美しい雄弁さ|中野信子「脳と美意識」
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美しい雄弁さ|中野信子「脳と美意識」

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 しばらく前に、アイヌ文化に詳しい学芸員から、その文化圏では、狩りがうまい人よりも、弁の立つ人がモテるのだという話を聞いた。

 男は雄弁でなければならない、というのは、内地の和人の伝統的な価値観とはずいぶん違うものだろう。内地では、現代でこそ、言葉に出して愛情を表現してくれる男性がいい、という希望が女性の間では共有されてきてはいるものの、まだまだ男性の側には、語らずともわかってほしいという考え方を持つ人が多いのではないだろうか。こうした、沈黙は金とする考え方と、アイヌ文化のそれとは真逆であるといってもいいほど違う。

 雄弁であり、美丈夫であり、度胸がある、というのがアイヌの男性のモテる三大条件なのだそうだ。言葉は力であり、言葉によって争いを解決することも回避することもできるということから、雄弁であることが男性の魅力の大きな要件と考えられてきたのである。つまり、言葉を使いこなすことのできる知恵こそが、武器を使う技術や腕力よりも、平和を享受して暮らしていくための重要な力であるという見方である。

 この地域の中では、農耕が行われる前までの時代に戦争はなかった、というのが現在の研究者たちの見解と聞いた。互いに攻撃しあうよりも、折り合うことのできる点を見出だし、互恵的関係を築いていくことが合理的な選択であるということを知って、そのために持てる能力を使える人こそが、「いい男」であったというのは興味深い。

 和人の文化で長らく沈黙が金とされてきた伝統があるのは、集団同士の争いが生じてそれを収めなければならない要請よりも、集団内における和を維持する必要性のほうが高かったからだろう。「和」人という呼び名も、言い得て妙である。私たちは、歴史のどこかのポイントで、異文化間の対立を言葉を駆使して解消するよりも、口を噤んで差異をなかったことにする選択をしたのである。

 どちらのほうが美しいか? もちろんそれは文化によって異なり、文脈依存的に変わってくる。ただ、共通項は、その選択をしたことによってできるだけ多くの人に利をもたらす行動が美しく、少数の人だけが利を占有する判断は汚いとされるという判断基準だろう。とすれば、コロナ後の世界は、もしかしたらこれまでの和人の伝統とは違ってくるかもしれない。私たちの世界は閉じこもらされていた時間の反動も手伝ってこれまでより行き来が活発になり、違う背景を持つ人との交流はより盛んになるだろう。そのときに、より多数が豊かになる方向は、沈黙よりも、雄弁であることかもしれない。美しい雄弁さを使いこなす知がより求められる時代が来ているように思われる。

(連載第39回)
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■中野信子(なかの・のぶこ)
脳科学者。東日本国際大学特任教授。京都芸術大学客員教授。1975年生まれ。東京大学工学部応用化学科卒業、同大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。医学博士。2008年から10年まで、フランス国立研究所ニューロスピン(高磁場MRI研究センター)に勤務。脳科学、認知科学の最先端の研究業績を一般向けにわかりやすく紹介することで定評がある。17年、著書『サイコパス』(文春新書)がベストセラーに。他の著書に『ヒトは「いじめ」をやめられない』(小学館新書)、『シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感』(幻冬舎新書)など。※この連載は隔週土曜日に配信します。
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