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林真理子「文藝春秋と私」怒りに燃えたアグネス論争 「職場は大人の世界」。私の怒りは間違いだったか

「職場は大人の世界」。私の怒りは間違いだったか。/文・林真理子(作家)

林さん トリム前

林さん

コピーライターとして「同級生交歓」に出た

ご存知の方もいるかと思うが、私は本屋の娘である。

本屋のおばさんである私の母は、ある人たちを特別視していた。それは、

「『文藝春秋』を定期購読している人たち」

である。

医師や学校の先生、あるいは地元企業のオーナーだったりと、まあ、町の知識層である。そういう人たちと店で立話をするのを楽しみにしていた母は、よく、

「『文藝春秋』を読んでいる人は、本当に話が面白い。何でもよく知っている」

とほめたたえていた。私にはかなり年上の従兄がいたが、何かと問題のあった彼のことも母は買っていて、

「『文藝春秋』を読んでいるから、あのコは違う」

と言い張るのである。何が違うのかよくわからなかったが、とにかく『文藝春秋』はインテリが読むものだということを、私は幼ない頃からよく知らされていたのである。

その『文藝春秋』と私とのつきあいは案外早い。デビューしてすぐ、30歳になる前であるが、コピーライターとして「同級生交歓」に出たのである。今はどうだか知らないが、当時は日本経済新聞の「私の履歴書」と、『文藝春秋』の「同級生交歓」に出ることが名士の証とされていた。

たとえ自分1人が有名人になったとしても、同じ学校の同級生に、もう1人か2人有名人が出ないことにはこのページに出ることは出来ない。都会の名門校ならたやすいことであろうが、山梨で生まれ育った私にはかなりハードルが高かった。

しかし1人いたのである。高校の同級生だった藤原優さんだ。彼はスター級のラガーマンだった。高校時代から全日本のメンバーに入っていた彼は、当時から有名人でやりたい放題していた。

私と同じくらいの成績だったはずなのに、すんなりと早稲田に入り、そこで大活躍。ものすごい俊足で「アニマル藤原」と呼ばれた彼は、当時は丸紅の商社マンだった。

高校時代はハナにもひっかけられず、それどころか生意気な女だと、黒板拭きを投げつけた藤原君と、仲よくカメラにおさまるのは面映ゆい気分であった。

ところが不思議なもので、今やいちばん仲のいいクラスメイトが藤原君である。プライベートでもよく会っていて、先頃のラグビーワールドカップも、彼の家族と一緒にグラウンドに向かったものだ。

あの撮影がきっかけというわけでもないが、一緒に写真におさまった時に、彼の中に、

「そろそろ、ハヤシを認めてやってもいい」

という気分が芽生えたのではないかと思う。

そして今から31年前、「日本の顔」のグラビアの依頼があった。この時の私は新婚で、夫と一緒にバーのカウンターでの写真を撮られている。まだ仲がよかった頃で、

「あなた、眼鏡をとった方がいいわよ」

という私の忠告に、夫も素直に従っている。

【サシカエ】林氏①

「同級生交歓」で藤原優氏と

日本中が明け暮れた論争

さて、そんなことよりも、私にこの執筆の依頼が来た、肝心のことを書かなくてはならないであろう。

そう、『文藝春秋』の歴史に、おそらく残るに違いない「アグネス論争」である。あれはいったい何だったのかと私は思うことがある。日本中が熱病にかかったように論争に明け暮れ、それは2年間続いたのだ。学者も評論家も、作家も芸能人も、とにかく意見を言う場を持っていた人たちは、こぞって何かを書いた。場を持っていなかった一般人たちは、新聞の投書欄に書いた。とにかくみんな何かを言わずにはいられなかったのだ。

当時、京都へペンクラブの集いに出かけた私は、見知らぬ中年の女性からパーティーで話しかけられた。

「私もね、そろそろアグネス論争に参加しようと思っているのよ」

エラそうな態度にむっとしたし、その論争にかなり辟易していた私は、つい憎まれ口を叩いた。

「へぇー、どんな雑誌にですか。私はあなたのこと、まるで存じ上げませんけど」

その女性は口惜しそうに赤く塗った唇をゆがめた。

「私はね、書いてください、っていう雑誌いくらでもあるんだから!」

なぜこんなことを憶えているかというと、とにかくアグネス論争にひとこと言わないと、人にあらず、という風潮があったということだ。

全くいったいあの熱気は何だったのだろうか……。

と他人ごとのように言うが、発端は私が『文藝春秋』誌上に書いた「いい加減にしてよアグネス」である。

働く母親、可愛い赤ん坊

いったい何年前だろうとウィキペディアを開いたところ(全く便利な世の中になったものだ)1988年とある。今から34年前だ。

タレントで歌手のアグネス・チャンさんは、あの頃ものすごい人気であった。憶えているのは、24時間テレビの司会をする彼女をグラビアでとりあげた『フォーカス』が、「善意の固まりみたいな」と表現していたことだ。驚いた。あの『フォーカス』がだ。そのくらいの存在だったということを知っていただきたい。

