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小説「観月 KANGETSU」#35 麻生幾

第35話
熊坂洋平(8)

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※本連載は第35話です。最初から読む方はこちら。

「そん七海さんちゅう女性、もう気が強うっち。コイツ、絶対、尻(シリ)に引かるるち思う─」

 熊坂は、慌てたようにすぐに顔を伏せた。

「家族づきあいしちょんのやな。そん七海さんご一家と──」

 正木が間を置かずに続けた。

「4日前、つまり10月2日の夜、あんた、七海さんが暴漢に襲われそうになったん助けたのは自分やねえってずっと言いよんけど、昨日、そん七海さんにきちっと話を聞いた」

 涼は、熊坂が膝の上で握る両手が微かに震えたような気がした。

「七海さんね、あんたがなし助けちくれたんか、ずっと気になってるようちゃ。それに、御礼ん言葉も直接会って伝えてえと──」

 正木は、熊坂の反応を探るように慎重な言い回しで言葉を続けた。

「あんたさ、七海さんのお父さんが亡くなられてから、父親んごつ、彼女をずっと見守っちょったんやろ?」

 熊坂は肩で息をした。

「あんたにとっては、いわば娘同然のような七海さんが、あなたに御礼の言葉を贈りてえ、そう言いよん気持ちに答えてあげるべきやねえか?」

 正木はさらに畳み掛けた。

「なし七海さんから逃げる? 本当にそれでいいんか? 逃げるこたあ、あんたがずっと七海さんを見守っちきたことと真逆なことやねえか?」

 涼は、正木が何を狙って、七海のことをしつこく話題に持ち出しているのか見当が付かなかった。

「父親なんてとんでんねえ」

 久しぶりに熊坂が言葉を発した。

 涼が驚いたのは、気弱いものではなく、語気強くそう言ったからだ。

「じゃあ、どげな思いで七海さんを見守っちょったんや?」

 間髪入れずに正木が問いただした。

「わしゃ父親やねえ」

 熊坂はカッと目を見開いて同じ言葉を繰り返した。

「そもそも、島津一家と付き合いを始めたん、どげなことがキッカケなんや?」

 またしても黙(だんま)りを始めた熊坂を逃がすものかとばかりに正木がその肩を引き寄せた。

「あんたは何者や?」

 正木の言葉に、涼は思わず唾を飲み込んだ。

 ようやく正木の“魂胆”に涼は気づいた。

 正木は、かつて自分に言っていた通りに、熊坂についてのすべてを引っ剥がし、動機面からのアプローチをしようとしている。

 それもこれも、正木は、熊坂の過去に重大な何かがある、そう見立てているのだ。

 そしてそれが、熊坂久美殺害事件の真相と密接に繋がっていると確信している――。

「あんたは、熊坂洋平やねえ」

 正木が押し殺した声で言った。

 涼は、目を凝らして熊坂を観察した。

 熊坂の頬の筋肉が震えたことに涼は気づいた。

 正木は、熊坂の頬に自分の顔を押し当てた。

「過去に重大な犯歴を持っちょったんを隠しち久美と結婚したが、今になってそれが分かり、激しゅうなじられた。それでカッとなっち絞殺して、そん遺体を別府公園に遺棄した─」

 正木は一気に捲し立て、その反応を窺った。

 しばらくの沈黙が流れた

 正木は熊坂の瞳を見つめながら待った。

「わしゃ妻の死に関する責任がある」

 熊坂が静かに言った。

 涼は、正木を見つめた。熊坂がこれまでと同じ言葉を繰り返したので、怒鳴りつけるのではないかと思ったからだ。

 だが、正木の反応は違った。

「続けち」

 正木が静かに促した。

「だがわしには、妻の死に関する責任がある」

 熊坂が言った。

「続けち」

 正木が繰り返した。

 熊坂が、突然、身を乗り出して涼の胸ぐらを掴(つか)んだ。

「早く帰しちくれ。そうでねえと彼女の生命が危ねえ!」

 熊坂が声を挙げた。

(続く)
★第36話を読む。

■麻生幾(あそう・いく) 大阪府生れ。作家。1996年、政府の危機管理の欠陥を衝いたノンフィクション『情報、官邸に達せず』を刊行。日本の危機管理をめぐる“真実”を小説で描いている。オウム事件など内外の事件を取材したノンフィクション作品も。主な小説に、『宣戦布告』『ZERO』『ケース・オフィサー』『外事警察』『奪還』など。「宣戦布告」「外事警察」などが、映画化、ドラマ化され反響を呼んだ。ノンフィクション作品に、『極秘捜査-警察・自衛隊の「対オウム事件ファイル」-』『前へ!-東日本大震災と戦った無名戦士たちの記録』などがある。※この連載は、毎週日曜と不定期平日に配信します。
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