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日本は、「進んでいたから、遅れた」/野口悠紀雄

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※本連載は第19回です。最初から読む方はこちら。

 日本はキャッシュレス化で中国などに大きく遅れをとっています。それだけでなく、インターネットの利用において、世界の潮流から取り残されています。こうなったのは、かつて日本が世界のトップだったからです。

◆リープフロッグは、インターネットと深い関係がある


 これまで、中国を初めとするさまざまな国において、新しい技術が導入され、それが経済活動や生活を大きく変えていることを見ました。

 そして、それを「リープフロッグ」という概念を用いて解釈してきました。

 これは、遅れていた国が新しい技術を獲得して、先を行く国を「飛び越えて」しまう現象です。

 それが最も顕著に表われているのが、中国です。ただ、中国に限られたものでなく、同様の現象が中国以外にも見られます。

 リープフロッグ現象がとくにはっきりと見られるのは、キャッシュレス化の分野です。ここでは、インドやケニアなどが、日本より進んでいることを見ました。

 リープフロッグ現象は、インターネットの普及と深い関係があります。電子マネーも、インターネットがその基盤にあります。中国における電子マネーは、最初はeコマースでの決済用に導入されたものです。

 なお、インターネットとの関連では、アイルランドのリープフロッグが印象的です。

 それまで「ヨーロッパの病人」と言われていた国が、インターネットを中心とする情報産業に転換することによって、工業化の時代を「飛び越え」、いまや、一人当たりGDPで見て、世界のトップの地位を争うまでになっているのです。

◆日本は大型コンピュータの時代に世界のトップにいた


 この連載の第13回で、「日本が遅れたのは、1980年代以降、技術と産業構造の大きな変化があったからだ」と述べました。

 ところで、現代におけるリープフロッグと深い関係があるのは、上で述べたように、金融や情報技術です。ここでは、この観点から、日本の状況を見ましょう。

 まず、情報技術について見ると、大型コンピュータの時代に、日本は、世界のトップの地位にいました。

 大型コンピュータは、第2次世界大戦中に開発された技術です。それは、「電子計算機」と呼ばれていました。当初は主として軍事目的に使われたのですが、第2次大戦後にいち早くそれを産業化したのは、アメリカでした。

 とくに、IBM社が、独占的と言えるほどの地位を確立していました。

 そうした中で、日本は、アメリカと並んで電子計算機を生産できる国になったのです。そして、1980年代には、アメリカの独占的な地位を脅かすまでの存在に成長しました。


◆世界最先端の金融システムがあったから、キャッシュレスに遅れた


 日本は、銀行を中心とする金融システムの面でも、世界のトップにありました。

 これは、戦時中にできあがった金融システムが、戦後の経済成長の中で発展したものです。長期信用銀行と都市銀行を中心とする効率的な金融システムが形成され、産業資金の供給に重要な役割を果たしました。

 このシステムにおいて資金を調達する役割を担ったのは、預金です。全国津々浦々まで銀行の支店網が形成され、国民から「預金」という形で資金を調達したのです。

 これは、株式や社債などによって金融市場から資金を調達する「直接金融」に対して、「間接金融」と呼ばれるものです。

 そして、1970年代には、銀行が大型コンピュータを導入し、預金の口座振り替えによって送金と決済を行えるシステムを完成させました。これが「銀行オンラインシステム」と呼ばれるものです。

 それまで、預金や送金をするには、銀行支店の窓口で預金通帳に手作業で記帳する必要がありました。こうした大量の事務作業を、コンピュータシステムによって自動化したのです。ATMによって、預金も送金も簡単にできるようになりました。

 これは、文字どおり、「世界最先端」の金融システムでした。

 アメリカと比べてもそうです。アメリカでは、日常の決済に「小切手」という手段が使われていました。そして、それをいつになっても変えることができなかったのです。

 日本では、都市部であれば、どこに行っても、ATMやキャッシュディスペンサーが利用できます。したがって、決済や送金をすることに何の不便もありません。

 2000年代になってから電子マネーが利用できるようになったときにも、日本でそうしたものが必要という声は、まったく起きませんでした。いまに至るまでそうです。

 「これまでの仕組みで不便がないのだから、新しいものを導入する必要はない」というのは、当然のことです。

 日本がいま世界でもっともキャッシュレス化が遅れている理由は、このことにあります。「世界最先端の仕組みを持っていたから、キャッシュレスへの転換ができなかった」ということです。「進んでいたから、遅れた」ことの典型例です。

 すでに見てきたように、中国でキャッシュレス化が進んだのは、銀行システムが未発達だったからです。この点で、日本と中国は、対照的な条件下にあったということができます。

