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佐藤優のベストセラーで読む日本の近現代史『大衆の反逆』オルテガ・イ・ガセット

専門家も大衆であることを免れない

スペインの哲学者ホセ・オルテガ・イ・ガセット(1883〜1955)の『大衆の反逆』(1930年)は、エリート主義を慫慂する書として読まれてきたが、精読するとそのような読み方が間違いであることがわかる。オルテガは、高度の専門に通暁した知識人であっても大衆の一員であることを免れないと考える。そこから自らの大衆性を自覚し、脱構築することが知識人にとって重要な課題になる。

大衆社会においては、自分がよく知らない分野について発言しても構わないという雰囲気が醸成される。この点についてオルテガはこう指摘する。

〈現代の特徴は、伝統を持つ選ばれし少数者集団の中においてさえ、大衆や俗物が優勢になっていることにある。本質的に特殊な能力が要求され、それを前提に成立している知的分野の中にさえ、資格のない、あるいは与えようのない、その人の精神構造から判断して失格者の烙印を押すしかないような似非(えせ)知識人が、日ごとに勝利を収めているのが現実なのだ。(略)/ところで、社会の中のさまざまな分野の業務や活動や機能の中には、特別な資質がないかぎり実践できないことがたくさんある。たとえば、芸術や、ある種の贅沢な楽しみがそうだろうし、政治について言えば、統治とか公共問題に対する政治的判断の機能といったものもそうだ。かつて、これら特別な活動は、才能ある、もしくは少なくとも才能があると自負する少数者によって遂行され、大衆はそれに介入しようとは思っていなかった。もし介入しようとするなら、それにふさわしい特別な資質を獲得し、大衆であることをやめなければならないことを知っていたからだ。大衆は社会の健全な力関係の中で、おのれの果たすべき役割を心得ていた。/(略)私たちは、あの事例が、まぎれようもなく大衆の態度の変化を告げていることに気づく。あの事例はみな、大衆が社会の前面に躍り出て、これまでは少数の人に限定されていた施設を占拠し、文明の利器を自ら使用し、楽しみを享受しようと決意したことを示している〉

どんな問題にもコメントする

テレビのワイドショーには、芸能人やジャーナリスト、大学教授などがコメンテーターとして出演する。この人たちは森羅万象について自分の意見を述べる。少し冷静になって考えてみれば、これは奇妙な現象だ。芸能人は、落語、漫才、演劇、映画、歌、話術などでは、特別な才能を持っている。しかし、政治、法律、経済などの問題については素人だ。ジャーナリストや大学教授でも、専門的知見や経験によって責任を持って語れる事柄は限られているはずだ。しかし、ワイドショーでは、素人であってもすべての問題について、よく知っているような顔をして話をしなくてはならない。ワイドショーは、あくまでもショー(興行)なので、「ここでの話を真に受けてはいけない」と視聴者は冷静に受け止めなくてはならないのだが、実際にはそうなっていない。筆者は2002年に鈴木宗男事件に連座して、東京地方検察庁特別捜査部によって逮捕された。「外務省のラスプーチン」と呼ばれ、極悪人であるという印象が形成されていったが、その過程でワイドショーが大きな役割を果たしていることを実感した。政治家も官僚もワイドショーの論調を注意深くウォッチし、対策を考えざるを得ないのが日本の現状だ。

資本主義社会におけるテレビ(公共放送を除く)は、広告料によって成り立っている。視聴率が上がると広告料も増える。テレビ局としては、少しでも視聴率を上げるという観点からコメンテーターを選ぶ。視聴者がワイドショーに慣れてしまうと、有名人の言うことをそのまま信じ、わからないことがあっても誰かが教えてくれると受動的になってしまう。思考を放棄する態度が、インターネットが普及するにつれて加速した。その結果、ワイドショーのコメンテーターが発信する特定の政治的立場に、国民が付和雷同するようになる。ファシズムにつながりかねない危険な状況だ。何事につけ、自分の頭で考える習慣をつけなくてはならないが、これには時間とエネルギーがとられるので面倒だ。

自分がよく知らない分野について発言しても構わないという態度が高度な学識を持つ専門家にも認められる。新型コロナウイルスに関連して感染防止のために作られた専門家会議(7月3日に廃止)の人たちに、この傾向が見られた。

