中国はEVにリープフロッグする / 野口悠紀雄
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これまで、スマートフォン、eコマース、キャッシュレス化、AI、ビッグデータなど、IT(情報技術)に関連した分野を中心として、中国が新しい技術の体系にリープフロッグしたことを見てきました。
中国のリープフロッグは、IT分野にとどまりません。自動車においても、それが見られます。具体的には、EV(電気自動車)への飛躍です。
中国のEV保有台数は、すでに世界一となっています。2020年時点では、世界全体のEVのうち6割程度が中国に存在することになると推計されています。
◇EVが内燃機関車より優れている点
EVは、ガソリン車やディーゼル車などの内燃機関車に比べて、様々な点で優れています。
第1は、環境問題との関係です。EVは排ガスを発生しないため、大都市の大気汚染の問題を引き起こしません。したがって、北京のように自動車の排ガスによる健康被害が深刻化している中国では、EVへの移行は喫緊の課題です。
第2に、国として石油輸入への依存度を下げるという意味においても、EVへの転換が求められます。
農産品や工業製品の場合には、輸入依存度を下げることは本来は必要ではなく、むしろ自由貿易の原則に従って国際的な分業を進めることが必要なのですが、石油については特殊な問題があります。それは、産油国がごく少数であるため、政治的な理由などによって供給が大きく変動してしまうことです。これは経済の安定化だけでなく、安全保障面からも問題です。
もちろん、発電のためには化石燃料などが用いられるのですから、国全体として見た場合に、果たしてEVへの移行が環境を改善するかどうかは、自明ではありません。しかし、大都市における環境がEV移行によって改善することは、間違いないと思われます。
また、発電のために原油を輸入すれば、エネルギーの海外依存は変わらないとの議論があるかも知れません。しかし、中国では、火力発電の主力は石炭発電です。このため、EVに移行すれば、エネルギーの海外依存度を低められます。
また、発電のための燃料は原油だけでなくLNG(液化天然ガス)などもありますから、中国以外の国の場合も、EVへの移行で供給源を分散化することが可能です。
◇中国は、国策としてEVに転換
以上のような理由から、中国はEVへの転換を国策としています。
2019年に中国で「NEV規制」が導入されました。「NEV」とはNew Energy Vehicle(新エネルギー車)の略で、ディーゼルとガソリン(ICE:Internal Combustion Engine:内燃機関)車からEVへの転換を求めるものです。
これにより、中国の自動車メーカーは、2019年以降、販売台数の10%以上をNEVにすることが義務付けられます。2020年には、この比率が12%に強化されます。
また、EVの購入者に最大100万円の補助金が支給されたり、特定の道路での走行規制が免除されたりするなどの優遇措置が講じられています。
先に述べたように中国のEV保有台数が世界一になっているのは、こうした政策の結果です。
◇日米欧では、EVへの転換は容易でない
ところで、都市の環境問題やエネルギーの海外依存の問題は、他の国も中国と同じように抱えています。それにもかかわらず、EVへの転換はなかなか進みません。
その理由は、すでにガソリン車が普及してしまっていることだと考えられます。
第1に、それに対応した社会的なインフラ、例えばガソリンスタンドが存在するため、社会的に見てもEVに転換しにくい面があります。
自動車メーカーの生産体制もICE車のためのものになっており、熟練労働者もICE車の複雑な組み立てを行う人々が評価されてきました。自動車生産体制がEV向けに転換すれば、こうした人々は失業してしまいます。
第2に、利用者の立場から見ても、EVでは充電時間が長いとか、走行距離が短いといった問題があります。
ICE車に乗り慣れて、その利便性に慣れてしまった社会では、EVへの転換はそう簡単ではありません。
ところが中国では、自家用車を保有していない世帯が半数以上を占めます。そうした世帯では、EVに対してICE車と同じような性能は求めません。走行距離が短く、最高時速が遅く、加速性能で劣っても構わないので、小容量のバッテリーで低価格のEVが普及しうるのです。
このように、中国ではガソリン車があまり普及していなかったために、政府の政策によって、比較的容易にEVが増加します。
つまり、中国は、ガソリン車という段階を飛び越えて、つぎの段階であるEVに進みつつあるわけです。これは、固定電話を飛び越えてスマートフォンに進んだのと同じことで、リープフロッグ現象だと考えることができます。
◇産業政策としてのリープフロッグ
中国政府がEV普及政策を取るのには、もう一つの理由があります。それは、中国の自動車メーカーや蓄電池メーカーの競争力強化です。
部品数が多いICE車では、欧米や日本のメーカーが生産するような性能の自動車を、中国のメーカーが生産するのは難しいのです。
ところが、部品数が少ないEVであれば、中国企業が日米欧のメーカーに追いつき追い抜くことは可能です。それによって、これからの自動車産業で優位性を確立しようとしているのです。
これは、意図的にリープフロッグを行なおうとするものだと解釈することができます。
(連載第6回)
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■野口悠紀雄(のぐち・ゆきお)
1940年、東京に生まれる。 1963年、東京大学工学部卒業。 1964年、大蔵省入省。 1972年、エール大学Ph.D.(経済学博士号)を取得。 一橋大学教授、東京大学教授(先端経済工学研究センター長)、 スタンフォード大学客員教授などを経て、 2005年4月より早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授。 2011年4月より 早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問。一橋大学名誉教授。2017年9月より早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問。著書多数。
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