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「日本が悪い」と叫ぶ経営者が悪い 楠木建

遠いものほど良く見えるという“遠近歪曲バイアス”の罠。/文・楠木建(一橋ビジネススクール教授)

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楠木氏

「世界で最もクリエイティブな国」

「タイムマシン経営」という言葉がある。先進的な国や地域で萌芽している技術や経営手法を日本に持ち込むという考え方だ。筆者は、この発想を逆転した『逆・タイムマシン経営論』(日経BP)という本を昨年出した。メッセージを一言で言うと、「新聞・雑誌は寝かせて読め」。情報は鮮度が高いほど有用だと思われがちだが、近過去の歴史こそ大局観を獲得するのに役立つ。

環境変化が激しいときほど、本質を見据えることが大切になる。「そう簡単には変わらないもの」、ここに「本質」の本質がある。ビジネスは変化の連続だ。しかし過去から現在までの変化に目を凝らすと、一貫して変わらないものが見えてくる。変化を追うことではじめて不変の本質が浮き彫りになるという逆説だ。

過去の言説を振り返ると、同時代の人々の認識には「遠近歪曲」——遠いものほど良く見え、近いものほど粗が目立つ——というバイアスがあることに気づく。米国ではGAFAに代表される巨大企業が生まれ、中国では「データ財閥」が台頭している。それに対して日本企業は時代遅れの日本的経営から脱却できず、イノベーションから取り残されている——こうした議論がその典型だ。

「日本の経営者は内向きで大胆な変革ができない」「日本的経営は硬直的で時代遅れ」といった企業経営の問題から、「少子高齢化の閉塞感の中で日本には展望がない」というマクロな言説、はたまた「このままでは日本は崩壊する」という憂国的な全否定まで、「日本(人、企業、社会、政府)はダメ」という主張が毎日のようにメディアから発信されている。

こうした主張は比較相対論に基づいている。「米国(とか中国とか北欧)では……」で始まり、「ところが、日本では……」と問題や欠点を指摘し、「だから日本はダメなんだ」という構造の議論になっている。

当然のことながら、日本には問題が山積している。ビジネスや経営の分野でも、先進国や新興国に比べて「遅れている」「劣っている」ところが多々ある。ただし、比較対象の米国や中国や北欧に問題がないかと言うと、もちろんそんなことはない。

「日本人は画一的で同調志向でリスク回避的で創造性がない」——確かにそうした面があるだろう。しかし、コンピューター・ソフトウェア会社アドビが米国、英国、ドイツ、フランス、日本の5カ国で実施した創造性に関する2016年の意識調査では、「世界で最もクリエイティブな国」は日本、「世界で最もクリエイティブな都市」は東京だった。この調査に限らず、これだけ問題満載の日本の経済や社会や企業にしても、遠くにいる欧米の人々には、いまだに「日本製品の品質はすごい」「治安が素晴らしい」「清潔で秩序だった社会」と見えているのが面白い。遠近歪曲は日本に限らず普遍的に見られる人々の思考バイアスだ。

全米を揺るがした企業詐欺

この四半世紀の日本における「シリコンバレー礼賛」は遠近歪曲の典型だ。1990年代にインターネット産業が勃興し、米国のシリコンバレーで次々とベンチャー企業が誕生した。2010年代には、巨大プラットフォーマーのGAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)のうち、アマゾン以外の3社がシリコンバレー出身ということもあり、「シリコンバレーはすごい」→「それなのに日本は……」→「だから日本はダメなんだ」というロジック(?)が議論のテンプレートになった観がある。

しかし、こうした圧倒的な成功を収めた企業はごく一部に過ぎない。当たり前の話だが、シリコンバレーも実際は玉石混交、他の国や地域と同じように、良い経営もあれば悪い経営もある。日本ではセラノス(Theranos)という企業はあまり知られていない。しかし米国でこの会社の名前を聞いたことがない人はほとんどいないだろう。2003年に創業したセラノスは、非公開企業ながら最盛期には株式の評価額が90億ドル(約1兆円)を超えた気鋭の「シリコンバレー発のテックベンチャー」だった。

