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佐藤優 茶トラ猫とホームレスの友情を描いた実話「ベストセラーで読む日本の近現代史107」『ボブという名のストリート・キャット』ジェームズ・ボーエン

茶トラ猫とホームレスの友情を描いた実話

ウクライナ戦争の影響で日本でもコストプッシュ型のインフレが起きている。インフレは社会的に弱い状況に置かれた人々を直撃する。作家で社会活動家の雨宮処凜氏は貧困問題に取り組む中で、行き場を失った人とペットの支援をしている。一般社団法人「反貧困ネットワーク」が2020年6月に「反貧困犬猫部」を立ち上げたときから、彼女はそのメンバーとして活動している。記者の取材に雨宮氏はこう答えている。

〈――支援に関わったきっかけは。/「20年5月、『私も犬も昨日から食べていません』というSOSメールが入りました。飼い犬のチワワと一緒にアパートを追い出され、野宿を続けている女性からでした。すぐに反貧困ネット事務局長の瀬戸大作さんが駆けつけ、緊急のお金とドッグフードを渡しました」/「私が初めて会ったとき、女性は大切な子どものように犬を腕に抱えていました。私にも大切な猫がいます。女性と犬が支え合っている様子が伝わってきて、涙が出そうでした。その後、犬が体調を崩してしまい、一緒に動物病院に通いました」/――公的な支援は受けられないのでしょうか。/「女性は私たちにSOSを出す前に、福祉事務所に行って生活保護の相談をしています。しかし『犬を処分するように』と言われ、断念していました。本来は生活保護でも問題なく犬猫を飼うことができますから、不当な指導です。飼い主にとって、『処分』は家族を殺せと言われているようなもの。ありえません。殺処分を減らす動物愛護の精神とも逆行しています」(6月10日「朝日新聞デジタル」)

評者も現在猫を5匹飼っているのでペットを「処分」せよというのが家族を殺せというのと同じだという気持ちがよくわかる。ペットがいると生活保護が利用できないというルールはないので、行政の対応には明らかに行き過ぎがある。

原著が2012年に刊行され、世界的なベストセラーになった『ボブという名のストリート・キャット』は、薬物依存症でどん底にいる男性が猫を飼うことによって、生きていく意欲を取り戻す過程を描いた優れたノンフィクションだ。

著者のジェームズ・ボーエン氏(1979年3月15日、英国生まれ)は、一時期、ヘロインの依存症になり、ホームレスになった。英国では当局からホームレスと認定されると公的扶助により住宅が提供される。日本だとヘロインの使用者は逮捕されるが、英国の場合は社会の中で薬物依存症更生プログラムを受けることになる。ジェームズ氏は公的支援を受けた住宅に住み、ヘロイン依存症の治療薬である合成麻薬メタドンを服用している。生活費はロンドン市の中心部でギターの弾き語りをして得ている。ホームレスになった理由をジェームズ氏はこう述べる。

〈ドラッグとアルコールがおもな原因となる場合が多いが、幼年期の境遇や家族とのぎくしゃくした関係が遠因となり、ホームレスへの道をたどってしまうケースも非常に多い。ぼくの場合もまさにそのとおりだった〉

両親の離婚、英国とオーストラリアを行き来する生活で子ども時代に友だちが一人もできず、学校でいじめの対象になったことなどがホームレスになった遠因のようだ。

わが家の茶トラ猫

2007年春、怪我をした1匹の茶トラ猫が迷い込んでくる。最初、猫を飼う余裕はないと思っていたジェームズ氏だが、茶トラ猫があまりに自分を頼ってくるので、とりあえず保護することにした。〈面倒を見ているうちに、猫のことがだんだんわかってきた。ボブという名前もつけた〉。重要なのはジェームズ氏が猫に名前をつけたことだ。その瞬間から、猫は家族の一員になる。

ボブはとても人懐こく、バスに乗ってジェームズ氏についてくるようになる。ボブと一緒にいると弾き語りでの収入も普段の数倍になる。また、これまでほとんどなかった人々との会話がなされるようになった。

〈「2、3年前まで、この子とよく似た茶トラの猫を飼っていたの」彼女はしんみりと語った。いまにも泣きだしそうだった。「この子に出会えて、あなたは幸せ者だわ。茶トラって、ほんとにすてきな友だちだもの。おとなしくって素直で。親友を見つけられてよかったわね」(中略)/彼女は立ち去りぎわにギターケースのなかに5ポンド札を置いた〉

評者の経験でも、茶トラや茶白ブチの猫には雄(大柄になる)が多く、頭の回転が速く、人懐こい。わが家の茶トラ猫はドアノブを前脚で下ろして扉を開けることができる。

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