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美しい言葉とは 中野信子「脳と美意識」

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※本連載は第11回です。最初から読む方はこちら。

 カタカナ語をめぐる言説がかまびすしい。

 ここまで誰も彼もが同じようなことを口にしているのを見ると、ただカタカナ語を使うな、と言いたいだけなんじゃないか? と勘繰りたくなってしまう。また誰か特定の一人を叩く流れにみんな便乗しようとしているのか、とうんざりもしてくる。何度も何度も注意を喚起してきたのに、やっぱり同じことが起きてしまう。

「カタカナ語を使って目立とうとする人」への攻撃は止まることがないし、これからも起こるのだろう。別にその人が目立とうとしたところで、あなたが損するわけではない。むしろ攻撃することであなた自身が目立ちたいということか? という逆向きの疑念すら生じる。一人浮いた人への攻撃は、いくらでも再生産される。特に誰かを擁護する意図ではないのだが、またか……と、がっかりするのもそろそろ打ち止めにしたいものだ。

 小池都知事は先週3月25日(水)に週末外出自粛要請を出した。密閉、密集、密接の3つの密を避けて欲しいと訴えた。直前にはカタカナ語を多用し過ぎる等の批判の声があがったが、これに対して、密、という漢字を使って返したのは、いかにも小池都知事らしく鮮やかだった。それでもカタカナ語が、と言われてしまうのはそれまでに多用してきたイメージがあったからに他ならないだろう。むしろカタカナのほうが私はわかりやすいのだが、誰もそういわないのは本当に不思議だ。

 そもそもロックダウンと言い始めたのは小池都知事ではなかったのでは? オーバーシュート、という単語(そもそも感染症分野の用語ですらない)を使い始めたのも尾身茂副座長ではなかったか? 私の誤解であれば謝意を表したいが、誰もそこには突っ込まないのだろうか。イメージが先行して、誰か声の大きい人が茶化すように攻撃を始めると、一斉に便乗するという、謎の現象。これはいかにも面白く、どうもこれほど巨大な脳をわざわざコストをかけて維持している知性のある動物には見えない。小さな脳で反射的に動く昆虫の群れのようで、なるほど危機は人間の知性を低下させるのだなと合点がいく。

 ところで、一般に、多くの人に語り掛ける立場にある人がカタカナ語を多用しがちなのにはいくつもの理由がある。その理由のうち、なぜか話題になるのは「知識をひけらかそうとしている」「カッコよく見せようとしている」など、語り掛ける側の立場やポジショニングに関わる側面だけだ。まあ、裏を返せばつまり、批判をしている当のその人が、俺は使っていないのにお前だけずるいと思っている、ということになるのだろうけれど。使いたければ使えばいいのでは? 使わずにわかりやすく話せるならまずあなたからしてみては? と思う。

 しかし、一度でも語る側に立ったことのある人はわかるはずだが、もっと切実な理由もある。

 カタカナ語のほうが漢字熟語を使うよりも圧倒的に意味を特定でき、相手に伝えやすいのである。

 日本語は、ご存じの通り、同音異義語が多い。みなさんも、時間のあるときに、日本語の同音異義語を検索してもらえればすぐに実感できるはずだ。私たちは日常的に、想像をはるかに超えた数の同音異義語を使用している。そして意外なほど、読む言語と聴く言語が違う。

 例えば、私たちは聞いただけでは「収束」と「終息」の区別もつけられない。

 また、「減少する現象」とテレビ等で言ったら視聴者は「ん?」と思うのではないだろうか。
橋梁と狭量。
お食事券と汚職事件。
開腹して回復した。
貴社の記者が汽車で帰社した。
厚生、抗生、公正、攻勢、校正、構成、後世、後生、恒星……。

 そもそもカタカナ語が外来語でインテリぶっているからよくない、というのなら漢字なんぞ全部廃止にしろということになりはすまいか。

 戦時中に、野球は敵国の事実上の国技であるからといって、その用語が徹底して改変されたことがあるのは有名な話だ。選手にもファンにも極めて不評だったとされている。いわゆる「敵性語排撃運動」である。

 例えばこんな調子だ。
プレイボール→始め
ストライク→正球
ストライクワン→よし1本
ストライクツー→よし2本
ボール→悪球
アウト→無為/引け
セーフ→安全
ヒット→正打
ファウルボール→圏外球
バント→軽打
スクイズ→偽投打生還
バッテリー→対打機関
コーチ→助令

 ……うんざりしてこないだろうか。日本語でいいじゃない、と主張する人は、再考していただきたい。もはやカタカナ語も日本語化している。それを認めるのを是としないならば、そもそも漢字熟語も受け入れるべきではない。漢字も漢字熟語も、そもそも外来の言葉であり文字なのだから。

 ロックダウンがわからない、という人がいるが、ロックもダウンも中学校で習う単語だ。それどころか、「車のドアをロックして」と言われたら小学生でもわかるだろう。これを「車の扉の鍵閉めて」という人がいたらむしろ逆に古風でどこか微妙に気持ち悪い。

A. この難局を奇貨として新しい社会基盤設計の契機に
B. このピンチをチャンスに変えて、新しいインフラをデザインするためのターニングポイントに

 これを声に出して誰かに聞かせてほしい。できれば、文章を見せずに。そして、どちらの音読の方がわかりやすかったか、たずねてみてほしい。たぶん、Aでは何のことだかわかってもらえないだろう。

 美しい日本語は、目立たず、波風立てず、伝わらない言葉のことを言うのか?

 私は、そうではないと思っている。

(連載第11回)
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■中野信子(なかの・のぶこ)
脳科学者。東日本国際大学特任教授。1975年生まれ。東京大学工学部応用化学科卒業、同大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。医学博士。2008年から10年まで、フランス国立研究所ニューロスピン(高磁場MRI研究センター)に勤務。脳科学、認知科学の最先端の研究業績を一般向けにわかりやすく紹介することで定評がある。17年、著書『サイコパス』(文春新書)がベストセラーに。他の著書に『ヒトは「いじめ」をやめられない』(小学館新書)、『シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感』(幻冬舎新書)など。※この連載は隔週土曜日に配信します。
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