創業者はスタンフォード大学を中退した当時19歳の女性、エリザベス・ホームズ。彼女は血液検査という分野に着目した。当時の血液検査のコストは非常に高く、医療費の高い米国では、低コストの血液検査への強いニーズがあった。セラノスは、被験者の指先から採取したごく少量の血液を診断センターに輸送し、自社開発の診断器を使って迅速に検査結果を出すという事業プランをぶち上げた。2014年にセラノスは4億ドル以上を調達し、株式の過半を所有するホームズは「自力でビリオネアになった最年少の女性」として話題を集めた。米フォーチュン誌は、「ヘルスケアの革命を目指す」女性CEO(最高経営責任者)として、ホームズを表紙写真に取り上げている。

ところが、セラノスには重大な問題があった。大々的に発表していた「新技術」がまったくの虚偽だったのだ。米ウォール・ストリート・ジャーナルの告発記事をきっかけにウソが露呈し、信用を失った同社は2018年に経営破綻、創業者のホームズは米証券取引委員会(SEC)から詐欺罪で訴えられる結果となった。

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詐欺容疑で訴追された「セラノス」の創業者(左)

シリコンバレーの本質とは

シリコンバレーというと、グーグルやアップルなどの巨大企業や急成長のスタートアップにばかり目が行く。ところが「業績がパッとしないシリコンバレーのポンコツ企業は?」という問いに対してすぐに答えが出てくる人はあまりいない。つまりは遠近歪曲だ。

シリコンバレーという特異な生態系全体の文脈を理解せず、その時々で注目を集める技術やベンチャー企業や起業家にばかり目を向けてしまう。これが遠近歪曲を引き起こす。

セラノスは極端に派手なケースだったが、こうしたインチキ企業が次から次へと出てくるのは、もはやシリコンバレーの風物詩といってよい。華々しい成功企業よりも、セラノスの事例を検証するほうが、シリコンバレーの文脈理解にとってよほど役に立つ。逆説的に聞こえるが、セラノスのようなスタートアップが出てくるということが、シリコンバレーに固有の「良さ」だからだ。

シリコンバレーという生態系の本質は、その内部で異様にヒト・モノ・カネ・情報の流動性が高いということにある。技術者だけでなく経営やファイナンスのスペシャリストが一挙に起業家のもとに集結する。そこに多大なリスクマネーが注がれる。うまくいかなければ早々に見切りをつけ、ヒト・モノ・カネは次の「未来のユニコーン(希少性の高い未上場のスタートアップ企業)」へと移っていく。2011年にフェイスブックが本社として購入したのは、ワークステーションで一世を風靡した米サン・マイクロシステムズが拠点を構えていた土地だった。こうした新陳代謝の上に、シリコンバレーは成立している。セラノスのような企業がしばしば出てくるのはシリコンバレーの「イノベーティブな生態系」の一つの側面といえる。

良くも悪くも「超多産多死による高速の新陳代謝」、ここにシリコンバレーのユニークな生態系の特質がある。それは良くも悪くも「ワン・アンド・オンリー」のもので、別の空間に再現することはほとんど不可能だろう。この四半世紀にわたって日本で「シリコンバレーに学べ!」と言い続けていることそれ自体が、シリコンバレーの再現性のなさを逆説的に証明している。

もちろんシリコンバレーに学ぶことは多々ある。しかし、それを自国や自社の文脈にうまく移植できなければ成果は生まれない。そもそも超多産多死の生態系は万能ではない。インターネットのような変化の激しい、しかもオペレーションの蓄積をそれほど必要としない情報技術には完璧にフィットしても、それとは異なる性格を持つビジネスにとっては、かえって仇になる面もある。

米国の中でもシリコンバレーはごく特殊な地域だ。当然のことながら、シリコンバレー以外にも優れたアメリカ企業はたくさん存在する。アマゾンはひたすらリアルなオペレーションに投資をし、サプライチェーンをぶん回すド商売の会社だ。アマゾンがシリコンバレー発の会社でないことには理由がある。

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日本で人口増が問題に!?

遠近歪曲は時間軸上でもしばしば起こる。つまり、「昔のことほど良く見え、現在進行中のことは深刻に見える」というバイアスだ。

明治維新期に3400万人程度だった日本の人口は、終戦時にはおよそ7200万人と倍以上になった。その後さらに増加を続け、2008年は約1億2800万人となったが、この年をピークに減少に転じ、現在までおおむね年率0.2%程度で減少が続いている。少子高齢化に伴う人口減少は日本の最大の課題として認識され、ありとあらゆる社会的、経済的な問題が人口減と関連づけられて論じられるようになった。「人口減少=諸悪の根源」の観がある。ようするに、人口が増え続けていた昔は良かった、それに比べて人口減少に直面している今は大変だ、という話だ。

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