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ハマのドンめぐる大乱戦 仁義なき横浜市長選 常井健一+本誌取材班

首相のお膝元で政権を揺るがす事態が──。/文・常井健一(ノンフィクションライター)+本誌取材班

横浜市長選の焦点は「IR」

朝7時、神奈川県横浜市にあるJR本郷台駅の改札前。海入道のような角刈りの大男がマスク姿で通行人にビラを配っていた。白のポロシャツに、ジーンズ。白地に青で「本人」と書いたタスキをしているが、男が前国家公安委員長の小此木八郎だと気づき、駆け寄る人は少ない。

移り気な浮動層の多い都市住民を相手に、前閣僚が早朝の駅頭をめぐる「消耗戦」を始めたのは、8月22日投開票の横浜市長選に名乗りを上げたからだ。

「今からミーティングがあんだよ」

8時過ぎに切り上げた小此木を直撃すると、ぶっきらぼうにそう言われた。だが、こうも続けた。

「やっぱりIR(統合型リゾート施設)に対してね、みんな不気味がっているんだよ。博打だから。駅に立っても囁いてくるの。『本当に反対してくれるんですか?』って」

横浜は菅義偉の地元だが、自民党は候補を一本化できず、政権基盤を揺るがす大混乱が起きている。本稿を書いている時点では、小此木の他、現職で4選を狙う林文子に加えて、元大学教授の山中竹春、元長野県知事の田中康夫、元神奈川県知事の松沢成文ら10人が出馬を表明した。

選挙戦の焦点は、菅と自民党が強力に推進してきた「IR」、つまりカジノ誘致の是非に他ならない。

現職の林は賛成の立場をとり、彼女以外の主要候補は、反対の意思を明らかにしている。そこに前閣僚の小此木が「取りやめ」という方針を掲げて出馬表明し、菅に反旗を翻す形になったため騒然となっている。

なぜ横浜でここまでの混乱が生じているのか。それを理解するためには、菅、小此木、そして「ハマのドン」藤木幸夫の複雑怪奇な三角関係を読み解く必要がある。

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争点は「カジノ誘致」

総理との3分間の面会

「この選挙が終われば、横浜市内の自民党国会議員、県議、市議を全員落とすための会をつくる」

こう気炎を上げるのは、地元の政財界に絶大な影響力を誇る藤木企業会長の藤木幸夫。結党以来の自民党員でもある齢90の大立者は、長年小此木と菅を支えてきた。だが、ギャンブル依存症への懸念を理由に、1年半ほど前からIR反対の論陣を張り、自民党に痛烈な批判を続ける。そして今回、立憲民主党や共産党が推す山中の応援に回っている。

市議会最大会派の自民党は、現職の林に対する推薦を見送った。75歳の林が抱える健康不安を問題視し、多選を禁じる党の内規を掲げて4選の芽を摘もうとしたわけだ。

しかし、独自候補の擁立が難航を極めた。党横浜市連の幹事長経験者は匿名を条件に背景を語る。

「菅くんは『三原じゅん子にしろ』と、市会のボスに命令したんですよ。それに別の大物市議が反発した。そうしたら彼だけ官邸に呼ばれちゃってね、菅くんに『頼むよ、みんなで仲良くやって当選させてくれよ』と頼まれたらしい。だが、それを一蹴して帰ってきたんだ」

暗礁に乗り上げた候補者選びに終止符を打つべく、6月22日に突然の出馬表明をしたのが、横浜選出の衆院議員である小此木だった。56歳、バツイチ、当選8回の3代目で横浜に強固な地盤を有する。

だが、小此木の決断が事態を複雑にした。現職閣僚がその座を捨て、地方選に出るなんて前代未聞だ。ましてや菅の最側近であった。

党市連幹事長や市会議長を歴任し、菅と小此木の両方をよく知る藤代耕一はこう解説する。

「2人は、菅さんが昭和50年に26歳で小此木彦三郎さんの秘書になって以来の関係です。当時、八チャンは10歳。菅さんは小此木家に寝泊まりしながら仕事して、一緒に朝飯を食ったりした仲だからすごく親しいし、菅さんに文句を言えるのは、八チャンしかいませんよ」

首相のお膝元で自民党が敗れれば、総裁選や衆院選が迫る中、求心力低下にもつながる。さらに小此木は、菅とともにIRの横浜誘致に賛成の立場だったにもかかわらず、急に「取りやめ」という言葉を持ち出したのだ。

出馬の経緯を小此木本人に問うた。

「ボクは今年1月からずっと総理に、IRへの疑義を唱えてきました。コロナになって、IRに対する不安、不信感が出てきた。市民の混乱が夏の横浜市長選とリンクしてくる、と。ボクが市長選に出ると総理に初めて言ったのは、5月下旬だよ。(面会は)3分で終わった。ボクからは自分が出る、IRは取りやめる、議員はやめる、担当している土地利用規制法案の成立に最後まで努力する、私の後任を選ぶ。そうしたら、向こうは『わかった』とだけ」

――その時、総理は驚いていた?

「ボクが出るってことに驚いていた。もともとあまり表情が変わらない人だけどね」

――菅首相は、林氏の擁立に傾いていたのでは?

