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連載小説「李王家の縁談」#8 |林真理子

【前号まで】
韓国併合から十年経った大正九年(一九二〇)。佐賀藩主の鍋島家から嫁いだ梨本宮伊都子妃には、方子という娘がいた。伊都子妃は奔走の末、韓国併合後に皇室に準ずる待遇を受けていた李王家の王世子、李垠と方子の婚姻にこぎつける。ところが第一子の晋は訪問先の朝鮮で亡くなる。

★前回の話を読む。

 大地震によって、首都は壊滅したと言われたが、それでも日にちがたつうちに、少しずつ復興の兆しが見え始めた。一週間後には汽車も通るようになり、宮内省から物資が届けられた。

 伊都子(いつこ)はこの最中にも、決して欠かすことがなかった日記に記す。

「ブリ半尾、キャラメル五、チョコレート板十二、缶詰数個、一同に分けてやる」

 十日には宮内省の内匠(たくみ)がやってきて、邸の破損したところを修理してくれた。旧館の御殿はびくともしなかったのに比べ、新館は雪崩のように瓦が落ちてきたのである。永田町の実家は焼け落ちたが、身内にケガ人もなく伊都子は胸を撫でおろす。王世子(おうせいし)夫妻はいったん邸に戻ったものの、身の危険を感じて宮城(きゆうじよう)の中のテントに身を寄せた。朝鮮人の虐殺が始まったようなのである。

 まさか、と伊都子はつぶやいた。王世子と朝鮮人の暴漢とを一緒にする者がいるとは思えなかったからだ。しかし王世子は、日本人のただならぬ空気を感じたに違いない。避難していた梨本宮邸から、身のまわりのものを持って出ていったのである。

 そもそも朝鮮人暴動など、全くの虚言だったのだ。

「追々考へてみると、朝鮮人の暴徒は全くうそにて」

「皆悪るい心はなく思ひちがひのためひどい目に会ったものもあり」

 伊都子は無邪気に日記に書いたが、その“思い違い”のために、数百人もの朝鮮人が殺されたことは知らない。

 十日も過ぎると、伊都子は積極的に活動し始める。割りあてられた二十枚の浴衣を縫い、慰問のために帝大病院など三ヶ所をまわった。しかし皇族の中にも犠牲者が出た。山階宮妃、東久邇宮第二王子、閑院宮第四王女が、大地震によって命を失っているのだ。みんな由比ヶ浜、藤沢、小田原といった別邸で、家屋の下敷きとなった。大きな揺れに、木造の家屋はひとたまりもなかったのである。

 自分たちも大磯にいたらと思いぞっとした。今年は避暑を早めに切り上げたことで、命拾いしたのである。

 大きな破壊から、少しずつ多くのものが復興した。しかしそれは以前のものではない。震災前には確かに存在していた規律というものが、ゆるやかになり、中には消えたものがあると伊都子は感じることがある。

 帝劇が再開すると、伊都子もしばしば訪れるようになった。王世子夫妻や娘の規子(のりこ)も一緒である。以前だと、皇族が許された娯楽ではない。

 帝劇の帰りに、木村屋に寄ってあんぱんを買うこともある。新しもの好きで凝り性の伊都子は、ひとつのものに入れ揚げる癖があった。すぐに夢中になる。

 あんぱんを最初に食べた時は驚いた。パンという西洋の食べものの中に、和菓子と同じ餡が入っているのである。

「なんという発明であろうか」

 最初は使用人たちの土産にしたが、大好評だったため鍋島の実家にも持っていった。最近は皇居に仕える女官たちのために、二百五十個届けさせた。

 皇居は皇太子裕仁親王のご婚儀を終え、さぞかし多忙だったろうとねぎらったのである。

 大震災の次の年が明けるやいなや、皇太子と久邇宮良子(ながこ)女王との結婚の儀が行なわれた。色覚異常問題が解決したと思ったら、大きな地震により婚儀は延期されていたのである。良子女王は二十歳となっていた。高貴な女性としてはやや年がいっている。

 しかし五月の二重橋前での祝賀に現れた白い洋装の良子女王は、気品に満ちて大層美しかった。来賓三千人の最前列に皇族たちは整列する。後ろには群衆が集まり、

「皇太子殿下、妃殿下万歳ー!」

 という声があがる。それに時おり良子妃は笑顔で応える。すると群衆はまた熱狂に包まれた。

「ここに方子(まさこ)が立っていてもよかったのではないだろうか」

 その考えがふとよぎった。が、それはすぐに打ち消す。後悔というのは、いちばん恥ずべきもので、それが羨望につながる時はなおさらのことだ。

 同じ年の秋に突然規子の縁談が持ち込まれた。

 相手は山階宮武彦王である。武彦王は、昨年の大震災で、佐紀子妃を亡くしたばかりであった。二十歳の妃は、初めての子どもを懐妊中に、由比ヶ浜の別邸で家の下敷きになったのである。

 規子は学習院に通う十七歳だ。今婚約をしたとしても準備に二、三年はかかる。決して早過ぎることはない。

 しかし武彦王とは九歳の年の差があった。おまけに親の目から見ても、規子は皇族妃にふさわしいとは思えなかった。

 しんが強く穏やかな方子と違い、やんちゃな次女気質である。勉強が嫌いで、学習院の通知簿に「丙」という文字を見つけた時、伊都子は思わず目眩がしそうになった。両親ともしょっちゅう喧嘩をする。先日は父と新聞を取り合った結果、びりっと破いて大層叱られた。命じられて泣きながら貼り合わせていた娘の姿が浮かぶ。

