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連載小説「李王家の縁談」#13 |林真理子

【前号まで】
昭和六年(一九三一)。梨本宮伊都子妃の娘方子の夫である李垠には徳恵という妹がいた。母親の死に心を病み、「早発性痴呆症」と診断された徳恵だったが、美しく誠実と名高い宗武志と結婚。新居への引っ越しも済ませ、順調な新婚生活を送るかに思えた。しかし、再び奇行を見せるようになってしまう――

★前回の話を読む。

 新婚旅行ともいえる対馬への訪問で、徳恵(トケ)は異常な行動をみせた。

 新婚の夫が懐かしい人々と歓談している最中に、突然やってきて、ずっと笑い続けていたというのだ。

 職員からその話を聞いた伊都子(いつこ)は、ああと思わず落胆の声を漏らした。徳恵のことはいつしか楽観視していたからだ。宗武志(たけゆき)はまれに見る好男子である。見合いの席でも徳恵が楽し気だったのは確かだ。そのままなんとか、幸福な結婚生活へ入ってほしいという伊都子の願いは、かなえられないと大変なことになる。

「宗伯爵はどのような様子ですか」

 李王家の職員を呼んで尋ねたところ、新婚の妻の奇矯な行動に、ただただ驚き困惑しているということだ。

「それはそうであろう」

 娘の規子(のりこ)のことを思い出す。山階宮武彦王と婚約していたものの、途中で相手の精神疾患があきらかになった。それでも何とかなるだろうと、結婚に向けて準備をしていたところ、突然破棄を申し出されたのだ。あの時は憤りのあまり、伊都子さえも心身に変調をきたしてしまった。

 しかし今冷静に考えてみると、精神を病んだ者の方から破談を申し出るのは、理にかなったことかもしれない。

 しかし徳恵にはそのようなことは起こらないであろうと、伊都子は判断する。なぜならば、徳恵の病いを知ったうえで、自分と大宮は、宗武志に白羽の矢を立てたのである。

 まず身分が違う。何といっても、徳恵は李王家のただ一人の王女なのである。李王家は皇室に次ぐ莫大な歳費を得ていた。徳恵がどれほどの化粧料を持って嫁いだかを伊都子は知っている。

 そもそもこの縁談は、自分のみならず、大宮のお心にかなったことなのだ。大宮の実家九条家が後見人になっていることからの縁談である。彼に親がいないのも都合よかった。

 それゆえに、宗武志は耐えなければいけないのだ。出来る限りの寛容さをもって、心が病んだ女を妻にしなければいけない。

 宗にはそれが出来ると伊都子は信じていた。宗のことをよく知っているとは言い難いが、彼から時々送ってくる歌の同人誌が、伊都子に希望を抱かせる。これほど繊細で心やさしい男が、異国の孤独な姫を捨てるはずがないという思いであった。

 幸いなことに対馬から帰った後、徳恵には目立った変調は見られない。宗と毎日親しく語らっている様子が報告される。詩人である宗は、朝鮮の古歌の解釈を徳恵に聞いたりするという。そして時々は、宗が敬愛する師、北原白秋の作詞した歌を二人で歌うと聞いて、伊都子はほうと驚いたものだ。

 からたちの花が咲いたよ
 白い白い花が咲いたよ
 からたちのとげはいたいよ
 青い青い針のとげだよ……

 何やら寂しい旋律のこの歌を、伊都子はあまり好きになれなかった。規子が娘に歌っているのを聞いて、初めて知ったのだ。規子が言うには、白秋の童謡は、児童雑誌「赤い鳥」によって日本全国に拡がっているという。

 十月には李王の甥にあたる李鍵(イゴン)公と松平佳子との結婚披露宴があったが、そこには二人で出席した。宗の傍でつつましく控えている徳恵の写真を見て、伊都子はどれほど安堵したことだろう。豪華なローブモンタントがよく似合い、花嫁の佳子よりも、ずっと美しかった。

