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西寺郷太 小説「'90s ナインティーズ」#9

第二章
BIRD SONG / 自由の小鳥

★前回の話はこちら。
※本連載は第9回です。最初から読む方はこちら。

(9)

 棚倉さんの言葉が放たれるまでの数秒間、杏仁豆腐と間違えて白い消しゴムを噛み砕いてしまったような乾いたザラつきを口内に感じていた。

 正直に言えば、兄貴分の棚倉さんに対しても、いや、どんな年長者に対しても、僕はそれまで「怖い」という感情を持ったことはなかった。10代からこの時に至るまで、自分の本当の物語はまだ始まってはいない、と頑に信じ込んでいたからかもしれない。

 すべての現実が虚構の世界に巻き上がる砂埃に包まれたようなフワフワとした感覚。だから彼の返事を待つ間、怯えていたわけではない。決心は固まっていた。

「うーん……」

 棚倉さんは僕と同じ「キャスター・マイルド」を吸っている。ほのかなバニラの薫りが受話器を通じて届くような気がした。

「じゃ、ゴータ、今日で仕事辞めな」

「え?」

「青柳のオヤジ、悲しむと思うけどさ。あなたのこと可愛がってたし、就職も誘われてたでしょう?」

 棚倉さんは後輩の僕に対しても情報伝達の正確さを重視する時、敬語を混ぜる人だった。確かに、数週間前、凸版印刷の子会社である電子メディアサービスの青柳社長から直々に「ゴータ、卒業したらウチに来るのはどうだ?」と声をかけられていた。

 自分が受け入れさえすれば大学最終年のアタマに就職がすんなり決まる。そのことを母親に告げると大喜び。彼女がMacを買う資金をポンと用意してくれたのもその流れの中にあった。

 それまでのように「紙に印刷」するだけでなく、PCとインターネットが主流になる世界では新たな「印刷」の領域を模索せねばならない。斜陽産業になる前に、アイデアを結集し「デジタル時代」のビジネスを模索する。これほど楽しくクリエイティヴ、冒険心に満ちた職場はない。嫌なところはひとつもなかった。

「うちには自由もある。俺みたいな奴雇ってるくらいだしな」

「それは、そう思います。あはは」

「へへ、このタイミングでそういうツッコミ言えるの面白いな。工藤ちゃんやデザイナー連中からも、あなたはアイディアマンだし、これから育てば凄いことになるかもって」

「工藤さんにも優しくしてもらいました」

「会社に勤めたって、あなたが音楽続けることを誰も止めない。青柳のオヤジならそこは絶対理解してくれる」

 棚倉さんは、僕の返事を待たずに続けた。東京という出口のない迷宮から「お前は面白いよ」と救い出してくれたのは、紛れもなくこの人だ。彼の声は手練れの噺家のような抜けの良さで耳元に響いた。

「俺はね、心の奥では今ミュージシャン一択の道を選ぶよりも、ウチで経済的にも基盤を固めて、経験を積んだ方があなたの未来は拓けるとは思う。大人として。正直に言うけど」

「はい」

「ただ、そう決めたんなら早い方がいい。今日で辞めな。来月10日、今月分の給料渡すから会社においで。で、昼飯でも一緒に食おう。で、その時、青柳のオヤジにだけは、ちゃんと挨拶しろよ」

「はい、もちろんです! ありがとうございます。棚倉さん、ありがとうございます……」

「おぅ。じゃ、10日な」

 電話を切った後、ヤル気に満ち溢れた僕はすぐに黒いストラトキャスターを手にして新たな楽曲の制作をはじめた。

 今日から新たな人生が始まるのだ。退路は断たれた。

 東中野ヒルズ、1階角部屋のワンルーム。一人暮らし。バンドはない。音楽的パートナーもいない。

 スペースを確保するため、僕は二段ベッドの下層の底を抜き、機材を集めた簡易的なスタジオにしていた。録音機材は自分の身体の一部のように使い慣れた FOSTEX の4トラック・カセットMTR「MULTITRACKER X-28」。リズムマシンは BOSS 「Dr.Rhythm DR550 MK II」。ベースはナチュラルな明るい木目のフェンダー・ジャパン、プレシジョン。楽器を取っ替え引っ替え、リズムの打ち込みを繰り返し朝まで格闘したが、その日は何も思い浮かばずで。ヤケくそになり、TLC のセカンド・アルバム『クレイジーセクシークール』をリピート再生しながら眠ってしまった。

 二段ベッドをよじ登ってすぐ。時間切れでタスキを渡せる相手のいない箱根駅伝のランナーのように、布団の中に倒れ込んだ僕は夢を見た。

 それは夢というよりも反芻するごとに脳裏に刻まれ続けた確かな想い出。人生の、最初の鮮烈な記憶。3歳の誕生日、つまり、1976年11月27日土曜日の光景だった。

 誕生日祝いのプレゼントを買うために両親と訪れた地元京都・近鉄伏見駅前の大型スーパー「イズミヤ」。そこで、たまたま開催されていたカラオケ大会にどうしてもとせがんで出場したのだ。3歳になったばかりの僕は、都はるみが前年に発表し、140万枚を超えるセールスを記録していた大ヒット曲「北の宿から」を堂々と歌い、喝采を浴びた。