〈新型コロナウイルスの対策を検討する政府の専門家会議(座長=脇田隆字・国立感染症研究所長)は(5月)4日、感染の広がりを長期的に防ぐための「新しい生活様式」の具体例を示した。日常生活のなかで心がけることで「自身だけでなく、大事な家族や友人、隣人の命を守ることになる」と訴えた。/個人が心がける対策として、遊びに行くのは、屋内より屋外を選ぶことを提案。外出時は症状がなくてもマスクをし、帰宅時には、まず手や顔を洗い、できるだけすぐに着替えたり、シャワーを浴びたりする。移動する際は、発症したときのため、誰とどこで会ったかを記録することも必要だとした。/(略)食事は、持ち帰りや出前も利用する。料理は大皿は避けて、個別に出す。座る際の注意点として、対面ではなく横並びになることも提案。冠婚葬祭などの親族行事では大人数での会食は避ける、とした。/また、専門家会議は、感染予防と経済活動の両立を図るためには、業種ごとに感染拡大予防のガイドラインをつくり、普及させたうえで実践することを求めた〉(「朝日新聞デジタル」5月4日)

専門家会議の越権行為

専門家会議のメンバーは、医学や感染症の専門家だ。「誰とどこで会ったかを記録することも必要だ」と言うが、人は第三者に知られずに移動したり、人と会ったりする権利がある。感染症対策の観点から、このような記録の作成が有益であっても、その副作用について、この専門家たちは何も考えていない。

また、食事をするときは、並んで黙って食べろというような「新しい日常」なる生活様式の押しつけにも違和感を覚える。食事は、栄養を摂取することだけが目的ではない。友だちと会話を楽しみながらリラックスする重要な時間だ。それを養鶏場の鶏のように飯を食えと専門家会議メンバーが言うのは越権行為だ。政府が「新しい日常」を国民に推奨したいならば感染症の専門家だけでなく、経済学や心理学、さらに文化人類学の専門家などからも意見を徴した上で、政治的に総合的な判断をするのが筋だ。

もっとも専門家会議のメンバーは以下のような認識で、意図的に専門外の分野に踏み込んだようだ。脇田氏はインタビューにこう答えた。

〈――専門家が行動変容を呼びかけるなど、「踏み込み過ぎ」と批判もあった。

本来の役割はリスクを分析し、政府に提言するまで。政府が政策を決めてコミュニケーションする。今回、専門家会議はかなり踏み込んだ。責任が取れるのか懸念はあったが、そうしないと対策が進まないという危機感があった。ただ、総括は必要です。専門家会議の立ち位置を考え直すべきだと思っています〉(「朝日新聞デジタル」6月24日)

安倍晋三首相の記者会見に同席することの多かった尾身茂氏(専門家会議副座長)はこう答えた。

〈――本来の役割以上のことをしたという意識がありましたか?

我々の役割は、医学的な助言を政府にすることとわかっていました。でも聞かれたこと、議論してほしいと求められたこと以外に、言わねばならないことがどんどん出てきた。緊急時で時間がない。資料を集め、メンバーで夜な夜な議論をして案を出すようになった。前のめりだとか、専門家会議の役割としては逸脱するかもしれないという意識はあったが、我々が発言しなければ、専門家としての責任が果たせないとの思いで、がむしゃらだった。ここまで対策が難しいウイルスでなければ、こんなことはしなかったでしょう〉(前掲「朝日新聞デジタル」)

脇田氏や尾身氏の発言から〈現代の特徴は、伝統を持つ選ばれし少数者集団の中においてさえ、大衆や俗物が優勢になっていることにある。本質的に特殊な能力が要求され、それを前提に成立している知的分野の中にさえ、資格のない、あるいは与えようのない、その人の精神構造から判断して失格者の烙印を押すしかないような似非(えせ)知識人が、日ごとに勝利を収めているのが現実なのだ〉というオルテガの指摘が正しいことが浮き彫りになる。感染症の専門家としては一級の知識人であっても、それ以外の事柄については素人だ。大衆の一員であることを自覚している人は、余計なことを言わない。しかし、コロナ禍で不安が高まった国民は、具体的な答えを求める。それでも、森羅万象について語るという誘惑に陥らないのが真の知識人だ。こういう自己の限界を知るさまざまな専門分野の知識人が集まって、「コリント」(COLLINT:Collective Intelligence、協力諜報)による集合知の力を、首相官邸主導で強化していく必要がある。

(2020年9月号)

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