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リープフロッグでしか対処できない日本の凋落/野口悠紀雄

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※本連載は第44回です。最初から読む方はこちら。

 アベノミクスの期間に、日本経済の国際的地位は、大きく低下しました。これまではそれに気づかなかった人も、コロナ対処での日本政府のデジタル化の遅れに、強い危機感を持ったでしょう。企業利益は増加しましたが、それは、非正規労働者を増やして賃金の伸びを抑えたためです。

アベノミクスの期間に、日本の凋落が加速

 リープフロッグについての連載を始めたのは、日本の凋落ぶりがあまりに著しいからです。

 そして、この状態に対処するには、リープフロッグによって遅れを一挙に取り戻すしか方法がないと考えたからです。

 世界経済における日本の地位は、低下し続けました。

 その傾向は、アベノミクスの期間において、とくに顕著に進行しました。

 一人当たりGDP(ドル表示、名目額)の推移は、図表1に示すとおりです。

図表

図表1 日米中の一人当たりGDP(単位ドル)
資料:IMF、WEO

 日本の一人当たりGDPは、1987年にアメリカを抜き、1995年にはアメリカの1.5倍になりました。しかし、2000年代になって再びアメリカに抜かれました。

 アベノミクスの期間においては、アメリカ経済が顕著に成長したのに対して、日本経済が停滞したので、アメリカとの差が拡大しました。2019年では、アメリカの値は日本の1.5倍になっています。

 中国の一人当たりGDPは、1996年までは日本の2%未満であり、ほとんど比較にならない状態でした。中国の経済成長率はきわめて高かったのですが、それでも、一人当たりGDPは、2009年までは、日本の10%未満でした。

 ところが、アベノミクスの期間に日本と中国の差が急速に縮まり、2019年においては、日本の26%になっています。IMFの推計では、2022年に30%を超えると予測されています。

 同様の傾向が、世界のさまざまな国との間で生じています。

 つまり、アベノミクスの期間に、日本は世界の趨勢に立ち後れ、相対的な地位が大きく低下したのです。

国際ランキングで、トップから34位に転落

 さまざまな国際比較ランキングでも、日本の地位は低下を続けています。

 スイスの国際経営開発研究所(IMD)の世界競争力ランキング で日本の順位をみると、ランキングの公表が開始された1989年から1992年までは、1位を維持していました。その後、順位が下がったのですが、1996年までは5位以内でした。

 しかし、1997年に17位となり、その後、低迷を続けました。

 そして、2019年では、過去最低の30位まで落ち込んだのです。

 ここで止まらず、2020年版では、日本は34位にまで低下しました。

 30年の間に、トップから34位という、大きな変化が生じたのです。

 デジタル技術では、2020年に日本は62位でした。対象は63の国・地域ですから、最後から2番目ということになります。

デジタル化の遅れは目を覆わんばかり

 しかし、日本がこのように凋落し、世界の中での地位を下げてきたことが、これまで日本国内では、必ずしも十分に認識されたわけではありません。

 それは、エレベーターに乗っている人の感覚のようなものです。扉が閉められて外界の様子が見えないと、下降しているにもかかわらず、室内の人々との相対的な位置は変わらないので、高度が下がっていることが認識できません。それと同じことです。

 上で述べたようなデータがあっても、抽象的な数字なので、あまり強い危機感を抱かなかった人が多かったのではないかと思います。

 しかし、そう考えていた人々も、新型コロナウイルスへの対処でのデジタル化の遅れには、目を覚まされたと思います。

 日本政府はITでほとんど何もできないことが暴露されたのです。

 定額給付金申請では、マイナンバーを使ったオンライン申請が可能とされました。しかし、市区町村の住民基本台帳と連携していなかったため、自治体の職員は照合のために膨大な手作業を強いられ、現場は大混乱に陥りました。

 その結果、100以上の自治体がオンラインの受け付けを停止し、郵便での申請を要請しました。「オンラインより郵送の方が早い」という、笑い話のような事態になったのです。

 雇用調整助成金も、5月20日からオンライン申請が可能とされました。しかし、トラブルが起きて、スタートからわずか約2時間で停止しました。6月5日に再開したのですが、約3時間で再び停止しました。これが再開したのは、8月25日のことです。この間、申請しようとする人たちは、混雑する窓口で、コロナ感染のリスクに晒されたことになります。

