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出口治明の歴史解説! 93歳のエリザベス女王の卓越した政治センスに学べ

歴史を知れば、今がわかる――。立命館アジア太平洋大学(APU)学長の出口治明さんが、月替わりテーマに沿って、歴史に関するさまざまな質問に明快に答えます。2020年3月のテーマは、「女性」です。

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※本連載は第20回です。最初から読む方はこちら。

【質問1】世界では女性の首相が増えています。出口さんから見て、政治的な手腕の優れた女性といえば誰でしょうか?

 現職の首相でいえば、ドイツのアンゲラ・メルケルさんをまず挙げたいですね。2005年にドイツ初の女性首相となって以来、もう15年も安定政権をつづけている。最強のリーダーの一人でしょう。

 ほかにも、ニュージーランド首相のジャシンダ・アーダーンさん、フィンランド首相のサンナ・マリンさん、国際通貨基金(IMF)の専務理事から欧州中央銀行の総裁となったクリスティーヌ・ラガルドさんなど、注目すべき立派な女性リーダーは世界にはたくさんいますね。

 去年来日したラグビーチームの強豪オールブラックスのメンバーも、アーダーン首相のリーダーシップにはほとほと感服していると話をしていました。

 政治的センスといえば、いまの連合王国(イギリス)の女王エリザベス2世も卓越していると思います。最初に彼女に仕えた宰相はかのチャーチルです。鉄の女と呼ばれたサッチャーやイラク戦争当時のブレア、そして現在のジョンソン首相に至るまで、15人の宰相と渡り合ってきました。どの首相もオープンにはしていませんが、女王との間でかなり細やかな政治的なやり取りがあったとされています。

 最近では、ヘンリー王子とメーガン妃が王室から離脱する一件で見せた彼女の采配は、さすがと思わせるものがありました。

 ヘンリー王子の王位継承順位は6位。王室離脱の理由については、メーガン妃への人種差別だとか、ダイアナさんを死に追いやったのと同じパパラッチが嫌だったとか、いろいろ取り沙汰されました。ヘンリー王子が公式な場ではなく、SNSのInstagramで発表したことも「何やってんねん」と国民の不評を買ったようです。

 世界中が注目したのは、エリザベス女王の対応でした。当初は「激怒している」と報道されましたが、彼女は「本人たちがそうしたいなら、それでええやろ」とあっさりと承認しました。騒動を長引かせると、王室のためにも、本人たちのためにもならないと、早期解決を第一に考えたのでしょう。93歳とは思えないスピード感。日本の政治家や経営者は見習ったほうがいいですね。

 ただし王室は、ヘンリー王子夫妻が望んだ「パートタイム王族」になることは認めませんでした。「ロイヤルハイネス」(殿下・妃殿下)の称号を名乗るのは控えなさい、公金は支給しない、2人の住まいであるフロッグモア・コテージの改修費用も返済する、という厳しい条件がつきました。これらはおそらくエリザベス女王の承認のもとに行われたのでしょう。

 これはロイヤルファミリーのお家騒動といった単なる家庭内の問題ではありません。国内への影響を考えれば、まぎれもなく政治問題です。しかも、かなりセンシティブな問題です。そこで「本人たちの気持ちを尊重して」とか「みなさんの意向を踏まえて」とか、悠長に決断を先延ばしすれば、収拾がつかなくなることは目に見えています。

 もちろん、早く決断すればそれでいいというわけではありません。政治は結果責任です。歴史を紐解けば、すぐに決断したものの失敗したリーダー、支持を下げたリーダーもたくさんいます。

 一方、エリザベス女王の決断には、多くの国民が賛同しました。スパッと決断して、多くの人を納得させる。そういう政治センスは、男女を問わず、リーダーには不可欠なものだといえるでしょう。

【質問2】イスラム圏では、男尊女卑が激しく、女性の活躍が阻まれているように思えるのですが、国民的な英雄となった女性はいるのでしょうか?