そのアグネスさんが長男を生み、テレビ局や講演会に連れていくようになった。それを朝日新聞が誉めたたえる。私はげんなりした気分になったものだ。コラムニストの中野みどりさんも同じ思いで、舌鋒鋭くあれこれ書いた。

もし彼女が、

「迷惑なのはわかっている。だけど私はこの子と別れたくない。ずっと一緒にいたい」

と言うのであれば、私はああ、そうですか、と引き下がったであろう。しかし彼女の、

「赤ん坊を連れていくと、仕事場がなごやかな気分になるって皆に喜ばれます」

という文章を読んだ時、かなり強い反ぱつが生まれた。こういう鈍感さにかなうものは何もない、と私は思う。当時私は結婚もしていなかったし子どももいなかったが、赤ん坊を持つ母親の独得の価値観がやりきれなかった。

私の可愛い赤ん坊は、誰にとっても可愛いはず。どこに連れていっても喜ばれるはず。

アグネスさんには、マネージャーだの付き人だのが常時数人つき添っていたという。その中の一人に、うちでベビーシッターを頼めばいいではないかと思うのは私だけではないようで、週刊誌でも意地悪な記事が出始めていた。そして私の『文藝春秋』における「いい加減にしてよアグネス」になるわけだ。

この長文を出した当初は、世間からは「よく言ってくれた」という反応が多かったと記憶している。そこへ上野千鶴子さんの、朝日新聞での反論となるわけだ。

「『働く母親』の背後には子どもがいる」

「女たちはルールを無視して横紙破りをやるほかに、自分の言い分を通すことができなかった」

これに世論の針が大きく傾く。

そして論争の火蓋ひぶたが切られたわけだ。

“天使と鬼”か“姉と妹”か

まず言われたのは文藝春秋と朝日の代理論争というものであった。保守的で男性優位ぎみの文藝春秋対リベラルな朝日との闘いに、私や中野さんが利用されているというもの。全く朝日の張り切りようというのはすごく、『週刊朝日』や『朝日ジャーナル』が、毎週のように特集を組み、アグネスを擁護し、私や中野さんを批判した。ある時、漫画の中に、天使の輪っかをつけたアグネス派と、鬼の角を生やした反対派が出てきて、これにはすっかり呆れてしまった。

「なんてわかりやすい鬼畜米英」

と中野さんは書いていた。

とにかくあらゆる人が、あらゆる方法でこの論争に加わった。私は断言してもいいのであるが、日本においてこれだけディベートが行なわれたことはなく、これからもないに違いない。今のようにネットで悪口を垂れ流すこともなく、とにかくみんな署名入りで書いたのだ。

古代の農耕社会のあらましから始める人もいた。中国と日本の子育ての違いを説く人もいた。

『男がさばくアグネス論争』という本をはじめ、たくさんの書籍も出版された。

神話の「姉と妹」説から始め、不器量で常識派の姉(私のことらしい)に比べ、妹というのは好きなようにふるまう、美しいもの(アグネスのことらしい)で、互いに相容れないものだと書く学者さんもいた。

そのうちに、日本の贖罪意識を問う声も高くなる。それは、

「日本は第2次世界大戦中、中国に対してさんざん悪いことをしてきた。それなのにまた、可愛らしい中国出身の女性にひどいことをするのか」

というものである。これはかなり多かった。

今から34年前の話で、隔世の感があるではないか。

さてかなりアグネス擁護派と思われるウィキペディアの書き手によって、論争のその後も詳しく綴られている。

日本での一連の騒ぎはアメリカの雑誌『タイム』に取り上げられ、それを読んだスタンフォード大学の某教授はいたく感じ入った。そして彼女をスタンフォードに招聘するのである。かの地で彼女は教育学博士号を取得するのであるが、しかし現在“学者”アグネスさんの、

「日本とアメリカにおける教育格差」

についての文章や意見に触れることは寡聞にしてない。それどころか、香港問題についても全く聞くことはない。ユニセフに寄付をするための、日本ユニセフ協会の大使をなさっているが、この団体も何かと批判がある。

そう、当時私が嫌悪したのは、彼女の善意や子育てというものにまつわる無自覚の胡散臭さと、それを過剰に賛美する「朝日的」なものへの疑問であったが、当時はうまく表現出来なかった。今もたぶん出来ないと思う。

アグネス論争さえ懐かしい

あれから月日はたち、対立していた2つの巨大なメディアも減退は免れなかった。朝日新聞は部数を落としたし、『文藝春秋』も同じであろう。うちの母が尊敬していた、良質な保守的な人たちの多くは、もう亡くなられたであろう。

昔、海外旅行に行く時、現地に住む男性へのお土産は『文藝春秋』であった。空港で買った最新刊はどれほど喜ばれたであろうか。

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