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ブレイディみかこ「女性首相は我慢しない」

日本の政界でガラスの天井を打ち破るために。/文・ブレイディみかこ(ライター・コラムニスト)

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ブレイディ氏
©Shu Tomioka

かつて「鉄の女」がいた

自民党総裁選に男女同数の候補が立ったことは、英紙も報道していました。日本は女性の問題で遅れているイメージが定着しているので、こういうことがネタにされます。高市早苗はネットを見る限り人気があったようですが、背後には安倍晋三、森喜朗といった「おじさん政治」を象徴する人々の影がチラつきます。おじさんたちをうまく利用するために、彼女は自民党の父権主義に自らを染めてしまった。元首相のような大物政治家が自分の価値観に染まる者を引き立てるのは、党内での自分の求心力を延命させるため。実はおじさん支配を続ける「駒」として使われているに過ぎない。それでは真の意味での「女性の進出」にはなりません。逆に自民党政治の父権主義を増長させているだけです。

その点では、80年代にマドンナ旋風を起こし、「山が動いた」と言った土井たか子とは正反対です。日本初の女性党首に比べると、小池百合子にしても風見鶏的で、小粒になったなという印象を受けます。

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野田聖子(左)と高市早苗(右)

英国にはかつて「鉄の女」の異名を持つサッチャー元首相がいました。1979年、英国初の女性首相に任命されました。当時は今以上に男性社会だったので、女性であることは大きなハンデだったし、貴族などエスタブリッシュメントの多い保守党で、彼女は一般庶民の出。エリートが集う私立名門校の出身でもありませんでした。

サッチャーにはジェンダーと出自の二重のハンデがあったからこそ、他の議員にはできない思い切ったことを行う必要があった。労働党の福祉国家政策に影が差し、英国が財政難に陥っていた70年代の終わりに首相になった彼女は、新自由主義を掲げ、公的支出を大幅に削減。政府による市場への介入も抑制、労働組合を露骨に敵視し、自由競争による経済発展を推し進めました。

サッチャーの物騒な時代

強気のサッチャリズムを打ち出した彼女は、日本ではなぜか偉人と見られ、高市も野田聖子も憧れの人に挙げているらしいですね。確かにサッチャーは産業構造の転換は成し遂げましたが、国民感情としては庶民の敵。労働者階級ではサッチャーの時代から英国はおかしくなったと言う人が多い。「彼女の新自由主義で弱肉強食の世の中になり、地域コミュニティが崩壊した。失業者が増え、格差が広がってギスギスした社会になった」と2013年に彼女が亡くなった時はストリートパーティーをした地域もあったほどです。

サッチャーは、廃れていく産業は自然淘汰で潰れてかまわない、ストで働かない労働者たちは切り捨て、一部の業界と上昇志向の強い国民だけで英国経済を復活させればいいと考えていました。「お金は空から降ってきません。政府や雇用主に頼るな」という自助の考えを頑迷なまでに貫いた。自分が街の雑貨屋の娘だったから、「私のような出自と生い立ちを持つ人間は、自分の力で成功するしかない」とインタビューでも発言していました。彼女はハイエクやフリードマンに傾倒しましたが、それも自分の人生経験に基づいた自助への信仰があったからこそでしょう。「私にできたことがあなたたちにできないわけがない」というわけです。保守党はもともとプラグマティックな政党だったのに、彼女が新自由主義の強いイデオロギーを持ち込んだと言われています。結果、彼女が見殺しにした産業界の企業の倒産や炭鉱の閉鎖で失業者は溢れ、各地で暴動やテロが頻発した。彼女自身、宿泊中のホテルを爆破されたこともありました。日本ではこうした負の要素を語る人が少ない。サッチャーの時代は物騒で血なまぐさい時代だったのです。彼女は完全雇用など必要ないと考えていました。

昨年、マイケル・サンデル教授の『実力も運のうち』(早川書房)という本が大ヒットしましたよね。能力主義(メリトクラシー)は一見いいように思われるけれども、果たして正義か否か。人間の能力には運という要素が含まれると彼は言っています。どんな家庭に生まれるかも運だし、さびれた地方に生まれるか、繁栄している都会に生まれるかも自分ではコントロールできない。なのに、能力主義はその部分を無視して、人間の成功は個人の努力にのみ基づいていると人々に思わせる。

だからエリートが傲慢になり、成功をおさめていない人々に冷淡になるのです。だけど、どれほど努力して成功した人でも、それは自分の才能を認める社会に生まれた幸運のおかげで、自分の手柄ではないとサンデル教授は説いています。エリートがこの視点に立脚しないと、格差が拡大した社会では違う階層の人を理解できなくなり、対話ができなくなって民主主義が崩壊する。

サッチャーになかったもの

自著『他者の靴を履く』(文藝春秋)では、自分とは違う立場や考え方を持つ他者の感情や経験を想像する能力「エンパシー」について書きました。「エンパシー」は日本語では「シンパシー」と同じように「共感」と訳されてしまいがちです。でも、両者は別物だから混同してはいけない、と書いたら、反応してくださった方々が多かった。日本でも「共感ではない他者理解もあるよね」と思っていた人が多かったのだろうと思いました。

