辻田真佐憲

元祖「君の名は」の脚本家はヒロポン中毒だった|辻田真佐憲

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「寝たら商売にならないんで、看護婦がついてヒロポン(当時流行の覚醒剤)かなんか打つんじゃない。スタジオにも来たんだ看護婦が。ヒロポン打ちに」。戦後長らくNHKで音響スタッフ(ミクサー)を務めた太田時雄は、ある聞き取り調査にこう証言している(沖野暸『音屋の青春』)。

 ここでヒロポンの常用者として名指しされているのが、劇作家の菊田一夫(1908-1973年)である。

 菊田は戦前、エノケン(榎本健一)やロッパ(古川緑波)の喜劇などで頭角を現し、敗戦後にはNHKのラジオドラマを担当して、「鐘の鳴る丘」「さくらんぼ大将」など人気作を連発。その後、小林一三に請われて東宝の演劇担当重役に就任するや、東宝ミュージカル、東宝歌舞伎、東宝現代劇を幅広く手掛けるなど、大衆演劇の分野で八面六臂の活躍を見せた。

 菊田一夫演劇賞でもその名前をとどめているが、現在では、元祖「君の名は」の脚本家といったほうが通りがいいかもしれない。

「君の名は」は、1952年から1954年まで、毎週木曜午後8時30分より放送されたNHKのラジオドラマである。新海誠監督のアニメ映画『君の名は。』が大ヒットしたことで、おそらく参照されたであろう本作が、あらためて注目されたことも記憶に新しい。

 もっとも、両者の内容に関係性は乏しく、元祖「君の名は」は、空襲下の東京・数寄屋橋で、たまたま巡り合った後宮春樹と氏家眞知子のふたりが、互いを思いながらも何度もすれ違うさまを描いた、古典的な悲恋メロドラマだった。隕石は落ちてこないし(B29の爆弾は落ちてくるが)、男女の身体が入れ替わったりもしない。

 とはいえ、元祖も人気の面ではアニメに負けていなかった。「毎週木曜日夜8時半になると街の銭湯の女湯ががら空きになる」。これはさすがに松竹で映画化されたときの宣伝文句だったが、その熱狂ぶりはほんものだった。

 映画『君の名は』三部作は、なんと1953・54年度の興行成績でトップを独占した。とくに1954年度のそれは、『七人の侍』『ゴジラ』『ローマの休日』といった名作をも凌駕する、歴史的な記録を残したほどだった。

 ドラマに関係する場所には記念碑やお土産が登場し、主演の岸惠子が何気なく巻いたストールは「眞知子巻き」として大流行。さらに、「春樹」や「眞知子」と名付けられたこどもまで現れた。まさに社会現象で、「君の名は」はその後なんどもテレビドラマ化された。

 それにしても、かつてNHKのスタジオに看護婦が出張してきてヒロポンを打っていたとは、あらためて驚かされる。出演者のひとりが薬物事件を起こしただけで、わざわざ大河ドラマを撮り直す今日にくらべれば、隔世の感がある。

 菊田に限らず、昭和の大衆文化の関係者にはヒロポンの常用者が少なくなかった。薬物使用者は絶対に許さないというスタンスを貫徹するならば、懐メロ番組など穴だらけになってしまうだろう。

 もちろん、覚醒剤は1951年まで非合法化されていなかった。その前年、複数の出版社から御製を求められた昭和天皇が、「そう方々から頼まれては、ヒロポンの注射でもしなくては」と冗談をいったと伝えられるぐらいの時代でもあった。そのため、「合法だった時代は別」となっているのだろう。

 とするならば、気になることがないではない。それは、今春はじまるNHKの朝ドラ「エール」のことである。

 この主人公のひとりは、作曲家の古関裕而をモデルとしている。そしてこの古関こそ、菊田とコンビを組んで、「君の名は」などのラジオドラマや映画を盛り上げた人物にほかならないのだ。

 したがって、かならずドラマでも菊田に相当する人物がでてくるだろう。では、菊田はどんなふうに描かれるのか。

 菊田がいちばん荒れていたのは、ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」のころ、つまり1947年から1950年のころだったといわれる。菊田とも交流があった劇作家の小幡欣治は、「[菊田が、]一日に三粒ずつと決めていたヒロポンの錠剤が効かなくなったために注射に切り替え、薬が切れると自分で打った」などと記している(『評伝菊田一夫』)。

 菊田はもともと激情型だったが、このころは薬物の影響か、スタジオにいるこどもたちに怒鳴り散らしたと思いきや、すぐにケラケラ笑ったり、かなり情緒不安定だったという。

 ただし、菊田もたんに快楽を貪っていたわけではない。

 占領下にあった日本では、ラジオドラマさえ占領軍の指令で動いていた。「鐘の鳴る丘」も例外ではなく、当初毎週土日15分だった放送枠は、聴取者の好評を受けて、まもなく問答無用で毎週平日15分に拡大されてしまった。これによって菊田の仕事は膨れ上がり、薬物に頼らざるをえなくなったわけである。菊田もまた時代の犠牲者のひとりであった。

 おそらく朝ドラでは、ヒロポンの使用も、菊田の情緒不安定も、「臭いものには蓋を」でなかったことにされるにちがいない。だがそれによって、当時の厳しい環境もまた覆い隠されてしまう。はたして、どちらがほんとうに「臭いものには蓋を」なのだろうか。

 仮に「合法だった時代は別」というならば、もう少し柔軟になってもいいと思うのだが、いかがだろうか。ぜひスタジオでヒロポンを打つシーンにも期待したい。

(連載第8回)
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■辻田真佐憲(つじた・まさのり/Masanori TSUJITA)
1984年、大阪府生まれ。作家・近現代史研究者。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院文学研究科中退。政治と文化芸術の関係を主なテーマに、著述、調査、評論、レビュー、インタビューなどを幅広く手がけている。著書に『天皇のお言葉』『大本営発表』『ふしぎな君が代』『日本の軍歌』(以上、幻冬舎新書)、『空気の検閲』(光文社新書)、『文部省の研究』(文春新書)、『たのしいプロパガンダ』(イースト新書Q)、『愛国とレコード』(えにし書房)などがある。監修に『満洲帝国ビジュアル大全』(洋泉社)など多数。軍事史学会正会員、日本文藝家協会会員。


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