「とても山階宮にあがるような娘ではございません。それに私も手術をしたばかりですし」

 卵巣嚢腫で入院していたのは、つい最近のことである。

 それでも山階宮家は諦めない。女主人がいないことには家政がいきとどかないというのである。

 この話に伊都子はあまり乗り気にならなかった。山階宮は幕末に、伏見宮家晃(あきら)親王が還俗して創始した宮家だ。

 再婚であり良縁とは思えなかったのであるが、一応は規子に話してみる。どう考えても、親の言う通りにおとなしく嫁ぐ娘とは思えなかったからだ。方子の時と比べ、伊都子も世の中もはるかに民主的というものになっていた。

 ところが意外なことに、

「『空の宮さま』ですね。私、まいります」

 と言うではないか。

「おたあさまも私も飛行機が大好きですもの、きっとお話が合うと思います」

 そんな見方があるのかと驚きだった。

 山階宮武彦王は、学習院から海軍兵学校を経て、今は海軍中尉である。横須賀海軍航空隊に入り、自分で操縦桿を握ることで有名だ。

 やや間延びしているものの、皇族特有の端整な顔立ちである。外見に似合わず、有名な飛行機乗りであった。「空の宮さま」という愛称もつけられているほどだ。

 思えば飛行機こそずっと伊都子の心をとらえてはなさないものである。幼ない規子を連れて、米飛行家スミスの曲芸飛行や、代々木練兵場へ実物を近くに見に行ったこともある。家には飛行経路の地図も置いてあった。

 規子は、自分の血をひいていつのまにか大の飛行機好きになっていたようなのだ。

「そうはいっても、あれほど年も違うし、妃殿下も亡くなられたばかりではないか」

 観桜会や皇族講話会で、たびたび顔を合わせた佐紀子妃を思い出す。賀陽宮の王女でもあったから、少女の頃から知っていた。楚々とした愛らしい妃と武彦王とは、大層仲睦まじかったと聞いている。身重の妃殿下の亡きがらを見て、王は大変な衝撃を受けたという。それが一年あまりで再婚とはと、嫌な予感がした。

 しかし山階宮家からはやいのやいのの催促である。年が明けて承諾したとたん、あっという間に勅許が下り、新聞発表がなされた。

 気がすすまないものの、結婚準備をしないわけにはいかない。さっそく御木本(みきもと)を呼び、ティアラをはじめとする宝飾品を注文した。三越と高島屋を呼んで、ことこまかに打ち合わせをする。三越の洋装部では、最近かなり満足がいくローブデコルテをつくるようになっている。伊都子はティアラをつけ、正装した規子を思い浮かべようとしたがうまくいかなかった。まだ子どものやんちゃな娘なのである。

 山階宮家はかなり厳格な家風で知られていた。武彦王の母は、九条家の出身で節子(さだこ)皇后の姉にあたる。海外経験がある父と、大名家出身の母との、ハイカラでどちらかというと大らかな梨本宮家とはかなり違うはずであった。

 屋敷でもそれはわかる。洋館の梨本宮邸にひきかえ、麹町区富士見町の山階宮邸は、古い寺院のようなつくりである。皇族講話会という時事勉強会は、まわりもちで行なわれるが、山階宮邸の時は、食事も酒も質素だと有名であった……。

 考えれば考えるほど、この縁談に気が進まなくなってくる。

 そんなある日、山階宮家から使いの者がやってきた。妃殿下が亡くなられてから、ずっと体調がすぐれなかった武彦王は、神奈川県二宮で静養をしている。

「規子女王さまにぜひおいでいただきたいと。式を前に、おめにかかっていろいろお話をしたいということでございます」

 邸に来いというのならわかるが、避寒しているところに呼びつけるのは合点がいかない。よほど体調がすぐれないのか、ともかく規子を連れて出かけることにした。

 しかし現れたのは着流し姿の武彦王である。規子に振袖の正装をさせてきたこちらとしては、腹が立つより呆れてしまった。妃殿下の葬儀は震災の混乱の最中だったので、供物を送っただけだ。あらためて悔やみの言葉を口にすると、

「はあ……、その……まあ」

 と、全く要領を得ない返事が返ってきた。

「殿下はいつまでこちらにいらっしゃいますの。東京も元通りとはまいりませんが、銀座あたりはだいぶ賑やかになりました」

 相手が応えないので、伊都子はこんな話題をもちかける。

 このところ婦人雑誌の盛んなことといったらない。「婦人画報」「婦女界」といったものが震災から息を吹き返したばかりでなく、さらに広範な読者を得るようになった。彼らがグラビアに欲しがるのは、女優や女学者などではなく、上流社会の美しい女たちである。何年か前までは、柳原白蓮や九条武子などであったが、今や伊都子がひっぱりだこである。家の中でビリヤードをしたり、編み物をしたりする写真を皆が欲しがる。

 この一連のスターの座に、なぜか規子が加わろうとしていた。山階宮家に嫁ぐことが決まってからというもの、記者たちは規子をつけ狙うようになった。

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