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「病床数世界一」の日本でなぜ医療崩壊が起きるのか

ファクトが示す日本医療の「不都合な真実」とは。/文・森田洋之(医師・医療経済ジャーナリスト)

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▶︎日本は世界一の病床保有国であり、豊かな医療資源がある。にもかかわらず「医療崩壊」が叫ばれている
▶︎日本の医療制度に欠けているのは病床数でも、医師数でもない。臨機応変に対応する「機動力」だ
▶︎日本は、平時では民間の競争原理のおかげで世界一の医療クオリティを実現できていた。しかし今回、その競争原理が災いして機動力を欠いてしまった

医療崩壊の裏にあるキーワード

ここ最近、テレビやネットニュースで「医療崩壊」という文字を見ない日がない。旭川の医療崩壊、大阪の医療崩壊、名古屋の医療崩壊……。医療の逼迫を防ぐため、はたまた最前線の現場で働いている医療従事者の負担を減らすため、「飲食店営業時間を短縮」「Go To トラベルは中止」「国民は外食や長距離移動を自粛しよう」。そんな意見が巷には溢れている。これらの言説は果たして本当なのだろうか?

感染対策をするのは当然のことではあるが、私は「医療崩壊」について半分は眉唾だと思っている。確かに、新型コロナ肺炎の医療現場最前線で奮闘しておられる医療従事者の方々は、本当に大変な思いをされている。それは紛れもない事実だ。彼らには大いなる感謝と激励の言葉を送りたい。

ただ、本当に送るべきなのは感謝や激励の言葉でなく、「適切な人員補充」や「十分な休暇」という実質的な支援だ。そこをおろそかにしてしまっては、本当の感謝や支援にはならない。

「いやいや、それができれば苦労はないだろう」。そんな言葉が聞こえてきそうである。しかし実は日本には十分な量の医療資源(病床や医療機器)があり、看護師数もそこそこ整っている。しかも、欧米先進国と比して感染者数も死者数も圧倒的に少ない。その欧米諸国が医療崩壊の渦中にあるのであれば分かるが、なぜ感染者・死者数が圧倒的に少ない日本の医療現場が逼迫し、毎日のようにマスコミで「医療崩壊」が叫ばれているのだろうか。

どうして、いちばん大事なところに、必死の思いで踏ん張られている最前線の医療従事者に、支援の手が回らないのだろうか。そんな「医療崩壊」の裏にある「不都合な真実」について解説したいと思う。

本題に入る前に、少し前置きを。私は経済学部を卒業してから医師になった。そのため新型コロナによる感染者数、死者数の国際比較、また日本の病床数、医師数、看護師数などを俯瞰的・総合的に観察しながら考える思考法をとることが多い。

私が以前、勤務していた北海道夕張市の「医療崩壊」現場の体験とデータをまとめたことも、この考え方に大きく影響している。夕張は171床の市立総合病院が閉鎖となり、19床の小さな診療所となってしまったことで、「医療崩壊」と大々的に報道された。

しかし診療所になった後、私が実際に夕張へ行って市民と生活を共にし、得られるデータを全て吟味したところ、報道されていた「医療崩壊」とは、だいぶ違うイメージであることが分かった。夕張は「医療崩壊」したにもかかわらず、救急搬送が半減し、医療費は減少。しかも市民の死亡率も悪化しておらず、健康被害もなかったのだ。

これは夕張の医療体制が、在宅医療やプライマリケアなど、市民や患者さんの生活に寄り添う医療に特化し、その一方で高度医療や急性期医療の部分は都市部の大病院にお願いするという、医療の機能分化および他地域・他医療機関や救急隊との「機動的な医療連携」の結果だったと言っていいだろう。

そう、実は今、日本で問題になっている医療崩壊の裏には、この「機動性」がキーワードとして大きく存在しているのだ。

医療崩壊photo1

旭川ではクラスターが発生

豊富な日本の医療資源

では、まずファクトとしてのデータを俯瞰してみよう。

あまり知られていないかもしれないが、日本は世界一の病床(人口あたり)保有国である。OECDのデータによると人口1000人あたりの病床数は13.0で、アメリカの2.9、イギリスの2.5の約4~5倍にのぼる。

たしかにこの病床数には「精神科病床」や「療養病床」など、主に慢性期医療が担当で、新型コロナ肺炎の患者に対応するのが困難な病床も含まれている。

では新型コロナ肺炎の患者を診る急性期病床は不足しているのだろうか? そんなことはない。急性期病床数でもOECD加盟国の中では最も多く、人口1000人あたり7.8と、OECD平均3.7の倍以上である(2017年)。

ICU(集中治療室)、HCU(高度治療室)など、より重症の患者を診る病床の数も、厚生労働省のデータによると人口10万人あたり13.5。これはアメリカの34.7、ドイツの29.2には及ばないものの、イタリアの12.5、フランスの11.6に比して遜色のない数字だ。そのうえCTやMRIの台数も多く、人口100万人あたりの数でみると、いずれも2位を大きく引き離して世界一なのだ。

つまり、病床や医療機器などのハードの面で、日本は国際的に見て全く問題ない医療資源を持っているということが言えるだろう。

なぜ日本は「崩壊」の危機なのか

しかし、ハードだけでは医療はできない。医療従事者などのソフト面はどうなのだろうか。実は医師数でいうと、日本は人口1000人あたり2.5人。OECDの中では28位と下のほうに位置している。ただ看護師数でいえば人口1000人あたり11.8人(同8位)と、先進国の中でも比較的、多い方だ。

まあ、確かに肝心の医師数が少ないのであるから、人材などのソフト面では控えめに言って課題があるのかもしれない。では、これが「医療崩壊」の裏にある日本の医療の不都合な真実なのだろうか。もちろんそうではない。

なぜなら、新型コロナ肺炎の被害が欧米各国よりはるかに少ないからだ。10万人あたりの感染者数・死者数をみると、12月半ばの時点でアメリカはそれぞれ日本の30倍以上・40倍以上。欧州主要国では20倍前後・40倍以上。優等生とされるドイツでも、それぞれ日本の12~14倍だ。「日本は欧米より被害が少ない」ということは、もう聞き飽きたかもしれないが、非常に重要なポイントなので再度認識しておいてほしい。

なぜ日本の死亡率が低いのかについては諸説あり、分かっていないことがあまりにも多いのでここでは議論しないこととする。

患者数・死者数においてこれだけの差があるのなら、たとえ医師数などのソフト面で若干の不備があっても、それらを補ってあまりあると考えるのが妥当だろう。欧米はなんとかギリギリでやりくりしているのだから。

アメリカやスウェーデン在住の医師から私が聞いた範囲では、感染者・死者数の増加でどこも大変なのは同じだが、それでも病床やスタッフが足りずどうにもならない=「医療崩壊」という事態にまでは至っていないということだ。局地的には厳しいところもあるだろうが、私が調べた範囲では、欧米諸国が医療崩壊しているというエビデンスは発見できなかった。

致命的な機動性の欠如

ではなぜ、患者数・死者数がここまで圧倒的に多い欧米では医療崩壊をギリギリしのいでいて、種々の条件が恵まれた日本で「医療崩壊」が叫ばれているのだろうか。以下、ファクトに基づいた考察を述べたい。

日本の医療制度に欠けているのは、病床数でも、医師数でも、看護師数でもない。臨機応変に対応する「機動性」である。これはどういうことか。

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