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人間の脳は負荷を避けて体力を温存しようとする|中野信子「脳と美意識」

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 性差を問題にすべきではないかもしれないが、女性の場合は特に、すでにいろいろな洋服を持っているにもかかわらず、なぜか、「着る服がない」と新しい洋服を求めるという行動が現在の社会の一つの傾向として見られる。アパレル業界にとっては大歓迎といったところだとは思うが、よく考えてみれば奇妙なものかもしれない。

 脳にかかってくる認知負荷を考えれば、これは説明できない話ではない。何かを決断するとき、脳には負荷がかかってくる。この負荷を、認知負荷という。人間の脳は自分がすでに知っている要素と新しい要素が適切な割合であれば心地よく感じる。例えば、「着る服がない」と思っているときは、既知の要素を処理することでいっぱいで、新たな知恵を生み出す余力が脳にはない状態といってよいかもしれない。手持ちのものでコーディネートすれば新しいアイテムを買わずに済むが、コーディネートするという認知処理は新しく見せるための知恵を生み出す処理であるので、脳に負荷がかかる。そもそも、脳は休んでいてさえエネルギーも酸素も人体のうちではかなりの割合を食ってしまう、消費の著しい器官である。できれば、なるべく使わずにおいて、体力を温存したい。それが、脳を使って知恵を生むよりは買った方が得であると、脳を使わずに済むと判断し、新しいものを買おうとする行動につながっていると解釈することができる。

 物欲にも個人差がある。ある程度、これは生まれつきの部分もある。認知負荷から説明すれば、既知の要素が多いほうが好きな人と、未知の要素が多いほうが好きな人がいる。未知の要素が多いほうを好む人は、数は相対的に少ないが、次々といろいろな物を買う傾向にあるといえる。マーケット側としては、好ましい顧客であるかもしれない。

 未知の要素を好む人は、新しいものが出るとそれだけで購買意欲がそそられる。たとえば、スマートフォンも新しいモデルがいいと買い替えるし、新しいアプリもどんどん入れる。新しい家電や家具、ライフハック的な便利なツールも大好きだ。

 こういった人は、組織の中で働くよりも、自分が旗を振ってビジネスを新しく立ち上げるなど、個人の裁量が活かせる働き方が向いている。とはいえ、未知の要素を好むタイプの人は、遺伝子プールの性質だけからみれば、日本人には少なく、1%から5%くらいであると推定される。

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■中野信子(なかの・のぶこ)
脳科学者。東日本国際大学特任教授。京都芸術大学客員教授。1975年生まれ。東京大学工学部応用化学科卒業、同大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。医学博士。2008年から10年まで、フランス国立研究所ニューロスピン(高磁場MRI研究センター)に勤務。脳科学、認知科学の最先端の研究業績を一般向けにわかりやすく紹介することで定評がある。17年、著書『サイコパス』(文春新書)がベストセラーに。他の著書に『ヒトは「いじめ」をやめられない』(小学館新書)、『シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感』(幻冬舎新書)など。※この連載は隔週土曜日に配信します。


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