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小説「観月 KANGETSU」#65 麻生幾

第65話
被疑者死亡(2)

★前回の話はこちら
※本連載は第65話です。最初から読む方はこちら。

「変な子ね……」

 母が呆れた表情で振り返った。

 首を垂れた母は、しばらく黙ったまま、何かを懐かしむような穏やかな表情をして、右手の甲を左手の指で撫で続けた。

 七海は母の言葉を静かに待った。

「この人が死んだら自分も死ぬる──。そげな感じちゃ」

 もっとかわいい言葉を聞けると思っていた七海は、思わず母の顔を見つめた。

 母の顔には笑顔はなかった。

 虚空を見つめる真剣な眼差しがあった。

「自分も死ぬる、か……」

 七海は自然と母の言葉を繰り返した。

 七海は思った。

 涼に対して、自分はそこまでの強い感情を持っているのか……。

 その時、肯定すべきじゃない、という声が頭の中で響いた。

 しかし七海は正直になろうと自分に言い聞かせた。

 素直に自分自身を見つめようとも思った。

 ただ、死ぬとか、そこまでの強い表現は今はできそうにもない。

 でも、かけがえのない存在──その言葉が相応しい感情を涼に抱いていることは間違いないと思った。

 だが、その“かけがえない存在”にしても、じゃあ、どこまでの気持ちか、と聞かれれば、確かな答えを見つけることはできない、とも正直に思った。

「やったら、お父さんが亡くなった時、お母さんなどうなったん??」

 自分でもその言葉が口から出たことに驚いた。

 その質問は、これまで母との間では、互いに暗黙の了解みたいな感じでタブーであり、七海は一度としてそれを聞いたことがなかったからである。

 七海は横目で母の反応をうかがった。

 母はまた表情を緩めて、オレンジの陽光に頬を照らしている。

「最期ん別れん時、どれほど泣き腫らしたか……」

 母が静かに言った。

 七海は驚いた。

 その言葉をまったく想像をしていなかった。

 恐らく初めて、母は父に対する赤裸々な感情を露わにした──。

 七海は想像してみた。

 恐らく、葬儀場などで出棺前のお花入れの後、永遠の眠りについた父の顔を見ることができていた蓋が閉められた“最期の別れ”の時、母は人目を憚らずに泣き崩れたのだろう──。

 だが“泣き腫らした”という姿は、幼かった七海には記憶には残っていなかった。

「お父さん、最期、苦しんだ?」

 ずっと聞けてなかった質問を七海は母に投げかけた。

 母は目を瞑って顔を左右に振った。

「お父さん……」

 しばらくの沈黙の後、七海が呟いた。

 そして、父の形見とも言える松葉杖を手に取ると、脇当(わきあ)てのカバーの部分で頬を撫でてみた。

 母が七海の肩を優しく抱いた。

 七海も思わず母の腰に手を回した。

 そして自分の頭を母の肩にしな垂(だ)れた。

「お父さんがのうなっちから(亡くなってから)しばらく経った頃、あんた、夜、なんべんも起きち、泣いちょったわね……」

「私も、そんことは、微かに憶えちょん。パパに逢いてえっち、て泣いたことやろ? でもお母さんがやさしゅう抱き締めちくれたやろ……」

 七海が夕焼けを見つめながら言った。

「私は何もできず、ただ七海の背中を擦っち、一緒に泣いちいただけちゃ」

 母が静かに言った。

「そうやったっけ……」

 七海が微笑んだ。

「もう1つ、憶えちょんことがあるわ」

 七海が続けた。

「わたし、小学校の頃、この縁側から空を見上げてずっと思っちょった。お父さん、今、どこの空にいるのかな……お家(うち)ん上の、あの雲ん上かなって……」

「今でもちゃ。お父さんな、七海をずっと見守っちょんわ」

 母が強く七海を抱き寄せた。

「逢いたいよ、お父さん……」

 ふとそんな言葉が七海の口から出た。

 思ってもみないことだった。

 物心ついてからというもの、亡くなった父に対して、こんな心の奥底に沈めたはずの言葉を口にしたことが一度もなかったからだ。

(続く)
★第66話を読む。

■麻生幾(あそう・いく) 大阪府生れ。作家。1996年、政府の危機管理の欠陥を衝いたノンフィクション『情報、官邸に達せず』を刊行。日本の危機管理をめぐる“真実”を小説で描いている。オウム事件など内外の事件を取材したノンフィクション作品も。主な小説に、『宣戦布告』『ZERO』『ケース・オフィサー』『外事警察』『奪還』など。「宣戦布告」「外事警察」などが、映画化、ドラマ化され反響を呼んだ。ノンフィクション作品に、『極秘捜査-警察・自衛隊の「対オウム事件ファイル」-』『前へ!-東日本大震災と戦った無名戦士たちの記録』などがある。※この連載は、毎週日曜と不定期平日に配信します。

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