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バイデン政権「反ロシア・反プーチン」加速で北方領土が遠ざかる

国に甘くロシアに厳しい大統領の誕生。日本の対ロシア交渉にも暗雲が——。/文・名越健郎(拓殖大学教授)

<この記事のポイント>
▶︎「反露・反プーチン」を掲げるバイデンが当選したことで、米露関係悪化に拍車がかかる
▶︎ロシアにとって、トランプがあと4年やれば、米国内の分断が進んで内政が不安定化し、同盟国間の亀裂も深まるという読みがあった
▶︎バイデン政権誕生は日本のロシア外交にも影響。北方領土交渉が動くとは思えない

米露関係の悪化に拍車

4年前の米大統領選で、共和党のドナルド・トランプ候補の当選が伝えられると、ロシア政界は歓喜に包まれ、下院では「全員起立し、嵐のような拍手」(ロシア紙)が起きた。NATO(北大西洋条約機構)を「時代遅れ」と酷評し、クリミア併合を容認していたトランプは、ロシアにとって理想的なパートナー。トランプとのディール(取引)で対露制裁は解除され、孤立を脱却できると楽観論が広がった。

だが、4年を経て期待は幻滅に変わった。制裁緩和どころか、米議会はロシアの選挙干渉に激怒し、国営企業の金融取引禁止など経済制裁を次々に決定した。トランプは議会から制裁緩和権限を奪われ、法案に署名するだけだった。プーチン大統領は10月末、「米国の現政権はロシアの企業などに計46回制裁を発動した。過去最大の制裁回数だ」と憤慨していた。トランプ政権はロシア外交官の削減や総領事館閉鎖を命じ、米西海岸からロシアの在外公館が一掃されてしまった。

この4年間に開催された米露首脳会談は3回で、成果は何もなかった。レーガン、ゴルバチョフ時代から必ず行われた首脳相互訪問もなかった。トランプ政権はロシアが延長を望んだ中距離核戦力(INF)全廃条約やイラン核合意からも離脱。オバマ時代に減少していた国防予算を16%増額し、ロシアに軍拡競争を挑んだ。

結局、オバマ時代に冷戦後最悪といわれた米露関係は、トランプ政権でさらに悪化した。今回、「反露・反プーチン」を掲げるジョー・バイデン前副大統領が当選したことで、関係悪化に拍車がかかる。

4年前のトランプ当選の夜、下院でシャンペン・パーティーを開いたジリノフスキー自由民主党党首は、「トランプはロシアのために何もしなかった。しかし、我々は『悪魔が2人いれば、少ない悪を選べ』というロシアの格言に沿って行動する。バイデンの方が、ひどい悪党だ」とコメントした。露骨な愛国主義レトリックで知られるジリノフスキーは、クレムリンの意向をしばしば代弁してきた。ロシアにとって、「バイデン大統領」は最悪の選択のようだ。

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プーチン首相

中国とロシアへの対応の差別化

バイデンは米東部エリートに特有の自由主義信仰を持ち、自由主義を否定するプーチンに対抗意識を燃やす。今春、米誌『フォーリン・アフェアーズ』(20年3・4月号)に発表した論文「トランプ後の米外交の救済」は、米国が再び世界の指導的地位に復活する必要を強調した。論文は、それを妨害する中露両国に対して同盟諸国が結束するよう訴えているが、中露両国への対応に微妙な差別化がみられる。

中国については、「その不正な振る舞いや人権侵害に対して、同盟国や友好国と連携して対抗する」としながら、「気候変動や核不拡散、健康安全問題など利害が重なる部分では協力していく」と書いた。

一方、ロシアについては、「NATOの軍事能力を高め、偽情報やサイバー攻撃など非伝統的脅威への対抗を強化し、ロシアの国際規範侵害に対して代償を払わせる」と強調。権威主義のプーチン体制に立ち向かう「ロシアの市民社会」を賞賛した。

プーチンが19年に「リベラリズムは時代遅れで、力を失った」と述べたことにも触れ、「彼がそう言うのは、リベラリズムの力を恐れているからだ」とし、自由と民主主義の復活を唱えた。中国には一定の関与政策を示しながら、ロシアには喧嘩ごしで、対話姿勢もみられない。プーチンを「ヒトラー」呼ばわりしたヒラリー・クリントン元国務長官と同様、民主党中道に属するバイデンは、プーチンが大嫌いなようだ。

バイデンは2年前にも同誌(18年1・2月号)で「クレムリンにどう立ち向かうか」という共同論文を執筆。「ロシアの富と利権は、一握りの元情報機関将校らとオリガルヒ(新興財閥)の手に握られた。彼らは社会の閉塞と経済困難を隠すため、対外膨張路線を進めている」などと厳しい認識を示し、やはり「米国は同盟諸国を率いてロシアに侵略のコストを支払わせる」と書いている。選挙戦中、CBSテレビで、「ロシアは現時点で、米国の安全保障や同盟諸国を脅かす最大の脅威だ」と強調した。