「林さんに代わる候補者を決め切れなかった。誰も市長選に手を挙げなかったら、林さんしかいないでしょうとなる。(自分は)そういう想像をしちゃったわけ。(IRの)法律に賛成した身としては重い決意がいる。重い決意が。だからよーく考えた」

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小此木氏

市民が呆れた林の変節

現職市長の林は、もともとIR推進を掲げてきた。ところが前回の市長選では「白紙」と口にしながら、3選を決めるとあたかも菅の顔色を窺うように再び「推進」を訴え始めた。そんな変節ぶりに市民は呆れている。

推進派と反対派の市民の双方から疎まれ、絶体絶命の林は今期で勇退すると目された。だが、7月15日には地元の有力経済人らを従え、何食わぬ顔で出馬表明に臨んだ。

たしかに反対派の候補者乱立は林には有利に働く。さらに、自民党の内情を察知しているのだろう。前出の元市連幹事長はこう明かす。

「今の市連は、ぐちゃぐちゃです。市会を真っ二つにして勢力争いをやっています。市連会長で菅さんに近い坂井学(内閣官房副長官)が1度は小此木で一本化しようとしたけど、自主投票になってしまった」

小此木の表明後も、有力市議が三原擁立に拘泥する一方、菅に近い市議らは「IR取りやめ」に不快感を顕わにし、推進の林を支援している。小此木は市連内の動きに神経を尖らせながら、内紛には距離を置く。

藤木は早くから立憲の江田憲司と連携して山中支援を表明した。ただ、藤木家と小此木家とは百年来の盟友関係にあるため、両者の“距離感”に注目が集まる。

そうした各陣営の深謀遠慮の背景には、横浜市政の特異な歴史がある。

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現職の林氏

菅が築いた「自社ビル」

しかい(市会)。横浜市民は市の議会をそう呼んでいる。戦後の地方自治法で「市議会」という呼び名に全国的に統一されたが、横浜では明治以来使われてきた「しかい」という響きを今日まで貫いている。

これは、市議たちのプライドも反映している。横浜は人口最多の基礎自治体で、議員数も、議員報酬も日本一。政令市ゆえに行政上のあらゆる権限は県ではなく、市が有する。

さらに、こんな不文律もある。

「横浜では“しかい”を経験しないと衆院議員にはなれない」

市内8つの衆院小選挙区の中で、麻生太郎の「右腕」である神奈川1区選出の松本純も、2区の菅義偉も、市議出身だ。前出の小此木は3区だが、祖父も父も市会を経て衆院議員になった。長く公明党が居座ってきた6区には、自民党が次期衆院選で25年ぶりに独自候補を立てるが、公募で選ばれたタマも現職の市議だった。

一方、県議出身の自民党代議士は一人もいない。

日本の地方自治において独自の進化を遂げた「強い市会」以外にも他の都市にはない特徴がもう一つある。「しれん(市連)」の存在だ。

横浜には自民党県連に加え、横浜市連という別組織がある。市内選出の政治家は市連にも会費を払い、大量のパーティー券を売りさばく。潤沢な独自資金を差配する市連会長には国会議員に限らず、市議も就く。地方選の公認権も握るため、横浜では県連より市連、すなわち県議より市議のほうが格上なのだ。

こうした政治風土を根付かせた一人が菅であった。市会から国会に転じたばかりの1997年から6年間、第9代の市連会長を務めた。

横浜スタジアムが眼前にそびえるJR関内駅から歩いて5分ほど。県庁と市役所に挟まれた雑居ビルが立ち並ぶエリアに、ひと際目立つガラス張りのペンシルビルがある。自民党横浜市連会館である。5階建ての“城”は、菅が市連会長時代に築いた党内有数の「自社ビル」だ。

戦後の横浜は革新自治体の趣が濃く、大手メーカーの労働組合や公明党の支持基盤も比較的強い。その上、「神奈川都民」といった新党になびきやすい無党派層がいる。政党政治の草刈り場だからこそ、菅は官庁街の近くに市連の拠点を移した。

業界団体からの陳情がいつでも受け付けられ、密な関係もつくりやすくなった。しかも、“ドン”が控える藤木企業は徒歩5分の距離にある。土着権力と手を握る仕組みを菅会長の時代にアップデートしたことで、自民党は市会で第一党を堅持し、一貫して議長を輩出してきた。

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菅首相

藤木家との親戚づきあい

これほどの基盤を横浜に築き上げた菅が、なぜ地元市長選で迷走しているのか。ご当地を歩くと、菅・小此木・藤木の三者が複雑に絡み合う因縁の秘話が聞こえてきた。

前出のJR関内駅から港側に背を向け、2級河川・大岡川のほとりを10分ほど歩く。ソープランドとラブホテルが点在するドブ臭い一帯に小此木家の原点は存在する。稲川会系暴力団の事務所に隣接する4階建ての建造物(65年竣工)は小此木第二ビルと呼ばれた。威圧的な外観が一族の台頭した頃の面影を残すが、いまや外壁は黒ずみ、生活困窮者の簡易宿所として使われている。

令和に入って漸く菅を“すが”と呼ぶことが定着した。一方、小此木という名字は今でも“おびき”や“こしば”と間違えられる。だが、神奈川では河野、小泉と並ぶ政治の名門で、ルーツは19世紀まで遡る。

小此木の高祖父は明治の中頃、開港まもない横浜で竹屋を始めた。曽祖父の代では材木商に。その家督を継いだ養子が、祖父の歌治である。

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