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新庄剛志「薬物使用」の過去 抜き打ち検査で「陽性」も、詳細は伏せられ、その年に引退―― 鷲田康(ジャーナリスト)+本誌取材班

文・鷲田康(ジャーナリスト)+本誌取材班

“球界の常識”を打ち破るビッグボス

5月25日、神宮球場でのヤクルトとの交流戦。2夜連続でサヨナラ負けを喫した北海道日本ハムファイターズ・新庄剛志監督は、珍しく怒りを露わにした。試合後、ベンチからレフト側の出口へと向かう道中、ブルペンのマウンドを蹴り上げる。

「ある? こんなゲーム。あんなミスしていたら一生上に上がっていけないよね」

囲み取材でも、走塁ミスの清宮幸太郎内野手に苦言を呈し、「まあでも、終わってしまったことは仕方ないから、切り替えて」と、自らに言い聞かせるように球場を後にした。

それからほどなくして、選手・スタッフを乗せたバスより一足早く、ハイヤーで宿泊先のホテルに到着。出迎えたファンが「BIGBOSS!」と声をかけると、笑顔で手を振ってみせた。

しばらくして本誌取材班の記者が質問を投げかけた。

――現役を引退した年、ドーピング検査に引っかかっていますよね?

新庄監督は記者を一瞥するも、無言のままVIP専用扉の奥へと消えていった――。

2022年のプロ野球は、様々な意味で“球界の常識”を打ち破るビッグボスこと新庄監督を抜きに語れないシーズンとなっている。

襟がそそり立った純白のワイシャツにワインレッドのスーツ。ド派手な出立で就任会見に臨んだのは昨年11月4日のこと。報道陣に配られた名刺には「監督」という肩書きは一切、書かれていなかった。

「監督ってみんな呼ばないでください。ビッグボス! ビッグボスでお願いします」

その会見で「これから僕が監督像を変えていく」と宣言した新庄監督は、就任以降も宣言通りの型破りな言動で、球界に異端の旋風を巻き起こしていく。

今年2月1日のキャンプイン初日にはカラフルな三輪バギーで球場入り。グラウンドでは地上3メートルのフラフープの中を通す送球で選手の肩の強さを測ったり、アテネ五輪の金メダリスト、室伏広治スポーツ庁長官や十種競技の元日本チャンピオンでタレントの武井壮さんらを臨時コーチで招いたりと、ユニークなアイデアでも話題をさらった。

一方、就任会見で「優勝は目指さない」と宣言したことには、落合博満元中日監督が「理解できない。勝つためにやるのがプロ野球の世界なので、優勝しなくていいっていうのが出てきた時点でクエスチョンマーク」と語るなど、多くの球界関係者から疑問や批判も起こった。

5月8日の西武戦では試合前の練習中に西武・山川穂高内野手とバッティング談義に花を咲かせるばかりか、4年目の万波中正外野手への指導を依頼したこともある。これには「グラウンド内での親睦的態度」を禁じた野球規則3・09に反する行為と指摘する声も上がった。

新庄剛志

新庄監督

新庄監督に心酔する若手

開幕直後の一貫性のない選手起用などの影響もあり、チームは45試合消化時点で18勝27敗と大きく負け越し、最下位に低迷したまま交流戦へと突入した。

しかし5月に入ると、少しずつだが、ビッグボスの“実験”の成果も出てきている。

監督の抜擢に応えて首位打者を走る11年目の松本剛外野手が1番に定着。秋季キャンプで「ちょっと太り過ぎじゃん!」と減量指令を出した5年目の清宮に、4年目の野村佑希内野手と万波の若手3人をクリーンアップに起用。ルーキーの北山亘基投手をクローザーに抜擢するなどの大胆な若手登用もあり、白星の数も徐々にだが、増え始めた。

これまでの選手の実績や“格”を無視した起用やマネジメントは、栗山英樹監督時代のチームから変革を求めるファンだけでなく、若い選手からも支持を受けているのは確かだ。

そんな新庄監督に心酔する選手の1人が2年目で札幌出身の今川優馬外野手である。04年に日本ハムが本拠地を札幌に移転したとき、今川はまだ小学生。日本ハムのファンクラブにも入会し、父に連れられ、熱心に札幌ドームに通ったという。今川少年にとって、札幌移転と同時にニューヨーク・メッツから移籍してきた新庄監督は特別な存在だった。

今川は、当時をこう振り返っている。

〈移転したばかりは今ほど(チームも)人気がなかったと思いますが、その時、新庄選手がきて、これがスーパースターなんだな、こんなにお客さんを魅了できる選手はいなかったので、新庄選手のファンになりましたし、目標となりました〉(高校野球ドットコム、21年11月5日付)

子供の頃からのスーパースターが率いるチームで、自分がプロ野球選手として活躍する。それはまさに夢の実現だったはずだ。

しかし、そんな憧れの新庄監督には、野球選手として、スポーツパーソンとして、決して公にはできない秘密があったのである。

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新庄監督の現役時代

突然の引退宣言の裏で

06年開幕直後の4月18日、東京ドームでのオリックス戦。シーズン第2号本塁打を放った新庄監督は、「28年間思う存分野球を楽しんだぜ。今年でユニフォームを脱ぎます打法」と談話を発表。試合後のヒーローインタビューでも、ファンの前で「今シーズン限りでユニフォームを脱ぐことを決めました」と改めて宣言した。

