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與那覇潤×浜崎洋介 オミクロンが突きつけるもの

不安をあおって、ひたすら自粛。日本社会の「病巣」を気鋭の論客2人が斬る!/與那覇潤(評論家)×浜崎洋介(文芸批評家)

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與那覇氏(左)と浜崎氏(右)

煽る方が「数字がとれる」

與那覇 オミクロン株の感染が拡大し、特措法に基づく各種の規制が適用される都道府県も、増える一方となりました。2020年以来、もう見飽きた展開とも言えます。

むろん変わった点はあり、ワイドショーを見てもスタジオのフリップやコメントでは、過剰な対策への慎重論をある程度採り上げています。しかし番組全体の印象では、街頭インタビュー等での「不安の声」が強調され、記憶に残ってしまう。

浜崎 メディア関係者に言わせると、不安と恐怖で煽る方が「数字(視聴率)がとれる」そうですね。

與那覇 「人を不安にさせるのはたやすいが、安心させるのは難しい」という事実こそが、コロナ禍の2年間の教訓ではないでしょうか。そして1度不安に支配された人は、安心を語る政治家や専門家を信用できず、より強い不安を吹き込む人を信じるようになっていく。一種の依存症に近い状態が生まれています。

浜崎 同感です。日本全体がファクトベースではなく、不安ベースのコミュニケーションに翻弄されている。この2年間で第6波まで経験してきて、その知見を積み重ねてきたはずなのに、なぜか、それが全く生かされていない。特に「人流抑制と感染者数は相関がない」ということは、過去5回の波で、すでに何度も証明されている事実です。

與那覇 典型が五輪開催とも重なった第5波(デルタ株)です。世界最悪級の惨事になると煽られた予測に比べれば、被害は僅少。しかも緊急事態宣言が解除され飲食店に人があふれるのに連れて、むしろ感染者数が急減する展開となりました。

浜崎 そうなんです。でも専門家は急減の理由を誰も説明できませんでした。それなのに、いまテレビをつけると、そんなことは無かったかのように人流抑制が唱えられている。私は普段、新聞や雑誌といった活字系メディアに接しているので、たまにテレビを観ると、「何だ、これは」と(笑)、その落差に驚きますね。

與那覇 活字とテレビの落差というご指摘は重要です。人流抑制が感染防止にあまり役立たないことは、ロックダウンを試した欧米でさえ指摘されている事実。しかしそれがなおテレビでもてはやされるのは、単に「絵になる」からでしょう。

誰もいない市街の映像はインパクトがあって視聴者に刺さるし、2年間で撮り貯めたかつての時期のものと並べて、「今回は人出の減り方が鈍く、気の緩みが……」といったストーリーも作りやすい。コンテンツとして美味しいわけです。

浜崎 理性ではなく、末梢神経の刺激に訴えるわけですね。

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正しさより調和を重視

與那覇 しかも私たちの五感のうち、視覚だけが極端に過敏になっている。だからグラフに図示される「増えた、減った」ばかりに感情を操られ、「致死率が低い変異株の、感染自体を忌避する必要があるのか?」と問い返すことができない。

浜崎 これまで日本人は、目の前の枠組みに適応することばかりを考えて、その枠組み自体を問うという意識が薄かった。だからその歪みが、危機のたびに現れてくるんでしょう。

私は、コロナ騒動を機に、色々と日本人論を読み直しているのですが、たとえば福田恆存は、日本人は「浄か、不浄か」、「きれいか、汚いのか」の価値判断で動くと言いますが、この「きれい」の定義は、共同体内の「調和」なんですね。

何が正しいのかは二の次で、とにかく調和を乱すことは許さない。本音を言って事を荒立てることはしないわけです。しかし、本当の問題は、そんな「事なかれ主義」の性格を日本人自身が自覚してこなかったことで、だから、自分の無意識に振り回されることになるんでしょう。

與那覇 戦後日本の知識人の多くが批判してきた、私たちの思考の悪癖ですね。山本七平は「空気に水を差す人」が排除される現象を、丸山眞男は「純粋な『きよき心』が無謬視される」問題を指摘しました。

浜崎 あるアンケートでマスクをする理由を尋ねたら、「感染防止のため」という回答はごくわずかで、「皆がしているから」という理由が圧倒的に多かったそうです。だからマスクを外している人間に対しては、「皆がマスクしているのに、けしからん」となる。

