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第167回芥川賞受賞者インタビュー 高瀬隼子「私の中の芦川さんと押尾さん」

文藝春秋digital
「ムカつき」をエネルギーにして書き続けたい。/文・高瀬隼子

受賞のことば 高瀬隼子


 子どもの頃通っていた地元の小さな本屋には、単行本の棚がひとつだけしかなかった。受賞の連絡を受け、実感が伴わない混乱の中、尿意をもよおし駆け込んだトイレの個室で、ふと頭に浮かんだのは、あの本屋の棚だった。背表紙を「あ」からスタートして、いうえお……と何度も辿った道で、「た」に差し込まれた黄色い背表紙の本を見つける。「新しい本が入ってる」と声を上げて手を伸ばしたのは、子どもの頃のわたしだった。届いたのだと、そんなふうに思った。

 小説を書いている時、わたしは自分がなにを書きたいのか分からない。書き終えて読み返した時に、小説の方から教えられる。今回の作品もそうだった。わたしはこれからも書き続け、小説に、わたしにとってのうそやほんとうを教えてもらう。

〈略歴〉
1988年、愛媛県生まれ。2019年「犬のかたちをしているもの」で第43回すばる文学賞を受賞してデビュー。

高瀬さん ©文藝春秋

高瀬さん

組織の隅で粛々と働く

――2度目のノミネートでの受賞ですね。どのようなお気持ちですか?

高瀬 いまだに感情が追いついていません。芥川賞なんて自分の人生には起こり得ないと思っていましたから。受賞会見のときも、「高瀬さんって人、よかったね」と終始、他人事のような感覚でした。会見を終え、壇上から降りて衝立の裏にたどり着いたとき、ガクッと膝をついてしまいました。会見前、冷静にならなくちゃ、と心臓をどこかに置いていくつもりでいたからかもしれません。

テレビで見てくれていた大学時代の友人からは、「めっちゃおしとやかぶって」「こんなのじゃないでしょ」とたくさんLINEが来ていました。「うるさい」と返しましたけど(笑)。

――受賞作の舞台は食品や飲料ラベルの製作会社。埼玉にある支店で働く二谷という男性社員と、芦川、押尾という女性社員が中心に描かれています。高瀬さんご自身も会社勤めをされているのですよね。

高瀬 はい。ふだんは事務の仕事をしています。選考会のあった日は半休をいただき、今回もインタビューや撮影があるということなので有休をいただきました。

――職場では“身バレ”してしまったとか。

高瀬 芥川賞の少し前に、この作品をテレビで取り上げていただいたことがあり、デビュー2年半にして小説を書いていることがバレてしまいました。この先も勤めることを考えると組織の隅で粛々と働く「会社員A」でいたかったのですが……。

――受賞作「おいしいごはんが食べられますように」は、昼休み直前に支店長がそばを食べたいと言い出し、「みんなで、食いに行くぞ」という場面から始まります。この冒頭から引き込まれました。

高瀬 あの支店長は、彼のペースに合わせてご飯を食べてお腹をこわす社員や、急に誘われたので持参したお弁当をひっそり引き出しに隠す社員がいることは、想像もできないタイプ。私も仕事終わりに突然、「みんなで飲みに行くぞ」と言われ、嫌だったことがあります。この作品の舞台や登場人物に特定のモデルはないのですが、随所に私の経験や感情が見え隠れしていると思います。

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「女の子はこっち」

――この作品は「食」と「食べる場」がテーマの1つです。仕事も人間関係もそつがない二谷は、食にはこだわらず、お腹が膨らみさえすれば、三食カップ麺でいいという。

高瀬 私も、もともと食にあまり頓着ないので、仕事の繁忙期に終電で帰る日が続くと、二谷と同じように食べることに時間を使いたくないと考えてしまいます。

――その二谷と交際するのが、手料理にこだわる芦川です。彼女は仕事を肩代わりしてもらうことや、周囲が残業をしているなか、1人だけ帰ることが許されてしまう。体調不良で早退した翌日には、お菓子を作ってきてみんなに配りますね。

高瀬 常にニコニコしていたり、手作りのケーキを差し入れたりすることで周りの空気をよくしようとする芦川は、仕事ができない分、「あの子、すごく気配りができるよね」という評価を得て自分の立ち位置を守ろうとしています。

――そんな芦川の分まで仕事をする後輩女性の押尾は、彼女を目の敵にしています。不躾な質問ですが、高瀬さんご自身は芦川に似ていますか? それとも押尾に近いのでしょうか。

高瀬 たぶん両方だと思います。いまは残業してでも仕事を終わらせる働き方なので、同僚からは押尾に見えているかもしれません。でも以前の部署では芦川に見られていたかも。職場にケーキを作って持っていったりはしませんが(笑)。

私は八方美人なので、嫌々参加している職場の飲み会でもみんなの輪から外れて寂しそうにしている年上の男性がいると、やめればいいのに、「お酒、おいしいですよね」と声をかけたりしてしまうのです。だから芦川みたいな面もあるし、押尾や、他の登場人物のような立ち位置になることもあるかもしれません。

――芦川は、男性社員に自分の飲みかけのペットボトルに口をつけられてもニコニコし、自らも一口飲んでみせる。衝撃的でした。

高瀬 あれはさすがに実体験ではありませんが(笑)、芦川の性格がよく表れているシーンだと思います。

あれほど極端ではないにせよ、職場には辛いこと、嫌なことがあります。私が会社員として働きはじめた10年前に比べれば世の中が少しずついい方に進んでいるとは感じますが、そういうことは依然としてあるので、掬い取って書きたいと思っています。

今でも決して忘れませんが、10年前、新入社員歓迎会で、「女の子はカワイイからこっち」と年配の男性社員の横に座らされ、ずっとお酌をさせられたことがありました。その人に「かわいいね」って言われて、「どうも」と返事したり。そうした場が何回もあって、周囲からは「おごってもらえていいよね」と言われたけど、「いや、1万円払ってでも帰りたい」と思っていました。

でも私は顔に出さないし、それどころか場の空気に迎合して、ニコニコしながら、「楽しんでます」という態度をとってしまう。後から、そういう自分がすごく気持ち悪くなることもよくあります。嫌な思いをしたときは、帰って日記に「絶対、忘れないぞ」とメモして、後から何回も読み返して恨む(笑)。そうした感情が出発点になっている作品もあります。生活していて感じる「ムカつき」や「違和感」は忘れないようにして、しつこく小説に書き続けたいと思っています。

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「呪い」を書きたかった

――受賞後の会見では、「社会の中で辛いことがあっても、我慢して乗り越えてしまう、どうにか持ちこたえてしまう人の内面を書きたかった」とおっしゃっていました。

高瀬 多くの会社には、毎日とんでもない時間まで残業をしている人が一定数いて、声を上げてもいいはずなのに、何とかこなしてしまう。家庭においても同じです。同世代で育児をしている人も多いのですが、1人で仕事に子育てにとボロボロになっています。パートナーがいるのなら、「半分やって」と言うのは当然だと思うのですが、それも言わずワンオペ状態ですべてこなしてしまう。

そんな、能力的に「できてしまう」一部の人によって職場や家庭が機能している現実があります。彼らはなんとか持ちこたえるから、「大丈夫な人だ」と思われてしまうけど、必ずしも喜んでやっているわけではない。その内面にある「呪い」を書きたかったのです。

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