実は、当時、首から肩周り、太腿などの筋肉が不自然に発達していたことなどから一部で筋肉増強剤使用の噂が絶えなかった。それと突然の引退宣言がリンクして、「引退理由は薬物ではないか」と噂が飛び交ったのだ。しかし、この時点の“薬物疑惑”はあくまで噂の域を出なかった。

それから数年後、2000年代初頭から球界が取り組んでいた暴力団排除(暴排)運動を取材していた時のことである。ある球界関係者が、警視庁組織犯罪対策部の警察官から聞いたと教えてくれたのが、新庄監督の現役引退の裏で起きた薬物問題だった。

日本球界では2000年のシドニー五輪に西武・松坂大輔投手(当時)らプロ選手が派遣されたのを契機に、ドーピング規制の機運が高まっていく。その流れで日本野球機構(NPB)は03年に医事委員会を設置し、「アンチ・ドーピング規定」を策定。04年から05年シーズンには全選手、チームスタッフ及び球団関係者向けの講習会やアンチ・ドーピングに関する啓蒙活動を行っている。

そして06年からドーピング検査がスタートする。ただし、この年は違反行為が見つかった場合も氏名非公表、罰則なしというのが選手会との合意だった。

「06年の開幕直後にNPB初のドーピング検査が行われ、その対象となったのが日本ハムの試合でした。NPBの職員と医事委員会の医師の立ち合いのもとで検査は実施されました」(前出・球界関係者)

試合が成立する5回終了時点で、両チームの関係者がベンチ入り25選手からクジ引きでそれぞれの検査対象選手を決定。日本ハムの対象選手となったのが新庄監督だった。

試合終了直後にドーピング検査対象選手であることが本人に伝えられ、NPB職員と担当医師が確認する中で尿を採取して提出。採取された検体は、2つに分けられ、A検体が日本アンチ・ドーピング機構(JADA)の公認分析を担当する三菱化学ビーシーエル(現・LSIメディエンス)に送られ、もう一方のB検体はNPBで保管された。

引退の年に日本一

引退シーズンは日本一

覚醒剤成分が検出された

三菱化学BCLからNPBに衝撃的な報告が届いたのは、半月ほど過ぎた時期だった。

結果は「覚醒剤成分の検出」――。

筋肉増強剤であるステロイドなどの使用であれば、選手会との合意(罰則なし)があったため、本人に厳重注意するだけで済む話だった。しかし覚醒剤となると、刑事事件に発展する可能性もある。

「慌てたのはNPBでした。すぐに当時の根來泰周コミッショナーが警察に届けるように指示。長谷川一雄事務局長が警視庁へ相談に行くと、薬物を担当する組織犯罪対策部五課(現・薬物銃器対策課)が対応することになった。組対五課では、NPBが保管していたB検体の提出を求めて、改めてより詳しい分析を行うとともに、本人を呼んで直接、聞き取りを行うことになりました」(前出・球界関係者)

当時の経緯を知るNPBおよび警察関係者、日本ハム球団幹部に事実関係を尋ねた。

NPBの医事委員会で当時、委員長を務めていた増島篤・帝京平成大学教授は次のように答えた。

「記憶はありますけど……今はNPBを離れているし、お話しすることはありません。あくまで(ドーピング検査の)お試し期間ということで選手会と約束して、陽性が出ても一切、公表しないということになりましたから」

当時、警視庁組対五課の銃器薬物担当で、新庄監督本人の聞き取りを行ったとされるK氏も訪ねた。

――06年に新庄監督の薬物使用に関する捜査を担当した?

「あの頃は芸能界、スポーツ界、みんな荒れた時期でしたよね。大相撲力士の大麻所持があって、のりピー(酒井法子の覚醒剤使用)があって。野球界は警察庁に話をして各チームが所属する都道府県の警察がチームに暴排や薬物防止を指導するようにしました」

――NPBの薬物防止に関ったのなら、新庄監督から覚醒剤反応が出たことは忘れないのでは?

「うーん……まあなんとも言えないな。あったにしても、ないにしても。NPBに聞かれるのが1番じゃないですか」

NPB関係者にも聞いた。

「当時ドーピング検査を担当していたのは事実です。かなり昔のことでもあり、どの検体を担当したかは覚えていません。すべての事象に関して守秘義務があるので、お話はできない」(検査に携わったとされるNPB職員の中島隆夫氏)

「私の立場では一切お答えできません」(元NPB事務局長の長谷川氏)

そして十数人の関係者を取材する中で、新庄監督の薬物使用を証言する当事者に話を聞くことができた。

警視庁

NPBは警視庁に相談

球団代表が事実と認めた

「もちろん詳しく知っていますよ。(日本ハムで)私がすべて担当しましたから」

そう答えるのは他でもない、日本ハムの球団代表だった小嶋武士氏だ。

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