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浅田次郎さん最新小説『大名倒産』の執筆裏話! 担当編集が語る泣きどころ、笑いどころ

『文藝春秋』で連載していた浅田次郎さんの小説「大名倒産」が、ついに単行本化されました。連載中から反響続々だった笑いと涙の経済エンターテインメント! 浅田さんが本作を執筆する際の“裏バナシ”を、担当編集者2人が時別に明かします。小説と合わせてぜひお楽しみください!

浅田次郎の鉄板ネタ

司会 『大名倒産』は月刊文藝春秋2016年4月号~19年9月号に連載されていました。そして、いよいよ単行本(上下巻)が12月6日に発売されます。刊行にあたって、雑誌で連載を担当していた「ゆとり世代」のIさんと、単行本を担当した「ロスジェネ世代」のHさんに集まってもらい、執筆裏話を伺いたいと思います。

I&H よろしくお願いします!

司会 まずは雑誌担当Iさんに連載開始の頃の話を伺いましょうか。

I 「大名倒産」というタイトルは割と早い時期に決まっていたと思います。浅田さんは、江戸時代の藩経営は、現代の会社経営に通じるというお考えを前々から持っていて、よくお話を伺ってました。

H 浅田さんが企業向けになさる講演会の鉄板ネタがあるんです。それは、「江戸時代には老中という、今の会社で言えば重役にあたる役職がありましたが、なんと、その数の半分以上は幕末に偏っているのです。つまり、組織が揺らぎ始めると老中(重役)がばたばた交代して人数だけが増えていく」という話。ここまで聞くと、聴衆はフムフムと頷いて、前のめりになります。

I いつの時代も変わらないんですね。

H 「大名倒産」は、そのような現代的なテーマを江戸を舞台に書こうとなさっていたんだと思いますし、実際そうなっていますね。


『大名倒産』あらすじ
主人公は丹生山松平家三万石を襲いだばかりの若き殿様。
老中からの宣告に慌てて調べれば、藩の経済事情は火の車であった。
奇跡でも起こらぬ限り返しようもない額の借金に押し潰される寸前の弱小大名家。
父である御隠居はこの苦境を見越して、庶子の四男である小四郎に家督をとらせたのだ。
計画的に「大名倒産」を成した暁に、腹を切らせる役目のために……。
父祖から受け継いだお家を潰すまい、美しき里である領地の民を路頭に迷わせまいと、江戸とお国を股にかけての小四郎の奮戦が始まる!
だが、大名行列の費用に幕府からの普請費、さらに兄が嫁取りしたいと言い出し、金は出てゆくばかりで……しかも、お家にとり憑く貧乏神まで現れて!?


I 大企業であればあるほど、意味のない縟礼が残っていますよね。メールを一度に複数名に送るときも、誰それを筆頭にしないといけないとか。ある意味、どうでもいいことにこだわっている。「大名倒産」ですと、まさに江戸幕府が大企業になるわけですが。

H 小説の冒頭で、和泉守が居残りとなりますが、そのとき気にしているのは、「御目見の折に、畳の縁(へり)に手をついたか、それとも脇差の鐺(こじり)が襖(ふすま)に触れでもしたか」という作法の問題でした。

I 浅田さんは、一般企業や出版社などを見て、そういう変な風習が残っていることの滑稽さを感じていたんでしょうね。

H 権威づけのために始めたであろう風習が、意味もわからず継承されて、最後は誰も理屈が分からないのに、それに縛られていく。例えば、小説に出てくる「八朔の日」っていうのも、家康が江戸入りした日を記念して……ということになっていますがこれもあくまで儀礼的な日付らしいです。しかも、八朔の日の前には「鯖代献上」という儀式があるんですが。

I 鯖を買うお金をあげるんですか? 

H 私も浅田さんにそう言ったら、「いや、本当に買ったわけじゃないと思うよ」とおっしゃっていた。そういう意味不明のことが山ほど受け継がれ、その一方で、幕末になると多くの藩の経営は破たんを迎えるようになります。今回舞台となります丹生山松平家も、お金がすっからかん。

I 25万両の借金があって利息だけで毎年3万両になっている。台所事情も知らずに受け継ぐことになった若殿にしてみれば、いったい、どうすればいいのだと。

佐渡金山資料館の小判

佐渡金山の資料館に展示された大判小判。時につれ段々小さく……

H そこが私たちロスジェネ世代にはグッとくるんです。我々はいわば親世代の借金を押し付けられた世代で、「人生再設計第一世代」なんて名前まで政府につけられて……。再設計が前提って、いったい何よと言いたい。親世代はおそらく戦争も知らずに生き抜けるでしょう。そんな親世代と作中の御隠居様たちが重なって「いいですよねー、羨ましいです」と浅田さんに言うと、「なんか、ごめんな」っていつもたじたじとされる。小説の感想をお伝えしてるだけなのに(笑)。

