうもないですよ」

「なんで、なんで?」

 自ら東條英機に似ているんだと笑いをとる坊主頭に丸眼鏡の渡辺さんが明るい声で尋ねる。僕はビールジョッキを左手で軽く持ち上げながら答えた。

「最近、初めての印税が入ったんですよ。作詞分は僕がもらって、作曲分はメンバーで5分割したんですが」

「いいじゃない、いいじゃない」

「それで25万円だったんですよ。僕の分で。嬉しくて Gibson の J50 先週買って」

「JTね。いいよね」

「そうなんです、流石ですね、あはは。ジェイムス・テイラーに憧れて。ただ実は最近ずっと曲が書けなくて悩んでたんですけどアコギ買ったら作れることは作れちゃって」

「いいねー、聴かせてよー」

「いや、それがハンソンのアッパーな感じと似ても似つかないアコースティックなデモみたいな曲ばっかりになっちゃって。どう考えても地味なんです。僕自身は気に入ってるんですけどね」

「でもあと2ヶ月でインディーでもう1枚アルバム作るんでしょ」

「そうなんですよ。でもこんなに急かされて曲作ったことないんで正直混乱していて」

 そもそも、バンドやソロ・アーティストにとってのファースト・アルバムとは、それぞれがティーンの頃から思い描いた夢や願いを純粋に結集させ、溜まりに溜まった特別な果汁を思う存分絞り切ったような作品なのだ。しかし、2枚目以降は絞り切ったその状態から、さらに周囲の期待を超え、そして何より自分自身を納得させる作品を作りあげなければならない。

「渡辺さんにお聞きしたいことがあるんですけど」

「何?」

「渡辺さんってレコード業界に長くいらっしゃって。アメリカでも暮らされていて」

「そうだよー」

「一番好きな音楽とかアーティストって誰なんですか?」

「僕はねー、うーん……。『ヒット曲』が好き! 今はだからハンソンが好き、ははは。新しいの好きだから」

 ザ・スパイダース、ザ・テンプターズといったGSサウンドに始まり、フラワー・トラベリン・バンド、野口五郎、僕も大好きだったC-C-B、そしてフィッシュマンズとも関わってきたという幅広いキャリアを持つディレクター渡辺さんが生来持つ屈託のない明るさには何度も救われた。しかしプロになること前提の曲作りにまだ慣れていなかった僕は、少しずつ多くの人が関わることで自分の大切な何かが汚されていくような悲しい想いも消せなかった。

 この時期、僕は京都から高校を中退し上京してきた6歳年下の弟・阿楠と暮らすために高円寺のワンルームから学習院下駅そばの新居「アドニス・パセニア」に引っ越していた。2DKのマンションの一部屋をスタジオにし、一部屋に布団を敷いて寝る。ダイニングにはテーブルも置けたのでメンバーもこれまでより集まりやすくなった。ある夕方、僕はこれからバイトに向かうというドラマー小松シゲルと一緒に高田馬場駅まで歩く途中、神田川に架かる高戸橋を渡りながら彼に対して思わずこう呟いていた。

「なぁ……、小松。俺もう枯れてしもたわ……」

「え?」

「俺の曲作りの才能は『SIDECAR』で枯れ果てたかもしれんー……」

「早いな、あはは。まだ1枚目じゃん。どうなの、それ。これからどんどん予定あるじゃん、ふふ」

「笑わんといてくれよ。真剣に悩んでんねん。真剣に、悩んでんねん……」

 小松は一端足を止めマイルドセブン・ライトに火をつけると、深く吸いこんだ。そのまま2人とも黙って高田馬場駅まで歩き続けると、早稲田通りの道端でやけに元気なホームレスが声を上げメガホンを叩きながら駅前で拾い集めた週刊誌や雑誌を売っていた。

「週刊文春、本日発売! 綺麗な本あるよー! ジャンプもあるよー! お兄さん達、どう!?」

 普通の書店員よりもエネルギッシュに声がけするその姿に僕らは笑ってしまった。僕は言った。

「普通に本屋で働いても出世するな。あのオッサン」

「あれ、元手ゼロだから結構稼いでるでしょ」

 小松も笑った。高田馬場駅前の待ち合わせ場所として使われるビル BIGBOX の前は、例年と同じように新入生を集めて騒いでいる大学サークルの若者達でごった返していた。1年留年し5年大学に通っていた小松も春には大学を卒業している。僕らは若さのギリギリの淵にいた。もう学生ではなかったし、モラトリアムの終わりはすぐそこだと痛いほど知っていた。東京に上京して来て間もないであろう不安と希望に満ちた10代の新入生たちの姿を眺めながら2人で並んで煙草を吸った。