 そもそもこの縁談は、李王職が密かに進めたもので、李王家は何も関与していない。直前になって伊都子は、松平家から相談を受けた。王族に嫁ぐために、佳子の身分を華族にして欲しいというのである。

 佳子の母俊子は、伊都子の妹であるが母が同じではない。父、鍋島直大(なおひろ)が同居させていた愛妾の娘である。こうした姉妹は、子どもの頃は仲よく交わって遊ぶが、結婚となると大きな差が出てくる。皇族妃となった伊都子と違い、俊子は高松松平支藩の伯爵のまた分家に嫁いだ。夫は爵位のない海軍大佐である。

 こうした家の娘たちは、学習院では学ばず、東洋英和女学校や三輪田といったところに進む。学習院は庶子も正統でない家の子女も差別しないところであるが、生徒たちの間に微妙な空気がある。佳子はそれを嫌ったのだろう、渋谷の実践女学校を卒業していた。

 姪ということになるが、親しいつき合いはまるでない。秩父宮妃となった、妹信子の娘、勢津子とは違う。しかし李鍵公と結婚するにあたり、どうにかしてほしいと、母の俊子から懇願されたのである。

 本来ならば、鍋島家に頼むべきであるが、当主である伊都子の兄がいい顔をしなかったらしい。

「どうせ結婚前のいっときだけのことではないか」

 と伊都子は承諾し、娘の規子に命じた。

「佳子を、そちらの広橋伯爵の妹ということにしておあげなさい」

「おたあさまの、またお節介が始まった」

 と規子は顔をしかめた。

「佳子さまは、少々派手な方でいらっしゃるという噂ですよ」

「まあ、乗りかけた船ではありませんか」

 伊都子は、母になってからというもの、すっかり気が強くなった娘をたしなめる。

「あなたも李王殿下が義理の兄上になったからには、李王家の方々のために尽くさなくては。殿下の甥御殿に、無爵の娘では外聞が悪いだろう」

「そこまでして、日本人と結婚されて、李鍵公はよろしいのでしょうか」

 この頃規子は、母親に向かってずけずけとものを言う。昔からお転婆な娘であったが、母親となってからは、皇族妃の母に対しても容赦がない。伯爵とは名ばかりの、いち官吏の妻となった規子は、今は世間の風を伊都子に伝える役割を果たすようになった。

「朝鮮の方々は朝鮮の人と結婚するのがいちばんよいと、このあいだもどこかの博士が新聞に書いていました」

「そのようなことを……」

「世の中は大変な不景気ですから、李王殿下にあれこれ言う人も出てくるのですよ。どうしてあれほどの金を、朝鮮人に遣わなくてはならないのかと」

「なんという不敬をあなたは言うのですか」

「私が言っているのではありません。新聞に書いてあったのです」

「このあいだも奉天で、支那の軍人が鉄道を爆破したではありませんか。こんな怖しい世の中になって、朝鮮も支那も日本と一緒に心をひとつにしなくてはならない。あなたも梨本宮の王女と生まれたからには、まずはお国だいいちと考えなくては。まあさんをお助けするのがつとめですよ」

 とさんざん説教をして、承諾させた佳子の入籍である。これについて、李王夫妻から格別の礼はなく、

「まあ、なんと呑気な人たちであろう」

 と伊都子は内心呆れてしまった。鍋島の武士の娘だった自分とは違い、方子(まさこ)は皇族の女王として育っている。すべてにおっとりとして優しい。気配りというものは、下々の者たちの特性としても、何かひと言あってしかるべきではないか。そもそも徳恵の結婚生活に気をもんでいるのは伊都子一人である。李王も拡大する中国との戦争に、将校として何かと忙しい。妹のことなど眼中にないようだ。