I ロスジェネは借金を作ってきた世代への怒りがあるんですね。一方、浅田さんは団塊の世代です。

H 会社だってそうじゃないですか。上司を見てても、この世代までは、逃げ切れるんだろうなぁって思いますもの、しがないOLとしては。

I けど、「大名倒産」ってタイトルで本当に倒産しては小説になりません。あの手この手で経済を再建し、成功していくところに読者は溜飲をさげてもらえると思います。

H 再建の中心となるのが若殿の和泉守。浅田さんが描く、子どもや若者は本当に健気ですね。

I こんだけ借金を抱えていてどうするの? という状況ですからね、小説もいまの日本も。大人たちが、内部留保を分けて藩(会社)を解散したくなるのも分かります。それを見ているロスジェネ世代はやりきれないですね。

H その若い世代の健気な闘いが、まさに読みどころです。


新潟取材での発見

H 取材には2度行っています。最初は連載を始めて間もないころ。丹生山のモデルになりそうな新潟県の村上市を取材しました。そのときに、「笹川流れの夕陽」を見たんです。まだ具体的に財政再建の方法が見つかってなかったと思うのですが、この時代は「廻船」が経済の中心になりますので、きっと海が小説の鍵になると思われたんだと思います。

夕日

村上市の瀬波温泉の浜辺から眺める日本海の夕陽

I 村上は夕陽がきれいな街ですよね。

H 海に夕陽が沈んでいくのね。私は東京生まれの東京育ちなので、海に沈むのはそのとき初めて見ました。そんな話を浅田先生にしたら、「当時は、この景色を見たことがない人がきっと沢山いたんだろうな」とおっしゃった。ああ、同じ景色を見ていても、この方は江戸時代のことをずっと考えているんだと思いました。

I 小説に出てくる「黄金ヶ浦」という地名は、このときの夕陽からイメージされたのかもしれませんね。

H あと、うち捨てられたお寺や、笹川流れから塩汲みも見に行きました。その辺の取材の成果は、単行本でいえば下巻で活きていると思います。

潮汲み

笹川流れの塩工房では薪炊きの釜で海水を煮詰める塩作りを見学

I 天井からずらりと鮭が吊るしてあるのを見たのも1回目の取材です。

H 塩引き鮭ね。あれは、美味しかった。

I 2回目の取材は去年の秋ですね。

H そうそう、単行本でいえば23節のころ。いよいよ藩に宝船を呼び込まねばならないけど、どうやろうかという段になり、千石船を見に行きました。佐渡に千石船の復元模型を展示している「佐渡国小木民俗博物館」という場所があるんです。そこで、浅田さんは、船頭たちが乗るところに実際に乗り込んで「なんだ、狭いもんだなぁ」と驚いてました。その体験が小説でも終盤の神様達の場面に活かされているんじゃないかしら。浅田さんも「(取材は)行っておくもんだ」とおっしゃってました。

I 取材は拾い物が大事とよく言われますが、本当にそうなんですね。


鮭を見る浅田さん

村上の鮭は切腹を連想させないように腹を完全には捌かず繋げておく

画像5

塩引きして寒風干し。完成まで約1ヶ月

H 博物館近くの宿根木という地区に保存されている家にいくと、天井が漆塗りだったりして当時の船主の裕福さが伝わってきました。そこから叩き上げの船頭・房五郎というキャラクターをつくったのではないかしら。宿根木の家にも囲炉裏のある吹き抜けの間に立派な神棚があったんです。それで、福禄寿が神棚から舞い降りてきて炉辺で居眠りしてる房五郎に話しかけるっていう場面が生まれたと思っています。

神棚_2

宿根木に保存された「清九郎」の家にある神棚


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囲炉裏を切った一階広間

I   村上では三面川の居繰網漁の取材にもいきました。鮭を追い込む漁ですね。その後で、我々と一緒に「新多久」という料理屋で鮭料理を食べました。沢山食べましたねぇ。死んだら鮭になりそうだった(笑)。

H 1回目の時期はまだ新鮭は上ってきてなかったんですよ。浅田さんはどうしても新鮭が食べたいとおっしゃって、2回目の取材が10月末になったんだ。いま思い出した。小説としては、本当はもっと早く取材に行きたかったんだけど。

I 口がひん曲がるような塩引き鮭が食べたいとおっしゃってましたよね。

名称未設定-2

左)原寸大に復元された千石船   右)狭い船室の入り口には頭上注意の看板が


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日本初の鮭の博物館「イヨボヤ会館」で観察窓から川の中の様子を見る浅田さん