16年の民主党大会での演説では、プーチンを「独裁者」と呼び、トランプが米大統領にふさわしくない理由として「プーチンに対する共感」を挙げた。

外交ブレーンの一人、デービッド・クラマー元国務次官補(人権担当)はバイデンの対露政策について、「前任者のように、ロシアに媚を売ろうとはしない。同じロシア観を持つ側近を高官に起用し、強硬姿勢で臨む。プーチンが政権にとどまる限り、米露関係を改善しようとしないだろう。唯一の例外が軍備管理部門で、核軍縮では合意を目指していく」と予測した。

一連の発言については、「冷戦時代の思考と何も変わっていない。古臭い時代遅れの認識だ」(ダグ・バンドー・ケートー研究所研究員)といった批判が米国内にもある。新政権は通常、人事を固めながら半年間政策見直しを行うため、新しい対露戦略が浮上するのは来年夏だろう。

ただし、核軍縮では、10年に調印された新STARTが21年2月5日に期限切れとなる。トランプは延長に否定的だったが、ロシアとバイデンは5年間の延長を支持している。1月20日の就任後急いで対応しないと、核軍縮分野が無条約状態になってしまう。

トランプならNATO解体も

ロシアもバイデンの反露発言に警戒を強めている。プーチンは10月、米大統領選について、「米国民が下すどのような決定も受け入れるし、どの政権とも協力していく」としながら、「民主党候補についていえば、われわれはその先鋭な反露レトリックを憂慮している。不幸にも、われわれはそれに慣れてしまったが……」と述べていた。4年前、真っ先にトランプに祝電を送ったプーチンは今回、「正式な集計がまとまるまで待つ」とし、すぐに祝意を伝えなかった。

上院外交委員会のコサチョフ委員長は「米国の政治的動機に基づく対露制裁が、バイデン政権でさらに強化されよう。欧州では反露主義が広がり、ドンバス(ウクライナ東部)で死者が増加する」と警告した。ロシア国際政治学会の大御所、ドミトリー・トレーニンも、「ロシアはバイデン政権に何らの幻想も抱いていない。関係はさらに悪化し、緊張するだろう」と否定的だ。ロシア政府高官はロイター通信に対し、「軍備管理問題ではトランプ政権より予測可能になるが、ブッシュやトランプとの間で一時みられた首脳間の親交はあり得ない」と述べた。

ロシアにとって、トランプがあと4年やれば、米国内の分断が進んで内政が不安定化し、同盟国間の亀裂も深まるという読みがあった。マクロン仏大統領はトランプが関与しようとしないNATOを「脳死状態」と呼び、欧州軍の創設を口にするなど、米国離れを模索していた。ボルトン元米大統領補佐官(国家安全保障担当)は回顧録で、第二次トランプ政権では、米国のNATOからの脱退も十分あり得たと書いている。米国とNATOの弱体化というロシアの究極目標に、トランプは合致していた。

従って、ロシアは今回もトランプ再選に向けて一定の情報工作を行った。連邦捜査局(FBI)は、「ロシアが選挙に影響を及ぼそうと、バイデン候補を中傷する偽情報を絶え間なく流している」と警告。ラトクリフ米国家情報長官も、ロシアとイランが米国の有権者情報を不正に取得したとし、有権者が不審なメールを受け取ったら、「健全な懐疑心」を持つよう呼び掛けた。米IT大手、マイクロソフトも、中国、ロシア、イランを拠点とするハッカー集団からサイバー攻撃があり、特にロシアからの攻撃は米国の政党やシンクタンクなど200以上の組織に及んだと発表した。

ただし、ロシアは一貫して干渉を否定しており、選挙介入の規模は4年前より小さかった。前回はロシア情報機関傘下の組織が、激戦州の有権者を狙って架空の人物になりすまし、SNSへの書き込みやブログの運営を行い、クリントン落選に一役買ったが、今回は大規模な中傷攻撃は見られなかった。

プーチンは「今回は手を出すな」と関係機関にくぎを刺したとの情報がある(『日本経済新聞』10月14日付朝刊)。追加制裁を避ける狙いに加え、どちらが当選しても、関係改善は難しいという諦観があったようだ。

トランプ(アフロ)

ロシア疑惑が取り沙汰されたトランプ大統領

ロシア反体制派と親交

バイデンは10月末の大統領選テレビ討論で「ロシアは私が大統領になるのを望んでいない。なぜなら、彼らは私のことを知っているからだ」と語ったが、経歴や過去の言動を調べると、ロシアが「バイデン大統領」を忌み嫌うのは理解できる。

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