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片山杜秀さんの「今月の必読書」…『スノードロップ』

現代の安岡正篤か、北一輝か

錦旗革命小説である。三島由紀夫を意識しながら、天皇の物語にこだわる作家がまたも放った現代日本への爆裂弾、文学によるテロルと呼べる作品だろう。

大正から昭和初期の右翼運動の中で、錦旗革命論を唱えたのは安岡正篤だった。北一輝や大川周明や権藤成卿が、天皇を象徴として担ぎながら、自らの理想を軍人や民間志士を糾合して実現してこそ右翼革命を成就させられると主張したのに対し、安岡は思わぬ方向から反撃した。日本で錦の御旗を立てられるのは、究極的には天皇だけだ。天皇を担いで勝手をやるとは、僭越であり不敬ではないか。日本が皇国であるかぎり、この国の真の革命とは、天皇自らが人格、思想、意思を発動させて、政治や経済や社会の乱れを糺すこと以外にはない。つまり日本革命は皇居に錦の御旗を天皇が自分で立てることによって起こされるのだ。

作家は、この安岡的なヴィジョンを令和流に反復している。そう、あくまで令和流に。普通の錦旗革命小説なら、主人公は天皇でなければならないが、本作の中心に居るのは、天皇よりも皇后である。御成婚以来、皇族にふりかかる理不尽のすべてを引き受けさせられてきた皇后が、令和もだいぶん進んだ頃に、夫と共闘して、錦旗革命を試みはじめる。ネットを使って。

題名のスノードロップとは花の名である。日本では待雪草とも呼ばれる。スノードロップと言えば、ソビエトの児童劇の名作、マルシャークの『森は生きている』で、辛い生活を強いられている少女が彼女の境遇に同情する志ある者たちの協力を得て、極寒にもたとえられる国家の暴政を改めさせ、世界に革命を起こすときに決定的な役割を果たす小道具である。また、キリスト教では聖母マリア信仰と深くつながる聖燭祭を象徴する花だ。ヒロイン主導の革命小説にこれほど相応しい名前は他にあるまい。

では、本作の中でスノードロップなる言葉は具体的にいかなる役割を果たすのか。皇后のインターネット上のハンドルネームなのだ。正体不明のスノードロップ、実は皇居の中の皇后が、大胆な書き込みによって民間志士を煽動し、外には対米従属、内には不公正の政治を続ける国家体制の転覆をはかろうとする。

ネットの書き込みだけではない。令和の天皇皇后夫妻(あくまでこの小説の中の架空の存在ですよ)は、さらなる革命戦略を考案する。北一輝の『日本改造法案大綱』も明治憲法の虚を突き、天皇に戒厳令を発令させ憲法を停止させることから革命の方法論を導こうとしたが、作家も同じことを考える。

戦後憲法の第4条に、天皇は「国政に関する権能を有しない」とあるが、それを政治的発言さえ一切してはならないとまで膨らますのは、非合理な拡大解釈ではないのか。また、第7条に「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ」とあるが、行わねばならないとは書いていないし、行わないときの罰則もないだろう。天皇が良心に基づいて国民のために国事行為を行わず、ストライキやサボタージュをすることはありうるのではなかろうか。天皇は自らの希望する新しい国家像を作り出すことは禁じられているだろうが、現今の国家を停止させることは可能なのではあるまいか。

島田雅彦は現代の安岡正篤と見せかけて、やはり北一輝なのか。小説を超えた煽動の書である。

書評委員(50音順)
池上彰(ジャーナリスト)
角田光代(作家)
角幡唯介(探検家・作家)
梯久美子(ノンフィクション作家)
片山杜秀(慶應義塾大学教授)
佐久間文子(文芸ジャーナリスト)
出口治明(立命館アジア太平洋大学学長)
中島岳志(東京工業大学教授)
原田マハ(作家)
平松洋子(エッセイスト)
古市憲寿(社会学者)
本郷恵子(東京大学史料編纂所教授)

4名の方が交代で執筆します。

(2020年8月号掲載)

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