H 「新多久」でIさんと3人での会食のとき、浅田さんは下戸なので一滴もお酒を飲みませんが、飲みたそうにしている私を見て、「飲める人は飲んでいいんですよ」と。「では、ビールを」
「ビールでいいの」
「では、日本酒で……」
鮭をつまみに飲んでいたら、
「鮭はそんなに日本酒にあうのかい」と取材されました。
「鮭の脂が、お酒に溶けてくようで」と答えますと、「そんなもんかねぇ」と。どんなことも取材になるんですね。

I 私も下戸なので、美味しそうに飲んでいるHさんが羨ましかった……。全く飲まない浅田さんですが、酒の場面は本当に美味しそうに書かれます。

H 日本中の下戸の中で、一番お酒を美味しそうに書ける作家だと私は思います。
飲まないからこそ、理想の酒が描けるのだ!と勝手に思っている。

料理

酒飲みには至福の味、鮭尽くし

I そもそも、なぜ村上藩がモデルになったのでしょうか。

H 江戸から遠からず近からず、しかもさして表立った大きな事件が無く、石高も五万石とほど良く平均的、幕末までわりと平穏だったというのもポイントでしょうね。鮭という名産品があったのも大きいと思います。そういえば、取材で佐渡島からの移動中に、「この辺りにはどのくらいで討幕の知らせが届いたのかなぁ」とおっしゃった。

I 薩摩や長州といった西国とは情報の早さが全然違いますもんね。

H それで、佐渡島で郷土史の本を調べてみたら鳥羽伏見の戦いのことが伝わるのが「四日」とありました。私は意外と早いと思ったのですけど、でも当時において距離は現代の想像以上にハンデだったでしょうね。連載の中で、鮭をいかに大坂・江戸への物流にのせるかが焦点になりつつある時期だったので、浅田さんは、新幹線や高速船で繋がった現在とは違う「村上―東京」間の距離のことをずっと考えていたのかな、と。

担当者イチオシのキャラクターと泣ける場面

 私が連載中にずっと気にしていたのは、七福神の一柱、サラスヴァティー(弁財天)なんですよね。恋愛至上主義の女神さまキャラがすごく好きで。1000年か2000年前に付きあったマハーラージャにおもざしが似ている和泉守に一目ぼれして、窮地から救おうとするんです。他の七福神も巻きこんじゃう恋心がかわいい。

 経済より恋愛のほうが一大事なお年頃だもんねぇ、まだ。

I そうなんですかね。ゆとりだからかな。

 良いと思うよ。お金も大事だけど恋愛も大事だよ、たぶん。

司会 私は原稿を読んで5回泣きました。皆さんは、泣いた箇所はありますか?

 単行本の校了作業をしながら読み返す度に泣いてしまう箇所が最低5箇所あるんですよ。まず、上巻「二、十二年前過日之追懐」での和泉守と育ての父との別れの場面。

I だいぶ早いタイミングで泣きますね。

 そうなんです。ここは文章までピンポイントで決まっていて、p35の〈けっして権現様の血を享けた体を尊んでいるわけではないと知れた。二度と触れることのできぬ倅の体を、父は愛おしんでいた。〉……読み上げるだけで泣きそう。ここの、なさぬ仲といえども慈しんできた父と、そのことを十分に理解している幼い息子のいじらしさが堪らないんです。

I 国元の蘆川(あしかわ)で、育ての親と再会するところもいいですね。父は、鮭の養殖を務める川役人になっていて。

 そう! 丹生山にお国入りしてからのことなのですが、風景描写の美しさとあいまって忘れがたい場面です。上巻のクライマックスと言っても過言ではないかも。

I 和泉守の兄・新次郎とお初は心から応援したくなる夫婦ですね。新次郎は「天衣無縫の馬鹿」と評されるほどなんだけどとにかく人柄が良くて、似たり寄ったりのお初という女の子が好きで好きで結婚したくてたまらない。

 新次郎の嫁取話は、お笑い担当かと思いきや、泣いてしまう。和泉守も兄の願いを叶えてあげたくても結納金が準備できないわけです。そこでお初の親に「払いたくてもお金がないのです」と率直に打ち明ける。武士の体面も捨てて、実の親に頼れず、他人にすがるしかない和泉守が健気で哀れで泣いてしまう。

I 実の父の御隠居様は、百姓与作に、茶人一狐斎、職人左前甚五郎や、板前長七と、役柄を演じ分けながら、和泉守を追い詰めていく。妾腹の四男なら「腹を切らせたところでさほど惜しくはない」(上巻p143)なんて、ひどい!と思っていたのですが、御隠居様にも時代なりの理由があって。長く仕えた側近の八兵衛には、それが分かるんです。その八兵衛の心情にもぐっときます。

 残る場面はあんまり詳しく言うとネタバレになってしまうかもしれないのですが、泣きながら作業していると誤植を見落としたんじゃないかと不安になるくらいでした。笑って読んでいるとグッと涙がこみ上げるような場面がくるので油断できないんです。でも、良いユーモア小説ってそういうものだと浅田さんもおっしゃっていました。

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