◆大型コンピュータのシステムを完成したから、インターネットに移行できない


 以上で見たのは、金融システムにおいて、大型コンピュータのシステム(銀行オンラインシステム)を作ってしまったので、インターネットのシステム(電子マネーのシステム)に移行できない、ということです。

 実は、同様のことが、金融以外の分野でも見られるのです。

 つまり、「大型コンピュータのシステムを作ってしまったために、インターネットのシステムに移行できない」ということが、金融システムにおいてだけでなく、日本の組織一般に見られるのです。

 このことは、とくに大企業の情報システムについて言えます。

 日本の大企業は、大型コンピュータの時代に、自社独自の情報システムを構築しました。それは、自社内で閉じたシステムです。

 1980年代以降PC(パソコン)が利用できるようになり、さまざまな事務作業が、それまでの紙と手作業の仕組みから、PCを用いるデジタルシステムに転換しました。

 しかし、それは、基本的には、大型コンピュータの時代と同じく、自社内で閉じた仕組みなのです。

 一方、インターネットは、オープンな仕組みです。つまり、情報交換が、ある組織の中で閉じているのではなく、社会全体と繋がっているのです。これは、とくにクラウドの仕組みが利用できるようになって、顕著になりました。

 企業内の情報を自社のサーバーで閉鎖的に管理するのでなく、クラウドサービスの提供者にその管理を任せるのです。

 そのため、社外のシステムと情報を共有することが可能になります。また、高度な情報処理サービスを利用することができます。

 日本政府は、2020年にようやく、全省庁のシステムをクラウドに移行することを決定しました。世界の潮流から見て、信じられないほどの遅れです。もっとも、移行するだけましだとも言えるでしょう。

 日本の多くの企業(とくに大企業)は、いまだに閉鎖的な仕組みに閉じこもったままです。

 会社が提供するメールのシステムを、Gメールなどの外部のメールシステムに連結させてはならないとしていたり、グーグルドキュメントなど情報共有ができるアプリのダウンロードを禁じたりしている会社が多数あります。

 私がnoteで行なったアンケートでは、実に62.8%の回答が「グーグルドキュメントなどのアプリをダウンロードできない」としています

 このように、日本の企業では、インターネットの利用を禁止している場合が多いのです。

◆日本ではインターネットの利用が本格化しない


 日本では、インターネットの利用が本格化しません。

 上で述べたように、キャッシュレス化が進展しないのは、従来の仕組みで、あまり不便が感じられないからです。ただ、それだけでなく、上述した企業とインターネットの関係に見られるような理由もあります。

 同じことが、さまざまな分野について言えます。

 日本でeコマースが成長しないのは、実店舗が整備されているからです。従来型の流通網が出来上がっているために、消費者はあまり不便を感じません。

 ただし、過疎地などにおいて「買い物難民」が発生していることは、事実です。また、「アマゾン効果」と呼ばれる現象(実店舗からウェブ店舗への移行)が進展していることも事実です。問題は、複雑です。

 ライドシェアリングの場合には、従来型システムへの固定が、もっとも顕著に表われています。

 こうなる一つの理由は、大都市であれば、どこでもタクシーが簡単に捕まり、タクシーの運転手もよく訓練されていて、悪徳ドライバーがいないからでしょう。だから、ライドシェアリングの便利さを評価できないのでしょう。

 ただし、この場合には、既得権益者からの反対があることが、移行を妨げている大きな要因です。

 つまり、利用者がライドシェアリングを望んだとしても、タクシー会社の抵抗があるから導入できないのです。

◆ではどうしたらよいのか?


 では、日本は、どうしたら、遅れを取り戻すことができるのでしょうか?

 どうすれば、古い技術から脱却し、新しい技術を取り入れて経済活動を発展させ、生活を豊かにすることができるでしょうか?

 これは大変難しい問題です。さまざまな要因が複雑に絡み合っているため、簡単に答えが得られるものではありません。

 しかし、この問題に答えることは、いまの日本を閉塞状態から救い出すために、是非とも必要なことです。日本経済を新しい技術に適合したものに変えていくことが、大変重要な課題です。

 われわれは、これに真剣に取り組む必要があります。

 この答えをうるためには、これまでの歴史で、どのようなリープフロッグが起きたのか、そのさまざまなケースを調べる必要があります。

(連載第19回)
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■野口悠紀雄(のぐち・ゆきお)
1940年、東京に生まれる。 1963年、東京大学工学部卒業。 1964年、大蔵省入省。 1972年、エール大学Ph.D.(経済学博士号)を取得。 一橋大学教授、東京大学教授(先端経済工学研究センター長)、 スタンフォード大学客員教授などを経て、 2005年4月より早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授。 2011年4月より 早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問。一橋大学名誉教授。2017年9月より早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問。著書多数。
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