蓋棺録2

蓋棺録<他界した偉大な人々>

偉大な業績を残し、世を去った5名の人生を振り返る追悼コラム。

★八千草薫

蓋棺録・写真1(八千草薫)

 女優の八千草薫(やちぐさかおる)(本名・谷口瞳)は、可憐な娘役でデビューして以来、さまざまな役に挑戦したが、楚々とした美しさは変わらなかった。

 1977(昭和52)年、山田太一脚本の『岸辺のアルバム』では不倫をする主婦を演じて衝撃を与えた。話がきたとき最初は断ったが、山田が「本気で夫以外を好きになってしまう女性を演じていいのです」と再度頼むと、「それなら」と引き受けたという。

 31年、大阪府に生まれる。サラリーマンの父親は八千草が2歳のときに急死。祖父の家に預けられた。ミッション系の女学校に入ったころは引っ込み思案の娘だった。ところが宝塚歌劇団の生徒募集を知り応募して合格する。

 初舞台は戦後の47年。『文福茶釜』の子狸役で注目され、『河童まつり』でも河童の勘平役が好評だった。「最初は動物役が多かったんです」。

 越路吹雪の紹介で映画にも出演するようになり、54年の三船敏郎主演『宮本武蔵』ではお通役に抜擢された。翌年の日伊合作『蝶々夫人』で主役を演じて、国際的にも高い評価を得ることになる。

「このころから女優の仕事が面白くなってきて、たぶん結婚はしないだろうと思いはじめていました」。しかし56年、『乱菊物語』に出演したのが切っ掛けで、谷口千吉監督と恋に落ちてしまう。

 谷口は2度結婚していて、19歳も年上。母親が強く反対したが、押し切って結婚した。「しばらく仕事は来なくなりました」。しかし、初めての役も積極的に引き受ける。「急に大人の女性を演じることになり戸惑いました」。

 テレビの初出演は58年の『中山千里』。70年ころからは、倉本聰、山田太一、向田邦子などの脚本家が、八千草の出演を求めるようになり、『おりょう』『岸辺のアルバム』『阿修羅のごとく』などで要の役を演じた。

 この間、夫の谷口が青年海外協力隊の映画『アサンテ サーナ わが愛しのタンザニア』の監督を務めたが、5000万円ほど持ち出しになった。八千草が何も言わずに仕事を増やしたので、谷口が「借金は俺が返すよ」というと、「お腹のなかでは、もっと働いて返してくれないかなと思っているでしょ」といわれ、一言もなかったという。

 2007(平成19)年、50年の結婚生活の後に谷口を看取ってからも、新しい役への意欲は衰えなかった。倉本聰脚本のテレビドラマ『やすらぎの郷』では九条摂子を演じて好評だった。続編『やすらぎの刻〜道』は治療のため降板したが、最後の挨拶で「また来ます、終わりにしたくない」と語っている。

「ちょっとだけ無理をする」のが信条だった。趣味は谷口の影響で山歩き。イヌが好きで、宝塚時代から何匹も飼っていた。(10月24日没、膵臓癌、88歳)

★米山稔

蓋棺録・写真2(米山稔)_トリミング済み

 ヨネックス元会長の米山稔(よねやまみのる)は、何度も襲った試練を乗り越えて、小さな木工所を世界的なスポーツ用具メーカーに育てあげた。

 2018(平成30)年9月、大坂なおみが全米オープンで優勝したとき、しっかりと「ヨネックス」のテニスラケットを握っていた。サポートは10年前、大坂の母親が米山に支援依頼の手紙を送ってきたときまでさかのぼる。

 1924(大正13)年、新潟県の塚山村(現・長岡市)に生まれる。父親は下駄屋を営み、米山は幼いときから下駄代の集金をやらされた。近所に1歳年上の歌のうまい少年がいて、よく相撲をとった。この少年は後に三波春夫としてデビューする。

 尋常高等小学校を卒業後、名古屋にある陸軍工廠で働いた。44(昭和19)年、陸軍に入ったところ、船舶特攻隊に志願を促され愕然とする。小豆島で訓練を受け沖縄に赴くが、米軍が上陸して出撃は中止。しかし激しい戦闘で何度も死の淵をさまよう。

 戦後、故郷に戻って始めたのは、サケマス漁の網につける木製浮きの製造だった。しかし、売れ始めたところでナイロン製漁網が普及して、木製浮きは不要になってしまう。そこで考えたのが、バドミントンのラケットだった。

 最初はラケット製造会社の下請けをして技術を学んだ。このときも軌道に乗ったと思ったとき親会社が倒産したため、借金を抱えて自殺すら考えたという。しかし、思い止まって独自ブランドを販売する決心をする。「死に損なって腹が据わったんです」。

 試練は続いた。63年、ラケットメーカーとして知られるようになったころ、本社工場が全焼する事件が起こる。米山は工場を3日で再建し業界を驚嘆させた。71年にはバドミントンラケットの販売量が世界一になる。「まさにピンチはチャンスでした」。

 69年に念願のテニスラケット製造を開始して、82年には社名を「ヨネックス」に改めた。同年、ゴルフクラブにも進出している。

「テニスラケットは舶来志向があったので、まず外国で売っていこうと考えました」

 そのために契約したのがビリー・ジーン・キングだった。注文の多いキング夫人には苦労したという。次にマルチナ・ナブラチロワ、伊達公子、モニカ・セレシュ、マルチナ・ヒンギス、そして大坂なおみ。テニスラケットでも世界ブランドとなった。

 自らバドミントン、テニス、ゴルフに邁進し、いつも日焼けしていた。97年に会長に退き、2007年にはファウンダー名誉会長となる。

「本当は沖縄戦で死んでいた。だからやるだけやって、駄目なら仕方がないと思い切れたのです」。(11月11日没、老衰、95歳)

★眉村卓

蓋棺録・写真3(眉村卓)

 作家・眉村卓(まゆむらたく)(本名・村上卓児)は、SF作家として活躍したのち、私小説で新境地をひらいた。

 2004(平成16)年に刊行した『妻に捧げた1778話』は、癌で闘病を続ける妻に読ませるため、毎日原稿用紙3枚以上の短編を書き続けた記録だった。6年後に映画化され、13年後にベストセラーになった。

 1934(昭和9)年、大阪に生まれる。父はダンスホールの支配人。大阪大学を卒業したが、何社も入社試験に失敗し、入ったのが耐火煉瓦の製造会社だった。すぐに岡山県の工場勤務となり、大酒呑みばかりの独身寮で暮らすことになる。

 それでも学生時代から書いていたSF小説を同人誌『宇宙塵』に寄稿し続けた。同誌は星新一を中心に、小松左京、筒井康隆などの寄稿者がいた。大阪本社に転勤になったのを機に、高校時代からの恋人と結婚。小説が売れ始めたので、30歳で独立する。

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★2020年1月号(12月配信)記事の目次はこちら

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