 とは言うものの、来たるべき出産に向けて、

「すべてそちらに専念しなさい」

 と強く説いていたのは伊都子である。何度か流産を重ね、方子は三十を過ぎていた。

 後のわずらわしいことは、すべて引き受けると言ったような気がする。だから徳恵のことも、李鍵公のことも仕方ないことかもしれない。

 そして李王家、梨本宮家、両家が息を詰めて見守る中、方子の陣痛が始まった。そして昭和六年ももうじき終わるという十二月二十九日、方子は無事男の子を出産したのである。

 十年ぶりにわが子を抱きしめ、寝台の上で方子はひたすら涙を流し続けた。傍に立つ李王も目頭をぬぐっている。

 伊都子はさっそく赤ん坊を抱きしめる。やわらかく温かい生きものの感触に酔っていると、半身起き上がった方子がおごそかに言った。

「二十九代の李王家の王がやっと誕生いたしました」

 瞬間伊都子は不思議な心もちになる。方子がそのように考えているとは思ってもみなかったのだ。

 李王朝など、とうになくなっているではないか。朝鮮という国は、併合という名目で日本の植民地となっている。李王家というのは、形だけ残り、皇室のすぐ下に遇されている一族である。が、自分はそれでもよいと思った。国などなくても、李王家は自分たち皇族と同じように、いや、それ以上の富と待遇を得ているではないか。それを承知で、自分は方子を嫁がせたのである。方子も同じような気持ちでいると考えていたが、この「二十九代の王」というのは、いったいどうしたことであろうか。李王は今や、即位の儀礼ひとつない王なのだ。

 もしかすると欧州旅行での噂は本当なのだろうか。

 昭和二年から三年にかけて、李王夫妻は欧州訪問の旅に出た。この際、まず上海に上陸するはずだったのだが、李王を拉致する計画があかるみに出て、急きょ軍艦に移り一泊したのだ。朝鮮独立運動家たちが、かなり綿密な計画を練っていたと言われている。

 日本でもかなり信憑性のある話として伝わり、帰国した方子に問うたところ、

「新聞記者たちが勝手なことを書いたのでしょう」

 とそっけなかった。

 が、もしかすると、方子は今朝鮮で起こっている政治的なうねりを、どこかで感じているのかもしれない。そうでなかったら、「二十九代の王」という言葉が出るはずはなかった。

 しかしそれは伊都子の杞憂だったと知る。その後方子は何の疑問を持つこともなく、玖(ク)と名付けたひとり息子を、日本の皇室の中に組み入れていったからだ。

 半年後の六月一日、方子は玖を初参内させる。玖を抱いて車に乗り、宮城(きゆうじよう)へと向かった。そこでは天皇皇后両陛下、大宮たちが待っておられた。特に大宮のお喜びはひとしおで、

「まあ、なんと可愛い御子だろう」

 と抱いて頬ずりなさったという。そして、方子は大宮から、

「あなたもご苦労なさったが、男児を授かり、これでお家も安泰だ」

 という言葉を賜ったという。それを聞いた伊都子は、同席していた皇后良子(ながこ)の心中を考えずにはいられない。皇后はたて続けに四人の女児を産んでいるのだ。「おんな腹ではないか」という言葉は、かなり公然とささやかれていたし、中には「側室を」と勧める重臣もいるという。

 しかし陛下は、

「うちには秩父宮もいるし」

 と全く意に介さないご様子だ。

 女二人しか産めなかった伊都子にとっても、皇后の件はひとごとではない。夫守正をもって梨本宮家も終わりを告げるのだ。が、伊都子は、孫がいずれ、朝鮮の王になるという考えはまるでなかった。朝鮮の王室はもうこの世にはない。残っているのはただの形だけだ。しかしこの形に、多くの富と名誉が与えられるのだ。それでいいのではないかと、伊都子は心から思っているのだ。

 たとえ形だけの王世子(おうせいし)であっても、玖は紀尾井町の広大な屋敷で、王子のように暮らしているのである。

 朗報が届いた。

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