森功

安倍晋三を高尾山に誘った男 森功「新・現代官僚論」

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※本連載は第3回です。最初から読む方はこちら。

 経産省OBの長谷川榮一は潰瘍性大腸炎のせいで政権を投げ出した安倍晋三を誘い、高尾山の登山を提案したという。その逸話が政官界で語り草になってきた。政権へのカムバックを訴え、2012年の自民党総裁選で安倍の背中を押した菅義偉とともに、長谷川は第二次政権発足最大の功労者の1人に数えられる。第一次政権のとき内閣広報官に就き、第二次政権で首相補佐官に起用された。

 2度の政権にわたり、似たような顔ぶれの側近で固める安倍政権は〝お友だち内閣〟と揶揄されるが、権力者が寝首を掻かれる恐れのない忠臣を傍に置きたがるのもまた世の常である。その伝で行けば、1年生議員の頃から仕えてきた長谷川は、安倍が自ら政権の座につくとき、うってつけの役人だったといえるが、ここまで首相から絶大な信頼を得るようになった理由もある。

「長谷川さんが広報官として認められたポイントは、海外の新聞や雑誌への人脈づくりでした。日本国内に滞在している外紙の特派員たちはもちろん、総理といっしょに外遊すると、その先々の現地記者を接待してきた。外紙の記者たちと仲よくなり、首相インタビューを実現させる。それが得意でした」

 長谷川の後輩経産官僚がそう解説してくれた。外遊から帰国した長谷川は、馴染みの全国紙の政治記者に耳打ちした。

「今度、ワシントンポストにインタビューが出るから、その内容を君のところだけ特別に教えておくよ」

 もとより政治記者はそこに飛びつく。それで長谷川は国内のマスコミをコントロールし、外遊効果をPRできた、と首相の安倍は長谷川を高く評価していった。そうして安倍がずっと傍に置くようになったのは、想像に難くない。

 実は、難病の安倍に高尾山登山を企画した当時、長谷川は自らの官僚人生においても苦しい時期といえた。

「私は安倍さんに拾われた身だから恩返ししたいんだ」

 長谷川は第二次政権の発足とともに首相補佐官に抜擢されたとき、後輩の経産官僚たちにそうも話した。「拾われた」というその意味は、もとより自分自身の境遇を指している。本人のざっと経歴を拾うと、長谷川は07年8月の第一次安倍政権の崩壊後、08年6月まで経産省の経済産業研究所上席研究員を務め、そのあと中小企業庁長官に就任する。ところが2年後の10年7月に退官し、霞が関から去った。

 まだ58歳になったばかりだ。ちなみに安藤久佳も中小企業庁長官を経験しているが、そこで中小企業の税率優遇策を主導してステップアップした。新原浩朗との事務次官レースに臨み、今年7月に次官の椅子を射止めたのは前に書いたとおりだ。

 一方、長谷川の場合は中小企業庁長官としてあまり注目政策がなく、そのまま役所を離れてしまう。自民党が下野していた民主党政権時代のことだ。ボストンコンサルティンググループ・シニアアドバイザーや明大の経営学部客員教授、東大公共政策大学院教授などとなり、なかば官僚人生の幕を閉じようとしていた。

 ところが、この間、かつて仕えた安倍に変化が訪れる。09年にゼリア新薬から発売された潰瘍性大腸炎治療薬のステロイド「アサコール」を飲み始め、症状が見る見るうちに改善していった。高尾山登山に挑戦できるようになったのは、この画期的な劇薬のおかげだとされる。そして安倍は長谷川とともに、政権へのカムバックに望みをかけ、それが実現したのである。

 長谷川は広報官に復帰しさらに第二次政権では政策企画担当の首相補佐官に抜擢された。政策企画担当補佐官は文字どおり、首相のあまねく政策をサポートする立場である。剛腕と名高い筆頭首相秘書官の今井尚哉でさえ、経産省の先輩官僚にあたる長谷川のメンツを立て政策を推し進めてきたという。従来、外務省が担ってきたロシア外交、わけても北方領土の経済活動分野などは表向き今井が長谷川に譲ってきた。

 ところが、長らく続いてきたそんな安倍一強政権で権力構造に変化の兆しが見え始めている。その一つが長谷川の処遇だ。今年9月の内閣改造にともなう官邸人事により、長谷川は政策企画担当の任を外され、代って秘書官の今井がそのポストを兼務するようになる。長谷川には、形ばかりに北方領土の経済交流と広報の任務が残っているが、事実上、仕事をとりあげられてしまったかっこうである。

 桂太郎を抜いて憲政史上最長となった安倍政権は、いつごろから「経産省内閣」と呼ばれるようになったのだろうか。むろん第一次政権のときは俗称が生まれるような特徴ある内閣でもなかったが、第二次政権がスタートしてほどなくし、霞が関でそう称する官僚がポツポツ出てきた。それは、首相の分身として寄り添ってきた秘書官の今井が目立ち始めた2014年ぐらいからだろうか。

 祖父の岸信介以来の悲願である憲法改正、今の自衛隊を国防軍として看板を付け替えたい首相は、必ずしも経済に明るかったわけではない。そこを第二次政権でアベノミクスなる景気対策でカバーしてきたのが、今井に代表される経産省出身の官邸官僚たちだ。わけても首相の筆頭秘書官として霞が関を睥睨する今井は、安全保障関係法制の制定に向けた15年の強引な通常国会の運営により批判が高まるや、「一億総活躍社会の実現」や「GDP600兆円の達成」といった新たなアベノミクスを前面に打ち出し、内閣支持率の回復を図った。その経済政策づくりの実働部隊が後輩の経産官僚たちだ。(敬称略)

(連載第3回)
★第4回を読む。

■森功(もり・いさお)  
1961年福岡県生まれ。岡山大学文学部卒。出版社勤務を経て、2003年フリーランスのノンフィクション作家に転身。08年に「ヤメ検――司法に巣喰う生態系の研究」で、09年に「同和と銀行――三菱東京UFJの闇」で、2年連続「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」作品賞を受賞。18年『悪だくみ 「加計学園」の悲願を叶えた総理の欺瞞』で大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞を受賞。他の著書に『泥のカネ 裏金王・水谷功と権力者の饗宴』、『なぜ院長は「逃亡犯」にされたのか 見捨てられた原発直下「双葉病院」恐怖の7日間』、『平成経済事件の怪物たち』、『腐った翼 JAL65年の浮沈』、『総理の影 菅義偉の正体』、『日本の暗黒事件』、『高倉健 七つの顔を隠し続けた男』、『地面師 他人の土地を売り飛ばす闇の詐欺集団』、『官邸官僚 安倍一強を支えた側近政治の罪』など多数。



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