 客席から見ていた父親曰く、イベントスペースに集まってステージを見ていた買い物客達はまばらだったと言う。まだ公開スペースでカラオケを行うこと自体が珍しい時代で、歌うのを恥ずかしがる人も多かったと。しかし、それでも観衆からやんやの歓声を受けた幼き日の快感は、僕の人生を変えた。

 一度目覚めた後も、まどろみの中で夢で見た幼少期の記憶の続きを断片的に辿った。そして、「Waterfalls」のイントロのリズムに心地よく重なってゆくワウのグルーヴを感じていくうちにまた眠っていた。

 小学4年生の頃、自分が自在に作詞・作曲が出来ることに気がつく。ただそもそも、思いつきで適当なメロディや歌詞を作ることなど誰もができることだと信じていたので、他人に誇ったり、作った歌を聴かせるつもりは毛頭なかった。

 ロサンゼルスでオリンピックが開催された1984年。底に赤、青、黄色、黒、緑のリングがついている、イーグルサムが描かれたコカ・コーラの記念グラスが欲しくてたまらなかった。ただし、公立中学校で英語教師として働く父親は「コーラは身体に悪い」の一点張りで買ってくれなかった。

 小学校5年生、10歳になった僕は、マイケル・ジャクソン、ワム!、カルチャー・クラブ、プリンス、マドンナなどの「MTV・スーパースター」に熱狂していた。この時も英語を理解する父親は、プリンスとマドンナは「エロいことを歌っている変態だから」という理由で禁止してきた。

 確かにパンティーとトレンチコートのみを身につけ、胸毛は満開。腰を振る卑猥なダンスを繰り返し、ギターのネックを男根に見立て擦りまくり喘ぎ声を上げるプリンスは明らかなる異形。子供が熱中していて咎めぬ親はいない、とも思うが。このときばかりは、小学校教師の母親も「小学生には小学生の聴く音楽があります!」と言って泣いていた。

 思い返せば父親は、当時爆発的に流行し始めた任天堂のファミリーコンピュータも買ってくれなかった。1983年に発売され、あっという間に広まったファミコン旋風。僕も最初は友達の家で「ロードランナー」などのソフトの操作を教えてもらい呑気に遊びに混ぜてもらったが、次第にハードを持っていない自分だけ圧倒的に下手くそになりそれが嫌でゲームに興味を失った。

 とうとう学年でファミコンを持っていないのは僕だけ、という状況にさえなった。「女の子も兄弟がいたりして持っているのに」と布留宮というおせっかいな友人がわざわざ教えにきてくれたほどだ。結果、一度もゲーム機を買わないまま大人になった。

 ゲームに熱中する同級生を横目にSONYの白いダブルラジカセ「CFS-W80」を手に入れ、レコード・コレクションを着実に、異常なまでに増やした。父親はプリンスとマドンナ以外の海外のポップス、ロックに僕が夢中になるのは大歓迎で、随分協力してくれた。その点では恵まれていたと思う。

 要するに何がなんでも反対するわけではなく、彼自身の持つオールドスクールな感覚で納得できるかできないか、そこだけがポイントだった。

 とはいえ、禁止されたら余計に興味が湧くのが世の常。特にプリンスは隠れキリシタンのように、親のいない時間帯にこっそり聴き、ズブズブと心酔してゆく結果を招いたわけだが。

 完全に目覚めた時、僕はその時が来たと思った。何故こんな夢を見るのかがわかった。逃げてもしょうがないじゃないか。

 次に電話をかけるのは、父親だ。彼にお願いして、バイトを辞めた分、更なる仕送りをしてもらわねばならない。アマチュアの音楽家はお金が出てゆく一方だ。他に誰を頼ることも出来ない。僕は両親がある程度のお金を持っていることを知っている、ちゃっかりした子供だった。利用できるものは利用する。

 もちろん本当はシレッとクールにひとりで完結して、プロのミュージシャンになりたい。しかし綺麗事では夢は叶えられない。ここは頑固な父親に体当たりするしかない。

「オヤジと交渉か……」

 僕はひとり、そう呟いた。

★今回の1曲―― TLC - Waterfalls (1995)

(連載第9回)
★第10回を読む。

■西寺郷太(にしでら・ごうた) 
1973年東京生まれ京都育ち。早稲田大学在学時に結成したバンド「NONA REEVES」のシンガー、メイン・ソングライターとして、1997年デビュー。
以後、音楽プロデューサー、作詞・作曲家としてもSMAP、V6、YUKI、岡村靖幸、私立恵比寿中学、「ヒプノシスマイク」など多くの作品、アーティストに携わる。
近年では特に80年代音楽の伝承者としてテレビ・ラジオ出演、雑誌連載など精力的に活動。マイケル・ジャクソン、プリンスなどの公式ライナーノーツを手がける他、執筆した書籍の数々はベストセラーに。
代表作に小説『噂のメロディ・メイカー』(扶桑社)、『プリンス論』(新潮新書)、『伝わるノートマジック』(スモール出版)など。
現在NHK-FMで放送中の「ディスカバー・マイケル」に案内役としてレギュラー出演。


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