出口さんカンバン

出口治明の歴史解説! 日本という国を誕生させた「女性天皇」

歴史を知れば、今がわかる――。立命館アジア太平洋大学(APU)学長の出口治明さんが、月替わりテーマに沿って、歴史に関するさまざまな質問に明快に答えます。2020年3月のテーマは、「女性」です。

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※本連載は第17回です。最初から読む方はこちら。

【質問1】女性天皇をめぐる議論が盛んになっています。大きな足跡を残した女性の天皇は誰でしょうか?

女性天皇をめぐる議論については、憲法と歴史を分けて考えることが基本です。憲法第1条は、天皇の地位は主権の存する国民の総意に基づく、と明記しています。つまり、女性天皇であっても女系天皇であっても国民の総意があれば、何の問題もないのです。

この問題とわが国の歴史としての天皇制がどうであったかという問題は、次元の異なる全く別個の問題で、これは学者の研究に委ねればいいのです。以上を前提として、歴史的に事実について述べれば、それはもう持統天皇(645~703)に決まっていると思います。8人いた女性天皇のなかで、第16代(継体天皇から数える)の持統天皇はぶっちぎりのナンバーワンです。持統天皇の業績は男女問わず歴代天皇の中でも飛びぬけていると僕は考えています。

持統天皇のお父さんは天智天皇(中大兄皇子、626~672)で、母の遠智娘は、蘇我氏の出身。持統天皇の諱(いみな)、つまり本当の名は鸕野讚良(うののさらら)といいました。彼女は12歳のとき、大海人皇子(?~686)の妻となります。大海人皇子は天智天皇の弟ですから、讚良は叔父さんに嫁いだわけです。

672年に天智天皇が死去すると、子の大友皇子(弘文天皇、648~672)が後継者となりました。しかし、大海人皇子がクーデタを起こします。古代日本で最大の内乱だった壬申の乱(672)ですね。『日本書(紀)』によれば、この企てには讚良も加わっていました。そしてクーデタは成功し、大海人皇子が即位し、讚良は皇后になります。大海人皇子はのちに天武天皇と呼ばれることになります。

讚良が実力を発揮するのはここからです。皇后となった讚良は、病気がちだった天武天皇に代わって、息子の草壁皇子とともに政治の表舞台に立ちました。天武天皇が686年に没し、さらに689年には草壁皇子が病死します。

草壁皇子の息子である軽皇子はまだ6歳。皇位を継ぐ年齢ではありません。讚良は天武天皇の死後、政治を取り仕切っていましたので(称制)、そのまま即位しました。

持統天皇は、中国の都城にならって、藤原京を造営します。持統天皇は、唐や新羅に対抗して中央集権国家の建設にまい進し、藤原不比等の助けを借りて律令国家を成立させます。また、「日本」という国号や「天皇」という称号も確立させました。

同時に、『日本書(紀)』という歴史書の編纂にも取り組みます。伊勢神宮の式年遷宮も、持統天皇の治世に始まったという説があります。誤解を恐れずにいえば、持統天皇が「日本」という国を誕生させたのです。

僕たちが「日本」といって思い浮かべるものの大本は、持統天皇の時代にできたものなのです。

そして、孫の軽皇子が14歳になると天皇の地位を譲ります。彼が文武天皇(683~707)です。持統天皇は皇位を譲ったあとも、太上天皇(上皇)という立場で政治を執り行います。日本で最初に上皇となり、「院政」を始めたのも持統天皇です。

この話、おばあさんが孫に国を譲ったということですよね。どこかで似たような話を聞いたことがありませんか。

そう、「天孫降臨」です。女性の神であるアマテラスが孫のニニギノミコトに命じ、豊葦原水穂国を良い国にするため高天原から高千穂峰へ降り立たせたという神話です。

この神話は、持統天皇が文武天皇へ天皇の位を譲った史実をもとにしているのです。持統天皇の別名は「高天原廣野姫天皇(たかまのはらひろのひめのすめらみこと)」です。外国の建国神話で、おばあさんが孫に国を譲るエピソードは聞いたことがありません。実際に起きたことが神話化されたのです。いや、むしろ神話を創作することで、文武天皇の即位を正当化したのです。

『日本書(紀)』は720年に編纂され、元正天皇(680~748)に献上されたことになっています。タイミングもばっちりです。その元正天皇も女性天皇で、草壁皇子の娘であり、文武天皇の姉です。つまり、聖武天皇は甥になるのです。

このように持統天皇を見てみると、その名前にも大きな意味が隠されていると思えませんか。万世一系を象徴する中国の言葉に「継体持統」があります。「体制を継ぎ、血統を維持する」という意味ですね。現皇室まで連なる天皇家は、継体天皇(450?~531?)から始まったというのが定説です。その前の武烈天皇が後嗣を残さずに没したからです。現在につながる天皇家の初代が「継体持統」の継体天皇であり、日本という国を誕生させたのが持統天皇というわけです。

持統天皇がロールモデルにしたのは、中国の武則天(624~705)だと僕は考えています。中国史上唯一の女帝として知られる則天武后ですね。武則天も皇后から皇帝となった、有能なリーダーでした。

