
【54-社会】【少年法改正は社会をどう変えるか】 過度な要保護性の重視が罪と向き合う機会を少年たちから遠ざける|上谷さくら
文・上谷さくら(弁護士)
被害者はほぼ「無視された存在」
少年法の適用年齢の引下げは、これまで「厳罰化」と言われることが多かった。しかし実態は「適正化」に近い。18歳、19歳は十分な判断能力があるし、むしろ少年法で保護されることを逆手に取ったかのような犯罪が繰り返されてきたからである。このような事実を直視すれば、適用年齢を現在の20歳未満から、18歳未満に引下げるべきだろう。
公職選挙法が改正され、18歳で選挙権を有することとなった。18歳、19歳の若者が、国のあり方を決める過程に関わり、自分の意思を政治に反映することができる。また、民法が改正され、2022年4月から成年は18歳となる。これにより、自分だけの意思でローンを組んだり、家を借りたりすることもできるし、理論上は医師などの国家資格を取得することも可能だ。とすれば、少年法の適用も18歳未満とするのが整合的である。18歳になれば選挙権を有し、様々な契約をして自己実現を図ることができるのだから、一人前の大人として、刑罰に関しても責任を負うのは当然のことだからである。権利ばかりが保護されて、義務や責任を負わない等という身勝手な論理が許されるのであれば、国のモラルは破綻してしまう。
そもそも「罪を犯してはならない」という規範は明快である。政治や契約のような複雑な手続きは理解できるという前提で公職選挙法と民法を改正しておきながら、「未熟さ」を理由に犯罪については成年扱いしないのは、明らかに矛盾である。中には、「民法と刑法は趣旨が違うのだから、扱いが異なっていても構わない」という意見もあるようだ。しかし、異なる扱いをするというなら、むしろ刑罰のような分かりやすい手続きは、民法の成年よりも低年齢でよいはずだ。
筆者は犯罪被害者支援が専門であるが、被害者から依頼を受けた事件の加害者が未成年だと、それだけで徒労感を覚える。被害者からみると、家庭裁判所は「加害者の更生」一本やりで、被害者のためにはほぼ何もしてくれないし、加害者もその親も処分を軽くすることにのみ関心があり、被害者のことなど全く眼中にないからだ。最初はしおらしくしているが、処分が終わると「たいしたことはしていない」と開き直り、「この程度で加害者にさせられた」などという被害妄想で被害当事者を逆恨みすることさえある。
凶悪事件であっても検察庁に逆送されないことも多い。その場合、家庭裁判所で審判が開かれるが、家裁送致から約4週間以内とされ、ほとんどが1回きりで終わる。被害者は、負傷したりPTSDを発症したりするため、被害直後は審判などに積極的に関われる状況にない。気が付いたら加害少年の処分は終わっている。そのうえ、被害者はその後の被害弁償の請求に多大な時間と金銭を費やした挙句、一銭も回収できずに泣き寝入りを強いられるケースが多い。