 新型コロナウイルスの感染者数把握作業では、当初、FAXで情報を送り、手計算で集計していました。この作業が保健所に過大な負担をかけたので、新システムであるHERSYSが5月末に稼働を始めました。しかし、このシステムが使いにくいことから、東京や大阪は利用せず、いまだにFAXに頼っています。

 霞が関の省庁間では、システムの仕様の違いからコロナ対策を協議するテレビ会議ができませんでした。やろうとすると、複数の端末が必要でした。

 他方で中国は、最新技術を駆使して新型コロナウイルス感染拡大を阻止しました。

 台湾も、「デジタル担当大臣」のオードリー・タンの指導で、マスクの配布などを見事に処理。

 コロナという異常事態に直面して始めて、日本がこうした国とは比較できないほど遅れていることが分かったのです。

利益が増えたのは非正規を増やしたから

 アベノミクスの成果として、企業利益が増加し、株価が上昇したことが指摘されます。

 企業利益の増加は事実です。しかし、こうなったのは、生産性が高まったからではありません。

 実際、日本の生産性の伸びは、世界の動向から著しく遅れています。

 OECDによると、2018年において、日本はアメリカの58.5%でしかなく、韓国、トルコ、スロベニアなどにも抜かれています。

 そうした状態であるにもかかわらず日本企業の利益が増加したのは、売上高が若干増加する中で、原価の増加率が売上高増加率を下回ったからです。中でも、人件費の増加率が低かったからです。

 これを詳しく見ると、つぎのとおりです。

 企業の売上高などにつき、2019年10-12月期を2012年10-12月期と比べると、つぎのようになります(法人企業統計:金融機関を除く全産業、全規模)。

 売上高はこの間に8.4%増加しました。年率では1.2%であり、あまり高い伸び率ではありません。

 ところが、「売上原価」と「販売費および一般管理費」の合計(これを「総原価」と呼ぶことにします。売上高から総原価を引いたものが営業利益になります)は、増加率が7.3%と、売上高増加率より若干低かったのです。

 このため、営業利益は39.9%という非常に高い伸び率になりました。

 営業利益の売上高に対する比率は4.3%でしかありません。このため、売上高増加率と総原価増加率が少しでも違えば、営業利益は大きく変動するのです。

 総原価の中でも、人件費の増加率は4.9%にとどまっています。

 つまり、人件費の伸びを抑制したために、利益が増加したのです。

非正規が増えたので賃金が低下

 2012年に104.5だった実質賃金指数 は、2019年には99.9に下落しました。7年間で4.4%ほど下落したことになります。

 賃金を抑制することができたのは、非正規労働者を増やしたからです。

  2013年1月から2020年1月の間に、 雇用者 は約504万人増えましたが、その64% にあたる322万人は、非正規雇用者 です。

 結局のところ、「企業の売上高は8.4%増加したにすぎないが、非正規雇用者を増やすことによって人件費の伸びを4.9%に抑えられたので、営業利益が約40%も増加した」ということになります。

 生産性を上げるのでなく、非正規の低賃金労働 に頼ったため、労働市場が不安定しました。

 不安定性は、コロナ下経済において、深刻な結果をももたらしました。2020年1月から6月までのわずか半年間に、非正規雇用者が105万人も減少したのです。

 つまり、アベノミクスの期間に増えた非正規就業者322万人のほぼ3分の1に相当する人々が、わずか半年間で職を失ったのです。

 失業率がさほど高まらないのは、その人たちが求職活動をしないため(あるいは、したくともできないため)、「失業者」とはカウントされず、「非労働力人口」とカウントされているからです。

(連載第44回)
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■野口悠紀雄(のぐち・ゆきお)
1940年、東京に生まれる。 1963年、東京大学工学部卒業。 1964年、大蔵省入省。 1972年、エール大学Ph.D.(経済学博士号)を取得。 一橋大学教授、東京大学教授(先端経済工学研究センター長)、 スタンフォード大学客員教授などを経て、 2005年4月より早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授。 2011年4月より 早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問。一橋大学名誉教授。2017年9月より早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問。著書多数。


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