観月_修正

小説「観月 KANGETSU」#28 麻生幾

第28話

熊坂洋平(1)

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「警備部?」正木は訝った。

「ええ、さきほど、そちらの警務部にも確認させてもらいました」

 萩原はそう応じながら、ついさきほど、遺留品捜査班から報告を受けた、真田和彦の携帯電話の着発信記録を脳裡に浮かべた。

 その、大分県杵築市に在住する、熊坂洋平なる人物との通信記録は、実に奇妙なものだった。

 熊坂洋平とのやりとりは、メールやショートメール、またラインでのものはなく、電話だけだったので、通信会社からは、1年間の記録を公式な手続きを踏んで取り寄せた。

 その1年間に限ってみれば、熊坂洋平とのやりとりが始まったのは、つい3週間ほど前のことである。それまではまったくない。

 そして、この3週間、毎日のように、それも1日に何度も電話をかけまくっているのだ。しかも、通話時間が、長いときで30分間の時もあった。

 つまり、自分なりの言葉で表現すれば、熊坂洋平は、真田和彦が殺される直前、“最も濃厚な接触者”だったということになる。

 2人のその電話でのやりとりの中に、今回の真田和彦殺害の真相とまではゆかなくても、真相へ近づく端緒があるはずだ、という見立てを萩原はしていた。

 ゆえに、熊坂洋平に重大な関心を寄せるのは当然なのだ。

「さきほど捜査共助係でお聞きしましたが、熊坂洋平は、そちらが捜査をしてらっしゃる殺人事件で、取り調べを行っておられるとか――」

 萩原が言った。

 正木は顔が歪んだ。

――なんぼ同じ警察官どうしやとしてん、勝手にベラベラ喋りやがっち……。

 しかし、今、萩原が口にした、そのことは気になった。

――警備部の人間? 

 それがどうしたのか、と聞かれれば、いや、別にない、と応えるだろう、と正木は思った。

 ただ、なにか重苦しいものが胃の中に沈み込んでゆくことを自覚した。

 正木は、警備部の奴らが苦手だった。

 肌が合わないというか、これまでも、散々、嫌な思いをしてきたからだ。

「初めてお話しする方から、いきなりそげなこつ聞かれてもね――」

 正木は言葉を濁した。

「実は、我々も、熊坂洋平に重大な関心を寄せているんです」

 萩原が語気強くそう言って続けた。

「それで、そちらに伺ってですね、熊坂洋平からの参考人聴取を行いたいと――。どうかご協力のほどのお願いできませんか?」

「ご協力は、もちろん、やぶさかやねえが、上司に伺い立てませんと――」

「そちらの捜査第1課長から――」萩原は、正木の言葉を遮った。「正木さんに依頼するように指示を受けたんです」

 溜息をつくのを堪えた正木は、すこしの間を置いてから応えた。

「わかりました。ただそん前に、お願いがあります」

「なんでしょう?」

 萩原が訊いた。

「さっき仰っちょられたこと、つまり、マルガイが、当方の警備部の本官であったことですが、お会いする前に、人定事項、まずは送っち頂けませんか?」

「すぐにでも」

 萩原が即答した。

「それと、もう一つ。そちらの事件のマルガイの死亡推定時刻について、分かっちょん範囲で教えちください」

 正木が訊いた。

「明日の司法解剖を待たないと正確にはわかりませんが、検死官の見立てでは、今朝の午前5時から5時半の間です」

 萩原がそう応えてから、慌てて訊いた。

「本日の熊坂洋平の取り調べは何時からでした?」

「午前9時半からです。しかし、午前8時に、杵築市内の熊坂ん自宅にこっちから車まで迎えに行ってます。で、そちらの事件の現場はどこですか?」

 今度は正木が訊いた。

「多摩川に架けられた、東京の大田区と神奈川県川崎市とを結ぶ、通称、ガス橋と呼ばれる、その橋の下、河川敷で――」

 萩原が言葉を一度切ってから続けた。

「そこから羽田空港までは、タクシーで、首都高速が空いていれば30分ほどで行けます」

「でしたら、熊坂は――」

 正木が押し殺した声で言った。

 不機嫌そうな雰囲気で正木が、会議室に戻って来ると、七海がいきなり立ち上がった。

(続く)
★第29話を読む。

■麻生幾(あそう・いく) 大阪府生れ。作家。1996年、政府の危機管理の欠陥を衝いたノンフィクション『情報、官邸に達せず』を刊行。日本の危機管理をめぐる“真実”を小説で描いている。オウム事件など内外の事件を取材したノンフィクション作品も。主な小説に、『宣戦布告』『ZERO』『ケース・オフィサー』『外事警察』『奪還』など。「宣戦布告」「外事警察」などが、映画化、ドラマ化され反響を呼んだ。ノンフィクション作品に、『極秘捜査-警察・自衛隊の「対オウム事件ファイル」-』『前へ!-東日本大震災と戦った無名戦士たちの記録』などがある。※この連載は、毎週日曜と不定期平日に配信します。
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