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クイズ「私は誰でしょう?」小さな大物

カンバン_1、トビラ(修正済)_トリミング済み

【ヒント】
日本人で唯一、外国の国家元首の妻となり、現在はバラエティーでも活躍中




皆さん、分かりましたか? 答えは……



◆デヴィ・スカルノ

【プロフィール写真】クレジットSHITOMICHI(Vale.) (1)

1940年2月6日生まれ 元インドネシア大統領夫人
Photograph by SHITOMICHI(Vale.)

「随分と駆け足だったと思います」

今年傘寿を迎えたデヴィ夫人は、自身の人生をそう振り返る。

1959年、19歳でスカルノ大統領と結婚。67年に娘を授かるも、クーデターで大統領が失脚、パリに亡命することを余儀なくされる。80年にはインドネシアに戻り、会社を設立。欧米のエンジニアリング会社のエージェントとして働いた。

「娘に母国を知ってほしいと戻ったものの、スハルト大統領の政権下で、元の配下に頭を下げたり嫌がらせを受けたり、辛いことの連続。歯を食いしばって働きました」

90年代はニューヨークでUNEP(国連環境計画)の特別顧問として活動。現在はバラエティー番組でもひっぱりだこだ。

「『105歳まで生きたい』と言っていたら、知人のお坊さんに『あなたは108、人間の煩悩の数まで生きなきゃ』と言われました(笑)。歴史上かつてない存在になりたい、そう思った幼い頃の純粋な気持ちで、これからも走り続けるでしょうね」

2、三田高校の美術祭 シエラザード踊る

家計を助けるため、昼は千代田生命で働き、夜は三田高校の定時制に。演劇祭で「シエラザード」を踊る(左から2人目)。

3、東芸プロ時代 日本テレビ楽屋にて 中央浅丘ルリ子1957年

16歳。女優に憧れて、東芸プロに入団。「同い年の浅丘ルリ子さん(中央)とは今も親しく、傘寿の誕生日も祝ってもらいました」(本人左)

4、コパの時節分のお化けのパーティにてギリシャ神話の女神に扮装1958年

1958年、高級サパークラブ「コパカバーナ」に勤めていた頃。「節分のパーティでギリシャ神話の女神に扮しました」

5、藤娘二景 花柳静舞踏会 1959.5.17その一か月後6.16にスカルノ大統領と運命の出会い

日本舞踊の初舞台は59年、三越劇場で「藤娘」を。「このひと月後にスカルノ大統領との運命の出会いを果たしました」

6、1964年2月ヤソオ宮殿にて 後方の私の肖像画はパスキアブドラ画伯

64年、弟「八曾男」の名を冠したヤソオ宮殿で。前年にスカルノ大統領(右)から贈られた5ヘクタールの土地に建設。

7、カリナの初めてのクリスマスパリの自宅にて1967年

パリで。「娘にとって初めてのクリスマス。大統領に娘のカリナを抱いてもらうことを夢見て、この写真を送りました」

8、メルヘンがテーマの宮廷仮装パーティパリにて 左ジャックリーヌ・ドヌーブ伯爵夫人、右美容家アレクサンダーゾアリ

メルヘンがテーマの宮廷仮装パーティで。「パリの社交界は私を温かく迎えてくれ、『東洋の真珠』と讃えられました」(本人中央)

9、インドネシアでの仕事画

80年、インドネシアで会社を設立。「いまはテレビ番組で私のことを知る方が多いのですが、こんな時代もあったのです」

10、孫のキラン君と

孫のキラン君と。「どんなに忙しくても1年に1回は会っています。孫は格別。キランの成長は私の楽しみのひとつです」

11、イッテQでイルカショー

73歳。「世界の果てまでイッテQ!」のロケで、イルカショーに挑戦。「絶対無理と思ったけれど、3日で乗れるように」

12、初めての展覧会デヴィスカルノ展

今年3月に松屋銀座で自身初となる展覧会を開催し、約2万人が来場。会見では「死神が来てもハイヒールで蹴っ飛ばします」と語り、報道陣を沸かせる一幕も。



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