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オランダとイギリスの勃興/野口悠紀雄

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※本連載は第31回です。最初から読む方はこちら。

 独立後のオランダは目覚ましく発展し、スペインに代わってアジア貿易をリードすることになります。こうした事業はリスクの高いものでしたが、イギリスやオランダに設立された株式会社が、リスク分散を可能にしました。17世紀後半の英蘭戦争を経て、海上貿易の覇権はイギリスに移っていきます。

◆オランダがめざましく躍進


 オランダは、スペインからの独立戦争を戦い、1581年に独立宣言を行って、ネーデルラント連邦共和国として自立しました。

 独立後のオランダは、南部から亡命してきた新教徒が興した商工業や、バルト海の中継貿易によって、急速な経済成長を遂げました。

 オランダ、イギリス、フランスは、スペインとポルトガルのアジア貿易独占に強く反撥し、それに対抗してアジアに進出しました。

 とくに、オランダがめざましく躍進しました。1594年にアムステルダムに設立された遠国会社は、喜望峰まわりでアジアに向かう船団を編成し、4隻の船が95年に出航。ポルトガル船の目を盗みながら、1596年にジャワ島のバンテンに到達しました。

 この成功に刺激されて、オランダには次々と会社が設立され、競ってアジアに船団を派遣しました。

 1619年には、ジャワ島のバタヴィア(現在のジャカルタ)に東洋貿易の根拠地を作り、香辛料貿易を行ないました。

  また、インド沿岸のポルトガルの勢力を排除し、セイロン島をポルトガルから奪い、マラッカや台湾なども占領しました。

 オランダは、1609年に日本との貿易を開始します。1639年以降は、鎖国下の日本との貿易を独占しました。

   このように、オランダは、17世紀を通じてヨーロッパ第一の商業国として栄えたのです。

◆航海の費用を賄うために株式会社制度が作られた


 ところで、こうした航海の費用を賄ったのは、商人たちです。

 大航海時代においても、主たる出資者は商人たちでした。

 歴史の教科書には、コロンブスの場合にはスペインのイサベラ女王が、マゼランの場合はスペイン王カルロス1世が、それぞれパトロンになったと書いてあります。

 しかし、王室だけで航海費用を賄いきれるわけではありません。16世紀初めにおいて、ポルトガル王室はポルトガルがインドに船団を送るための費用の4分の1未満しか用意できず、残りはジェノバや南ドイツの商人から借りたのです。

 大航海は、それまでの地中海貿易に比べて、遥かに危険な企てでした。最初のうちは目的地までのルートがあるかどうかさえ分からない航海だったのですから、信じられないほどリスクが高かったのです。

  これほど大きなリスクから出資者を守るには、大規模な分散投資が必要になります。つまり、非常に多数の出資者が必要になるのです。

 こうした要請に応えて、それまでイタリア諸都市にあった「コンメンダ」、「ソキエタス・マリス」、「マグナ・ソキエタス」などという事業体を発展させて、株式会社が設立されるようになりました。

 1600年にイギリス東インド会社が、国王から独占を認められた特許会社として設立されました。これは、1航海ごとに出資者をつのり、航海が終わると清算して解散する当座企業でした。つまり、永続的な事業体ではなかったのです。

 1602年に、オランダで「オランダ連合東インド会社」が設立されました。これは、初の永続企業でした。その資本金は、イギリス東インド会社の第一回航海の出資金の約10倍の規模でした。

◆株式会社によってリスクへの挑戦が可能になる


 オランダ連合東インド会社では、「有限責任制」が認められました。これは、株主の責任を出資額に限定するものです。

 したがって、会社が破綻した場合の株主の損失は、最大限で持ち株の価値がゼロになることだけです。つまり、会社が債務超過に陥っても、株主の個人資産まで追及されることはありません。