 しばらくしてTBSテレビでのバイト「報道局テレビニュース部・C班」に向かう小松と別れた。24時間若者が交代しながら常駐し臨時ニュースなどが生じた時の混乱に備えるその仕事は、緊急事態が起こらない場合は比較的暇な割に待遇がいい。バンドマンや劇団員志望の仲間も多くなにやら楽しそうだった。僕はカズロウに久しぶりに会いにいく約束をしていた。年末のバンドのリリース・イベント以来だから半年は経っているだろうか。ほぼ毎晩下北沢で飲み歩いていた仲間達もそれぞれの道を歩み、よっぽどのイベント以外で会うことはなくなっていた。最初に出会った2年前には美容師見習いとして修業をしていたカズロウ。彼は今、結婚し子供も生まれ先祖代々続く和菓子屋「さくら庵」を継いでいる。彼の両親が作り続けてきたみたらし団子や「こし餡」饅頭の基礎を学んでいる段階だそうだ。話があるから会いに来てほしいと携帯電話が鳴ったのは数日前だった。渋谷まで山手線に乗り、東急田園都市線に少し迷いながら乗り換え桜新町駅すぐそばの「さくら庵」に到着すると、赤ちゃんを背中におんぶしたマイカが軒先でみたらし団子を焼いていた。

「あーー! ゴーータくん、久しぶりー! 来てくれたの?」

「久しぶりー! 赤ちゃん、あー、可愛いなぁ」

「あーー、嬉しい。お母さんー! ゴータくん来てくれたよー」

 僕は上機嫌のカズロウのお母さんに勧められるまま焼きたてのみたらし団子とおはぎを食べた。実は子供の頃からあんこが苦手だったのだが、中の餅米がともかく美味しい「さくら庵」のおはぎはすでに大好物になっている。

「マイカちゃんが赤ちゃんおんぶしてみたらし団子焼いてるなんて、新鮮やわー。男の子やんな」

「うん、この子ね、哲朗って名前なの。カズロウにお願いしてね。お兄ちゃんから『哲』の字もらったんだ」

「そうか、哲平さんから」

「そう。嬉しかった。今、わたし大変だけど楽しいよ。カズロウ、お得意さんに届け物行っててすぐ帰ってくるから、待っててね」

 割烹着を着て甲斐甲斐しく働くマイカの姿は、儚げなムードを漂わせていた下北沢での日々に比べて生命力に満ちていて、女性の変化のスピードに僕は素直に感動してしまった。ただし、その温かく幸せな想いは店に戻ってきて僕に右手を軽く上げたカズロウの思い悩んだ表情でかき消されてゆく。

「よく来てくれたよ……。ちょっとゆっくり外で話してくるわー」

 カズロウは両親とマイカに声をかけて、僕に合図をした。みたらし団子が皿にまだ一つ残っていたが、彼の纏う不穏な勢いにつられて慌てて僕は立ち上がった。

★第27回へ続く。

★今回の1曲――Hanson - MMMBop(1997)


■西寺郷太(にしでら・ごうた) 
1973年東京生まれ京都育ち。早稲田大学在学時に結成したバンド「NONA REEVES」のシンガー、メイン・ソングライターとして、1997年デビュー。
以後、音楽プロデューサー、作詞・作曲家としても少年隊、SMAP、V6、YUKI、鈴木雅之、岡村靖幸、私立恵比寿中学などの多くの作品、アーティストに携わる。
日本屈指の音楽研究家としても知られ、近年では特に80年代音楽の伝承者としてテレビ・ラジオ出演、雑誌連載など精力的に活動。マイケル・ジャクソン、プリンスなどの公式ライナーノーツを手がける他、執筆した書籍の数々はベストセラーに。代表作に小説『噂のメロディー・メイカー』(扶桑社)、『プリンス論』(新潮新書)、『伝わるノートマジック』(スモール出版)など。
現在 Amazon Music Podcast「西寺郷太の最高!ファンクラブ」でホストを務める。
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