與那覇 「和を以て貴しとなす」は、裏返ると同調圧力に転じます。

浜崎 日本人の同調圧力の問題は根が深いですね。近代以降、故郷や共同体など、自分が拠って立つ場所を失った日本人は、どう他者と関わったらいいのかが見えなくなってしまった。その不安が、同調圧力で危機を乗り越えようとする日本人の悪癖を加速させてしまった。実際、不安ベースのコミュニケーションは、自己喪失者の典型的症状です。

特にこの30年は新自由主義によって、「自助だ、自己責任だ」と言って共同体の枠組みを掘り崩し、人々を孤立させてしまった。そうすると、ますます皆と同じようにマスクをしていないと安心できないことになります。完全な悪循環です。

方針転換できない日本人

與那覇 不思議なのは、オミクロン株は特性がこれまでと大きく異なり、「罹りやすいが重症化しにくい」ことがはっきりしている。にもかかわらず多くの日本人が、従来株の際にとった「意見や方針を変えられない」のはなぜなのでしょうか。

浜崎 日本人は目先の「調和」に気を取られるので、一度、枠組みを決めて動き出してしまうと、なかなかそれを変えられません。患者ではなくて、そこで動いている関係者に迷惑がかかるのを恐れるからです。

與那覇 途中で路線変更ができず、破局まで行きついてからの「1億総転向」でしか変われないあり方は危険です。文字どおり、かつての敗戦の繰り返しになってしまう。

浜崎 私もそう思います。今回のことで言うと、路線変更できない典型例が濃厚接触者の待機問題です。感染者は最短10日間で出勤できるのに、濃厚接触者は接触したタイミングによっては最大20日の隔離が求められるという不条理な事態がまかり通っていました。オミクロン株の特性に応じて、濃厚接触者の扱いも変えていけばいいんですが。

事態に応じて対応を変えていくということが本当に苦手なんですね。

與那覇 2020年春の第1波では「国内で40万人以上が死ぬ」との予測が飛び交い、街路から本当に人が消える厳格な自粛が実現しました。しかし緊急事態宣言解除時の死者数は、なんと900人弱。この「空振り自粛」のトラウマが悪い方向に作用していると思うんですよ。

それこそ戦争もののドラマや映画が典型ですが、「耐えに耐えたが、そこには意味があった」という話が日本人って好きじゃないですか。逆に、「全部無意味でした。ゼロベースで見直しを」は我慢ならない。

浜崎 その分「人がいい」とも言えるのでしょうが(笑)。

與那覇 結果として第1波以降、日本人は「いやいや。ワクチンが普及するまで『持ちこたえる』ための自粛だったんだ」とする物語に、無自覚に飛びついた気がします。だから人流抑制の効果や、ワクチンの安全性を少しでも疑う人は、不愉快なので非国民扱いして排除する。

浜崎 変異株の特性なんてそっちのけで、「自粛とワクチンでコロナの大波を乗り切る」という物語で政治家も、専門家も、そして国民も動いています。行動制限ではなく、手洗いうがいの予防で、生きること、生活することの喜びを取り戻そうと言う人は、ほぼ皆無でしたね。

與那覇 「生きる喜び」とは常に、なんらかのリスクと表裏一体でしょう。ステイホームで見知らぬお店にデリバリーを頼むのだって、一定のリスクを引き受けて試すわけです。その自覚が失われていますね。

浜崎 誰も真剣じゃないんですよ。「自粛こそ正義」という安易な枠組みのなかで、誰も傷つかないように、互いに馴れ合っているだけです。

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ワクチンと神風

與那覇 私がずっと批判しているのは、2020年夏の第2波から盛んになった「感染したら重い後遺症が残る」とするキャンペーンです。第1波の経験から、若年層が重症化しにくい事実は周知になっていた。そこで「いや、若いやつらもやはり自粛すべきなんだ!」という物語を維持するために、十分な論証のないままで、後出しの根拠を持ち出したようにしか見えないんですよ。

浜崎 これも枠組みが変えられない病ですよね。そこに無理が生じてそれを糊塗するためにキャンペーンをはる。だから日本の危機対応は、いつも建て増しの違法建築のようなものになってしまうんです。

與那覇 ひたすら耐えて「ワクチンの完全普及を待つ」心性も、大戦末期の神風頼みと同じ。そして海外からはむしろ複数回接種・未成年の接種への懸念が聞こえてきたいまも、なおワクチンに固執する。正直コロナより、この国民性が怖いですよ。

過剰適応する日本人

浜崎 「枠組み」への固執で言うと、よく私はルース・ベネディクトの『菊と刀』を思い出すんです。

與那覇 戦時中の「敵国分析」から生まれた、米国の文化人類学者による日本研究の古典ですね。

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