「エンパシー」とは、その人の立場だったら自分はどう感じ、考えるだろうと想像する能力のこと。他方で「シンパシー」は同情や共鳴、「わかる、わかる」という感覚です。「いいね」ボタンのようなもの。シンパシーは瞬時に湧く情ですから注ぐ対象はかわいそうな人、同じような思想を持っている人、境遇が似ている人とか、どうしても制限的になる。でも、エンパシーのほうは注ぐ対象に制限はありません。別にかわいそうとも思えないし、共鳴もできないし、自分にはわからない環境で暮らしている他者でも、自分がその人の立場だったらと想像力を働かせる能力を指します。息子が公立中学校でエンパシーについて学んだとき、「エンパシーとは何か」という問題に対し、「自分で誰かの靴を履いてみること」と答えました。人種やジェンダー、宗教など多様性あふれる国で生きていくために必須のスキルだと教わっているようです。

BBCのドキュメンタリー番組でサッチャーの私設秘書を務めたティム・ランケスターが「サッチャーにはシンパシーはあったが、エンパシーはなかった」と証言しています。冷酷な指導者と呼ばれる一方で、彼女は官邸にいた身近な人、たとえばドライバーや警備員の体調にまで気を配り、母親みたいな存在だったとか。自分と同じように努力してそれぞれの分野で一流になり、官邸で働くようになった人々には共感できたわけです。しかし、彼女のそばにいないタイプの労働者や失業者たちの生活や心情を正しく想像することはできなかった。エンパシー能力に欠けていた彼女は、なぜ庶民が不満を抱き、暴動が頻発して治安が乱れているのかも、本当のところではわかっていなかったようです。

コロナ下の今、世界的に女性の貧困率や自殺率が上昇しています。ガーディアン紙が、YouGov-Cambridge Globalism Projectで27か国を対象に行った調査結果を発表しています。コロナ禍によって、経済的な問題やメンタルヘルス、仕事のストレスで悩んでいると答えた人は、男性より女性が多いことが明らかになりました。スペインでは60パーセントの女性が、コロナ禍が始まって以来、仕事の問題でストレスを抱えるようになったと答えていますが、男性は42パーセント。英国では女性が55パーセントで男性が36パーセント、スウェーデンでも女性は36パーセント、男性は25パーセントという差が生じています。

さらに、どの国でも高齢者より若年層が長引くコロナ禍で経済的、そしてメンタルヘルス上の懸念を強く感じていることもわかりました。英国では18歳から24歳までの層で、パンデミックで精神的に不調を抱えるようになったと答える人が50パーセント。55歳以上では半分の25パーセントになっている。ドイツでも若年層は38パーセントで、55歳以上で22パーセント。イタリアでは若年層で59パーセントと、ほぼ6割に及んでいます。

「他者の靴を履く」書影

エンパシーが大事

働き方改革はほんの一部

女性が出産と育児、仕事を両立させながら男性と同じフルタイムで働くには、労働環境が整っている必要があります。従って働く女性はパートタイムのような非正規就労が多くなりがちですが、近年、この層には、大学を出てもフルタイムの仕事がなかったり、無償のインターンしかできなかったりで、アルバイト的に非正規の仕事をしている若い人たちも含まれている。コロナで事業が縮小され、真っ先に切られたのは切りやすい非正規の労働者たちです。

またイギリスをはじめ、欧州では日本よりも福祉が手厚いのでもともとシングルマザーが多い。英国では近年は緊縮財政によりシングルマザーへの手当てが減額されていますが、コロナによる影響が重なり、さらに多くの女性が厳しい立場に追い込まれています。

コロナ禍はワークライフバランスの見直しなど、働き方の変化に繋がると言われていましたが、そんな優雅な「働き方改革」ができたのはほんの一部の人たちで、実際には貧者がより苦しくなり、格差がより広がったという現実が見える。

こんな時代に必要なのは、エンパシーに欠ける指導者ではありません。それを察したからこそ、サッチャーと同じ保守党のジョンソン首相が、「社会というものは存在する」と発言してみせたわけですし。これは「社会などというものは存在しない」というサッチャーの言葉の否定と受け取られました。

確かにサッチャーの時代には、女性が大政党の党首や首相になるのは今よりずっと大変だったから、彼女は男性以上にマッチョにならなければならない部分はあったでしょう。彼女の強硬な経済政策は庶民に冷酷すぎると反対した党内の男性議員たちを、「ウエット派」と呼び、「じめじめした感傷的な人たち」と揶揄したぐらいですから。男性指導者たちは、強いリーダー像に拘るがゆえにエンパシーを見せるのが苦手という調査結果もありますが、サッチャーは女性首相だからこそよけいに、ドライで強いイメージを打ち出さなければと思っていたかもしれない。

しかしそれは40年前の話です。格差拡大の放置が経済成長を遅らせ、そこに襲って来たパンデミックで多くの庶民が将来への不安や不満を抱えている時に必要なリーダーの資質は、間違ってもサッチャー的なものではないはずです。

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