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小説「観月 KANGETSU」#51 麻生幾

第51話
松葉杖(3)

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※本連載は第51話です。最初から読む方はこちら。

「ごめん、ごめん」

 七海は笑顔のまま謝った。

「で、どげえしたん?」

 貴子が拘った。

 七海は、もはや隠し通すことはできない、と諦めた。

 そもそも母に嘘を吐き通すことなんてこれまでなかった──。

「大学の教室で、田辺さんちゅう助手がおるんやけんど、前から、わたしにストーカー行為を働いちょってね」

「ストーカー? 聞いちょらんわよ、そげなこつ──」

 貴子が眉間に皺を寄せた。

「心配させとうなかったけんちゃ」

「具体的にどげなこつされたん? あっ、もしかしち──」

 貴子は瞬きを止めて続けた。

「5日前の、襲われそうになったちゅうんな─―」

「うん、まあ、そげなようなことやと警察は──」

「警察が動きよんの?」

 貴子が嶮しい表情で訊いた。

「まあ、ちょっと聞いて。それで、今日、ハッキリ言うたんちゃ。そん田辺さんちゅうしに。ほいだら──」

「その時、階段を突き落とされたんね?」

 貴子が厳しい口調で訊いた。

 七海は呆れるしかなかった。

 ぎこちなく頷いた七海は、母のこの余りの察しの良さを自分は受け継いでいないわ、とあらためて認識した。

「それで、警察が事件としち扱うことになった、そげなことね」

 貴子が確信したように言い放ってから、七海の体のあちこちに目をやった。 

「なんかなし、怪我の具合はどうなん? 他にどこか怪我をしちょらんの? 頭は打たんかったん?」

 貴子が矢継ぎ早に質問を浴びせかけた。

「大丈夫、大丈夫。お医者さんに、レントゲンを撮ってもろうたり、ちゃんと診察しちくださったけんど、全治10日の捻挫、ちゅうことを言われただけやけん」

 七海が慌ててそう言って笑った。

「七海、何を暢気(のんき)なことぅ言いよんの! もし打ち所が悪かったら、あんた、大ケガをしちょったところちゃ!」

「警察からもそげなようなことを言われたわ……」

「じゃあ、捜査、ちゅうことになっちょんのね?」

 貴子が問い詰めるかのように訊いてきた。

 七海は訝った。

 娘を心配しているのは分かるが、どうしてこんなにひつこく聞いているのだろうか……。

「捜査って、まあ、そげなようなことに……なっちょんのやねえかな……」

 七海はたどたどしく言った。

 実際、警察がどう動いているか、まったくわからなかったからだ。

──こげな時こそ、涼がおっちくれたら……。

 そんな言葉が頭に浮かんだ七海だったが、すぐに拭い去った。

──もはや彼をアテにしたところで何にもならんわ……。

「まだ、痛むん?」

 穏やかな表情に変わった貴子が、七海の右足の包帯へ目をやった。

「まあね。2日は痛みは残るやろうってお医者さんが──」 

 そう言って七海は小さく溜息をついた。

「で、そん田辺さんて人、捕まったん?」

 貴子が聞いた。

「それが、行方不明だって……」

「つまり逃げたってこと?」

「さあ……。どうだか……」

 七海は正直に言った。

「あなた、ほんと、他人事ね」

 苦笑しながら立ち上がった貴子は、コーヒーメーカーに近寄った。

「ちゅうことで、しばらく、大学は休むけん、よろしく」

 七海が軽く言った。

「そりゃそうやろ」

 カップに入れたコーヒーを貴子は七海の前にそっと置いた。

「ありがとう」

「でも、しばらくって、そげなこつでいいん? 教室でん仕事は大丈夫ん?」

「まっ、いろいろあっち、大丈夫ちゃ」

 しばらく七海の瞳を覗き込むようにしていた貴子は、呆れたような表情をして再び椅子を離れた。

「なら、夕ご飯は、早めにしようね」

 そう言って冷蔵庫のドアを開けた貴子が、ふとある言葉を投げかけた。

(続く)
★第52話を読む。


■麻生幾(あそう・いく) 大阪府生れ。作家。1996年、政府の危機管理の欠陥を衝いたノンフィクション『情報、官邸に達せず』を刊行。日本の危機管理をめぐる“真実”を小説で描いている。オウム事件など内外の事件を取材したノンフィクション作品も。主な小説に、『宣戦布告』『ZERO』『ケース・オフィサー』『外事警察』『奪還』など。「宣戦布告」「外事警察」などが、映画化、ドラマ化され反響を呼んだ。ノンフィクション作品に、『極秘捜査-警察・自衛隊の「対オウム事件ファイル」-』『前へ!-東日本大震災と戦った無名戦士たちの記録』などがある。※この連載は、毎週日曜と不定期平日に配信します。
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