「割腹自殺」から50年…三島由紀夫の「滑稽な肉体信仰」|石原慎太郎・特別寄稿
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「割腹自殺」から50年…三島由紀夫の「滑稽な肉体信仰」|石原慎太郎・特別寄稿

鍛え上げた身体も、兵隊ごっこもナルシズムだった——。/文・石原慎太郎(作家)

<この記事のポイント>
●あの事件自体は、馬鹿馬鹿しいとしか言いようがない
●三島さんはどんどんおかしくなっていった。川端康成、大岡昇平…みんなが「見損なった」という思いを持ち始めていた
●鍛え上げた身体も、楯の会も、一種のナルシズムでしかなかった。三島さんもそれをわかっていたと思う

石原氏

石原氏

川端さんはあの日からおかしくなった

あの日、三島さんの首を見なくて本当に良かったと思い返しています。事件の一報を受けたのは、私がちょうど紀尾井町のホテルニューオータニで仕事をしている時のことで、秘書からの電話で「三島さんと楯の会が市ヶ谷の駐屯地に乗り込んでクーデタを起こした」と連絡があったので、大急ぎで車を飛ばして現場に駆け付けた。もちろん現場は警察がバリケードを組んで厳重に封鎖されていたのだが、国会議員だったから、顔をのぞかせた警官が私を認め、「石原さんですか、良かったら現場をご覧になりますか」と意外なことを言う。「えっどういうこと?」と聞くと、「いや、あの、三島さんは切腹して死んだようです」というから、「えっ?」と息をのんだ。戸惑っていると「さっき、川端康成さんがおいでになってご覧になって帰りました」と言う。私は「川端さんが先にご覧になったなら、もう私は結構です」とそのまま引き上げた。

割腹しただけでなく、楯の会の仲間に首を刎ねさせていたのを知ったのは、その日の夕刊でのことだった。あの時、総監室に入り、絨毯の上に転がった三島さんの首を目にしていたら、大きな衝撃を受けたと思う。川端さんは、あの日から明らかにおかしくなった。人と話している時に、「いま三島君がそこに来ているから、ドアを開けて入れてあげなさい」と言ったという話もよく耳にした。三島さんの首を目にした川端さんの心中に何が起きたのか。知る由もないが、逗子マリーナの小坪のマンションで自ら命を絶ったのは、事件からわずか1年半後のことだった。

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三島由紀夫(左)と川端康成(右)

事件1年前に「反クーデタ計画」を熱弁

もう50年もたつのかと思う。ああいう仰々しい死に方をしてそれで一体、日本の何が変わったか、何か少しでも動いたかと言ったら、まったく何の反応もなかった。事件自体は、馬鹿馬鹿しいとしか言いようがない。自衛隊の本丸に乗り込んで、総監を縛り上げ刀で脅かした挙句に監禁して、その後、バルコニーから集まった自衛隊員に決起を促す演説をぶった。でも誰一人として動かない。それはそうだろう。自分たちの総司令官が縛り上げられたうえに監禁されているなんて聞いたら、兵隊は怒るに決まっている。それが軍隊の秩序というものだ。そういう常識というか、想像力が、文学では紛れもない天才だった三島さんには決定的に欠けていた。

事件後、すぐに思い起こしたのは、ちょうど1年前、佐藤栄作内閣で官房長官をやっていた保利茂さんにニューオータニに呼び出され、昭和45年(1970)の国会冒頭にやる施政方針演説のアイデアを貸してくれと言われた時のことだ。あの時は、今日出海さん(作家、当時文化庁長官)と三島さんも一緒だった。

当時3つほど大事な案件があったので、私は、それに対して佐藤首相は政府の結論をハッキリと示したほうがいいと述べた。保利さんは、「いやあ、それはたしかにそうかもしれませんが、国会の議論が白熱化する恐れがありますから」という。それで私も今さんも「白熱化してどうして悪いんですか」と言った。

その後、三島さんが唐突に、「私に20分ください。私の言ったとおりのことを総理にお伝えください」と言い出し、何を話すかと思ったら、政府が自衛隊を使って反体制派を制圧する反クーデタをやるべきだと熱弁をふるい出したから驚いた。ちょうど70年安保前夜のことで、全共闘の学生たちが暴れまわり、佐藤内閣も手を焼いていた。三島さんが真面目な顔で滔々と語り出した計画は、前々から用意していたものらしく妙に具体的で、全何個師団を動員し、どこそこに戦車を何台配置して、新聞社とテレビ局を制圧して……うんぬんというものだったから、こちらは唖然として聞くばかりだった。

さすがの保利さんも鼻白んだはずだが、そんな顔はいっさい見せず、「いやいや、おっしゃるとおりかもしれませんが、なかなかそうは行きませんな」といなしていた。三島さんと保利さんが帰った後、今さんが「石原君、三島君はどこまで本気なのかね」と言うものだから、こちらは「今度書く小説のプロットじゃないですか」と笑うしかなかった。まさか、1年足らずであんな事件を起こすとは思いもよらなかった。

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「あんなモノは駄目だ、キミ」

三島さんは私より7歳ほど年上だったが、「太陽の季節」でデビューしたときから私の文学のいい理解者で、何度も対談したし、頭のいい人だから話をしていると知的な刺激を受けたし、とても楽しかった。

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