武則天が、夫である病弱な唐の高宗(628~683)を差し置いて政治を動かすようになるのは、持統天皇が10歳ぐらいのときです。それから武則天は約50年間、中国に君臨しました。当時の中国は世界一の大国ですから、日本でも話題になったことでしょう。女性が世界のリーダーだと聞いて、持統天皇も「わたしだってやれるに違いない」と思ったことでしょう。

現在の世界でも、女性の首相や国際機関の女性リーダーが増えていますね。ロールモデルは決定的に大切です。日本でも老舗の料亭や旅館には、女性のリーダーがたくさんいます。女将(おかみ)ですね。あれは「お母さんやってるんだから、わたしにもきっとできる」と思えるからです。

持統天皇と武則天には、むちゃくちゃ有能であるということ以外にも、1つの共通点がありました。夫が病弱で相対的に頼りなかったこと。前回の講義で「上司があかんたれだと部下が高い能力を発揮する」と話しましたが、男女の間でも同じことが起こるのです。

【質問2】世界の歴史を見ていると有名な女性の文学者はたくさんいるのに、有名な哲学者はソクラテスやプラトン以来男性ばかり、音楽家もバッハ、ベートーヴェン、ブラームスなど男性ばかり。これってナゼなんですか?

女性の優れた哲学者もたくさんいますよ。ドイツのハンナ・アーレント、フランスのシモーヌ・ド・ボーヴォワールなどはよく知られていますよね。また、クララ・シューマンなど著名な女性音楽家もたくさんいます、ただし、彼女たちは近代、現代になって活躍した人々です。

昔、活躍する女性が少なかった原因の一つは、教育の問題だと僕は考えています。

たとえば、哲学は、過去の哲学者たちが残した書物からその考えを学び、さらに発展させなくてはいけません。そのための勉強量は膨大です。アテネのアカデメイア(プラトンのつくった学園)やリュケイオン(アテネにあった学校)に入って必死に勉強した。体系的な学問なので、感性でなんとかなるものではなかった。最先端に到達するまで、非常に時間のかかるものだったのです。

近代社会になる以前は、女性の教育の機会そのものが、非常に限られていました。いや、そもそも女性には教育はいらないなどという間違った考えがはびこっていたからではないか、と僕は考えています。つまり、男性が教育の機会を独占していたのです。もし、歴史上の多くの女性たちが、彼女たちの時間を勉強に費やせていたら、大哲学者や大作曲家がたくさん生まれていたことでしょう。要は、機会均等ではなかったことに尽きるのです。

半世紀にわたってビジネスの世界や多くの大学生たちを見てきた僕の経験からいうと明らかな男女差が生じるのは、力仕事ぐらいです。昔の工場労働は、ほとんどが力仕事でしたから、「男性は外で稼いで、女性は家事や子育てを任される」という家庭内分業が成り立っていたのかもしれません。さらにいえば、戦争も男たちの体力勝負でした。労働者も兵隊も一律的な教育を施して、規律を守らせる必要がありました。そういう社会の考え方がベースにあって、男性のほうが優先的に教育を施されていただけなのです。ですから、近現代になると、どんどん優れた女性の哲学者や音楽家が生まれてきたのです。

しかし、日本にはまだまだ大きな男女差の壁があるのも事実です。世界経済フォーラムのジェンダーギャップ指数によるとわが国の女性の社会的地位は153ヵ国中、121位という恥ずかしくなるほどのレベルです。これは、明治時代になって、天皇制をコアにして国民国家を創設する際に、中国の朱子学を取り入れた影響が大きい。朱子学は、南宋の儒学者だった朱熹(1130~1200)が唱えたもので、君主権や身分制度を重視する男尊女卑の学問です。これが明治政府の天皇制、家父長制とうまくマッチしました。

朱子学は男尊女卑の発想が強く、女性への強い偏見が見られます。僕は明治政府が朱子学を取り入れたことで、日本社会が最終的に男性中心のものになってしまったと考えています。

江戸時代には明正天皇(1624~1696)、後桜町天皇(1740~1813年)という2人の女性天皇がいたのに、明治政府は女性は天皇になれないという法律を作ってしまったのです。加えて、戦後の製造業の工場モデルが「男は仕事、女は家庭」という性分業を促し「配偶者控除」や「3号被保険者」という制度が、男女差別を結果的に助長しました。

現在の労働の現場は機械やAIの領分がどんどん増えてきています。体力が必要だった工場などもそうです。そういった職場で働く女性が増えてきたのも、力仕事がどんどん機械化されてきたからです。軍隊でも女性の軍人が増えてきて、戦場ですら男女平等が進んでいます。

クオータ制を導入するなどして機会均等を実現すれば、武則天や持統天皇のように有能な女性は、どんどん活躍できるはずです。

(連載第17回)
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■出口治明(でぐち・はるあき)
1948年三重県生まれ。ライフネット生命保険株式会社 創業者。ビジネスから歴史まで著作も多数。歴史の語り部として注目を集めている。
※この連載は、毎週木曜日に配信予定です。

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