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批判も称賛も力に…大坂なおみが世界に愛される理由

7枚の黒マスクが人々を動かした——。22歳のスーパースター・大坂なおみはなぜ愛されるのか。/文・及川彩子(在米スポーツライター)

<この記事のポイント>
●大坂は、人種差別について多くの人が考え、「反人種差別主義者」になってほしいと願っている
●オピニオンリーダーやアクティビストと呼ばれたいわけではない。感謝されることにも少し戸惑いがある
●スポーツ選手はスポーツのことだけ考えていればいいという考えはもう過去の遺物になっている

「ナオミはテニス界の光だ」

勝利が決まると、大坂なおみはコートに仰向けに寝転んだ。

空を見上げた20秒ほどの間、どんな思いが彼女の心に広がっていたのだろうか。

大坂は大きな使命をもって全米オープンに挑んでいた。

黒人への人種差別を考えてもらうため、警察官による理不尽な暴力で命を落とした被害者や家族の痛みを共有するために、彼らの名前が入った黒いマスクをつけ試合に臨んだ。

その行動は大きな波紋を呼んだ。

「スポーツに政治を持ち込むな」、「もう応援しない。がっかりした」などの批判があった一方で、「ナオミはテニス界の光だ」、「ありがとう。あなたはとても勇敢だ」といった賞賛の声も多かった。

批判も賞賛も力に変え、連日毅然とした態度でコートに立ち続けた。

コロナ禍にあった5月末、米国ミネソタ州ミネアポリスで、ジョージ・フロイドという黒人男性が白人警官に窒息死させられる事件が起きた。非武装の一般人を警官が死に至らしめる事件はこれまでも米国で起こっていたが、今回は亡くなる時の様子が映像に収められており、その残忍さに多くの人がショックを受けた。

コロナの影響で若い世代が時事問題に敏感だったことも影響したのか、この事件をきっかけに全米でBlack Lives Matter (ブラック・ライブズ・マター 黒人の命にも重きを)、通称『BLM運動』が広まった。

「世界中どこでも差別はあるじゃないか。どうして黒人への人種差別に抗議するの?」

そう思う人もいるかもしれない。

米国の黒人への人種差別は『システミック・レイシズム』と呼ばれ、制度的もしくは構造的に行われる差別を指している。社会や集団において雇用、教育、政治、公平性、社会正義など様々な分野で白人から黒人に向けられることが多い。その原因として、1619年から約250年間続いた奴隷制度と、その後の人種分離政策の影響があると言われている。

大坂は、フロイド氏が亡くなった数日後、ミネアポリスに向かい抗議活動に参加している。構造的差別の根絶と、公平で安全な社会の構築のために5月にはすでに声をあげていたのだ。

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全米に広がるBLM運動

雑誌に寄せたメッセージ

大坂はハイチ出身の父親と日本出身の母親の間に日本で生まれ、幼少期から米国で育った。日本ではハーフと呼ばれ、米国では移民という立場で、様々な差別を経験してきたことは容易に想像がつく。

大坂は7月に米誌「エスクァイア」に、BLM運動に参加して人種差別に対して声をあげた理由、米国の警察への批判、自身が受けた人種差別、日本でハーフと呼ばれる子供達へのメッセージなどを寄稿している。

コロナ禍で、一人一人が当事者として物事を考えるべきと思い、抗議活動や寄付を始めたこと。構造的人種差別と警察の暴力に関して声を上げなければいけないと感じたこと。そして、「人種差別主義者ではない」という考えではなく、「反人種差別主義」へと思考を転換させるべきだと感じたこと――記事の中で大坂は切々と訴えている。

日本からの差別についても率直に語っている。

「日本はとても均質的な国なので、人種差別に立ち向かうことは、私にとってはとても大変なことでした。私はネット上で、そしてテレビでさえも、人種差別的なコメントを受けたことがあります。ですが、それは少数です」

大坂は2018年に日本人選手として初めてグランドスラムで優勝。今回、全米オープン2度目の優勝という快挙を成し遂げたにもかかわらず、日本語が話せないから日本人とは認めない、などの差別発言を繰り返す人がいる。少数とはいえ、その言葉はナイフのように大坂の胸に突き刺さったにちがいない。

肌の色を揶揄するものもあった。

ある芸人は、大坂選手は日焼けしすぎ、漂白剤が必要と明らかな差別発言をしている。それに対して大坂が「(スポンサーの資生堂の)アネッサを使っているから、私は日焼けしない」と大人の対応を見せたため大きな問題には発展しなかった。だが、一部の日本人による無意識で無自覚な人種差別発言が、大坂だけではなく多くの人を傷つけている。

大坂は、人種差別について多くの人が考え、「反人種差別主義者」になってほしいと願っている。

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全米オープン2度目の優勝

7枚の黒いマスク

大坂がテニスコート内で最初にアクションを起こしたのはウエスタン・アンド・サザン・オープン準決勝でのことだった。

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