 イスラームの世界では、女性への抑圧が強いので、活躍するのは難しいと思いこんではいませんか? そんなことはありません。女性の力は強く、歴史上には大活躍した女性が何人もいますよ。

 まず思い出されるのは、シャジャル・アッドゥッル(?~1257)です。なにしろ現在のエジプト、シリア、ヒジャーズを支配したマムルーク朝(1250~1517)の初代君主ですからね。

 彼女はもともとバグダード(イラク)にいて、カリフ(イスラーム国家の指導者)のハレム(後宮)で働く奴隷だったと伝えられています。そこからアイユーブ朝(1169~1250)のスルターン(君主)の息子に贈られ、その妻となりました。この夫が、のちに第7代スルターンとなるサーリフ(1205頃~1249)です。将来のスルターンにプレゼントされるくらいですから、シャジャルはきっと魅力的な女性だったのでしょう。

 実は、彼女の本名はわかっていません。シャジャルというのはカリフから与えられた名で、「真珠の木」という意味です。これだけでも美女だったと想像できますね。しかも美しいだけでなく、たいへん賢い女性でした。

 シャジャルは男の子を産み、奴隷身分から解放されて、サーリフの正妻となりました。しかし、この男の子は夭折してしまいます。

 サーリフは1240年にスルターンとなりますが、9年後に病死します。それはちょうど、フランス王国のルイ9世が第7回十字軍(1248~1254)を派遣した時期に当たります。

 フランス軍は首都カイロ(エジプト)をめざし、まず主要港湾都市のダミエッタ(現エジプト)を攻略しました。アイユーブ朝はリーダーが病死したうえ、シャジャルにとっては継子の皇太子トゥーラーン・シャーは外交と勉強を兼ねてメソポタミアに出張中でした。アイユーブ朝は、リーダー不在の折、強大なフランス軍に攻められて危機的状況を迎えたのです。

 このとき国のリーダーとなったのがシャジャルです。しかし表立って指示を出したわけではありません。賢い彼女は、自軍の動揺を抑えるためにサーリフの死を隠しました。サーリフのために食事を運ばせ、まだ生きているように見せかける一方で、夫の名代として自分が指示を出しました。

 彼女は夫の名でバフリーヤと呼ばれていた親衛隊を指揮し、マンスーラの戦い(1250)で圧勝します。フランス軍を町なかにおびき寄せ、あっという間に敵軍を蹴散らし、ちょうど帰国した皇太子のトゥーラーン・シャーと力を合わせて、ルイ9世や敵軍の将校たちを捕虜にしました。

 美貌で賢いうえに、戦争にも勝利したシャジャルはマムルーク軍団から熱烈に支持されます。彼女はルイ9世たちの身代金を受け取り、戦後処理も抜かりなく進めました。外交能力も抜群だったのです。めちゃくちゃ優秀でしょう?

 病死したサーリフの後継者は、当然ながら皇太子のトゥーラーン・シャーです。しかし、彼はスルターンに就任してまもなく、バフリーヤたちに暗殺されました。彼はバフリーヤたちがいずれ謀反の元凶になると見なし彼らを粛清しようとしました。それを察知したバフリーヤたちに先手を打たれたのです。これによってアイユーブ朝は途絶えます。

 シャジャルは、バフリーヤたちに推される形でマムルーク朝を開き、初代君主となりました。そうなると、彼女がトゥーラーン・シャー暗殺に関与していたという見方もできますが、真相は闇の中です。

 彼女が統治している間に鋳造された貨幣には「スルターナ」と刻まれました。スルターンの女性形ですね。

 そのように国内では絶大な支持を受けたのですが、周辺国のリーダーやイスラム教徒たちからは反発が起こりました。女性君主への非難です。彼女はマムルークの有力者だったアイバクと再婚し、リーダーの地位を新しい夫に譲るという方法を取りました。結婚していたアイバクは、シャジャルに元妻と離婚させられたと伝えられています。

 シャジャルのほかにも、北インドにあったマムルーク朝(1206~1290)の第5代君主ジャラーラトゥッディーン・ラズィーヤ(1205~1240)など、イスラム圏にも大活躍した女性や女性の英雄はたくさんいるのです。

(連載第20回)
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■出口治明(でぐち・はるあき)
1948年三重県生まれ。ライフネット生命保険株式会社 創業者。ビジネスから歴史まで著作も多数。歴史の語り部として注目を集めている。
※この連載は、毎週木曜日に配信予定です。

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