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ハリクさん|金田一秀穂

著名人が父親との思い出を回顧します。今回の語り手は、金田一秀穂さん(言語学者)です。

ハリクさん

私の父はサザエさんの家のマスオさんのようだった。義父の波平はいないが、フネさんに当たる義母、カツオ、ワカメに当たる私の伯父、叔母たちが3人いた。タラちゃんにあたる私のきょうだいが4人いた。

その家族構成の中で、子どもたち以外はみな、父の春彦のことを、「ハリクさん」と発音していた。ハルヒコを縮めてそうなった。もともと、4人の子どもを抱えた母子家庭の祖母(フネさんに当たる人)の下宿に、高等学校生だった春彦が懐いて入り込んでそこの長女と結婚したのだ。そのようにして出来上がった家族だったから、春彦は母のきょうだいからは、「義兄さん」などと呼ばれなくちゃいけないのだろうけれど、下宿人の他人だから、春彦さん、ハリクさん、と呼ばれるようになったのだろう。

しかし、このように、家族で相手の名前を呼ぶのは日本では少数派で、ふつうは相手をお父さん、お母さんなどと、親族名称で呼ぶ。相手は父親でも母親でもないのだが、家族の中の一番幼い成員から見た視点での役割で相手の呼び方が変わる。だから、子どもが生まれると、夫婦でも「あなた」「きみ」というのが「父さん」「母さん」に変わる。自分のことも、「お父さんはこう思うんだ」とか、「おじいちゃんにやらせておくれよ」などと言う。家族の親しさを感じさせられて、そこにほほえましさも生じる。

しかし、我が家では、私たち子どもが出来たのだから、その視点からして、「お父ちゃん」「お父さん」となるはずなのに、「ハリクさん」は変わらなかった。祖母もそう呼んだ。ハリクさんの妻も、お父さんとは呼ばず、「ハリクさん」を通した。

今、私の母は95歳で、よたよたしながら生きている。本当は「死んだおじいさんはね……」と言っていいはずなのだが、「ハリクさん」を変えようとしない。彼女にとって、春彦は今でも下宿にやってきた高等学校の生徒なのだろう。そういえば、父も母を母さん、ばあさんと呼ぶことは決してなく、死ぬまで名前で呼んでいた。この夫婦は、子どもを持ったという自覚が薄かったのだと思う。

子どもからすれば、なんとなくものたらない親だったのかもしれない。

(2020年10月号)

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