 これは、株式会社に与えられた特権であり、貸手の犠牲において、株主の立場を守ろうとするものです。

 分散投資と有限責任制のために、投資家の安全は確保されています。したがって、株式会社はリスクが高い事業に挑戦することができるのです。

 また、株式の譲渡は自由とされました。このように、オランダ連合東インド会社は、現在の株式会社と同じ性格をすでに持っていたのです。

 フランスやドイツなどにも、永続的な株式会社形態による東インド会社が設立されました。

 こうしたリスク分散の仕組みによって、ヨーロッパの世界支配が可能になったのです。

 それは、さまざまな非人道的行為を伴うものであり、非ヨーロッパ人であるわれわれから見れば、もちろん手放しで賞賛できるものではありません。

 ただし、「ヨーロッパ人がリスクをコントロールできる技術を持っていたから、こうしたことが可能だった」というのは、歴史的事実です。

◆中国には株式会社が生まれる社会的基盤がなかった


 ここで、中国とヨーロッパを比較してみましょう。

 すでに詳しく述べたように、ヨーロッパの大航海に先立つ15世紀初頭に、明の鄭和が率いる船団がアフリカ大陸東岸に到達しています。当時の中国の遠洋航海技術は、ヨーロッパを遥かに上回っていたのです。

 しかし、中国は株式会社という制度を作りませんでした。

 作る必然性がなかったのです。なぜなら、中国は大帝国であり、官僚機構によって運営される国だったからです。大航海も国の事業であり、リスクへの挑戦ではありませんでした。

 ここで重要なのは、「分権」が認められているかどうかです。

 分権が認められている社会では、一部分が失敗しても、全体が失敗することはありません。リスクに挑戦すれば失敗する商人も出てきますが、リスクが分散されているので、社会全体が崩壊してしまうことはありません。

 こうして、分権化されている社会では、能力と意欲のある人々が、その能力を発揮できる機会が与えられるのです。「株式会社」が、その具体的な形です。

 人間の能力は、どんな社会でも似たようなものです。しかし、社会構造が違えば、社会全体の力は違ってきます。

 大航海の成功によって人間の経済活動の範囲が急激に広がった時、リスクに挑戦する仕組みを持つ社会と、持たない社会との差が顕在化したのです。

 この間、中国では、ほぼ明の時代(1368年ー1644年)です。中国は、ヨーロッパの目覚ましいアジア進出の中で、鎖国して眠っていました。つぎの清(1644年ー1912年)の時代になってもそうでした。

◆英蘭戦争で覇権がイギリスに

 イギリスはオランダ独立戦争を援助し、オランダの独立を実現させました。 

 17世紀初頭以降は、オランダはヨーロッパの中継貿易に進出して利益を上げ、また新大陸・東南アジアに進出します。それによって、アムステルダムは世界の貿易と金融の中心となりました。スペインに代わって世界貿易をリードする『栄光の17世紀』を迎えることになるのです。

    そして、ついには、イギリスと対立するようになりました。

 17世紀後半には、海上貿易の覇権をめぐって、イギリスとオランダの間に、3回にわたる戦争(英蘭戦争)が起きます。

 第1次(1652年~):オランダ勢力を抑えるようにとの要望がイギリスの貿易商から議会に出され、それがオリヴァ・クロムウェル(ピューリタン革命の指導者。王政を廃止し、共和政を実現した)の時代に1651年航海法として実現しました。これにオランダが反発し、両国の対立は戦闘に転化して、英蘭戦争となりました。

 第2次(1665年~):王政復古期にチャールズ2世が新大陸のオランダ領を攻撃。

 第3次(1672年~):チャールズ2世がフランスに呼応してオランダを攻撃。しかし、フランスが両国共通の敵となるにいたって、英蘭間の対立は解消されました。

 戦争はほとんど海上での戦争に終始しました。イギリス海軍が強化された結果、最終的にはイギリスが勝利をおさめます。こうして、覇権がオランダからイギリスに渡ることとなったのです。

 そして、18~19世紀にかけてのイギリスの海上帝国が出現することとなります。

 このように、ポルトガル→スペイン→オランダ→イギリスと、つぎつぎに覇権国が交代したのです。

(連載第31回)
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■野口悠紀雄(のぐち・ゆきお)
1940年、東京に生まれる。 1963年、東京大学工学部卒業。 1964年、大蔵省入省。 1972年、エール大学Ph.D.(経済学博士号)を取得。 一橋大学教授、東京大学教授(先端経済工学研究センター長)、 スタンフォード大学客員教授などを経て、 2005年4月より早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授。 2011年4月より 早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問。一橋大学名誉教授。2017年9月より早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問。著書多数。
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